45話 弁護人側 最終弁論

 第6評議室に戻った途端、



「検察、攻めて来ましたね~!」


「本当に!」


「私はそんな気がしてましたけどね」



 堰を切ったように、興奮気味に話す裁判官お三方。


 法廷から評議室までの移動途中の廊下では私語厳禁なのですが、いつもより歩く速度が早く感じられたのは、私の気のせいではなかったようです。


 よく意味が分からず、きょとんとしていた私たち裁判員に気付き、



「あ、すみません」「ついつい身内で盛り上がってしまって」


「せっかくなので、法廷に戻る前に、簡単にお話ししておきましょうか」



 そう言うと、先ほど検察官側が求刑した『懲役20年』について、新島裁判長さんがざっくりと説明してくださいました。


 被告人に対し有罪判決を言い渡す場合、刑の量定(量刑)を行う一連の判断は、すべて裁判官の専権とされているのですが、そこには『量刑相場』といわれる実務上の慣行があるといいます。


 これまでに関与した裁判例や、公刊された裁判例、論文等に基づいて検討するのですが、判断資料として、検察官が行う『求刑』も重視するとのこと。


 とはいえ、懲役刑の刑期など幅のある判断では、求刑と量刑が一致することは少なく、通常、求刑の刑期に対して、量刑は『七~八掛け』や、求刑より1~2ランク低くなることが多いとされているのですが、



「この『求刑』から『量刑』によって差し引かれて軽くなった部分を、俗に何と言いますか? 穂高さん」


「あ、はい、『弁護料』です」


「ご名答!」



 司法修習生に対する裁判長さんの不意打ちの質問に、きちんと答えられた莉帆ちゃん。他の修習生たち同様、まるで何事もなかったように、ポーカーフェイスで説明に聞き入っています。


 一方、『出来ない子供を持つ母親』のような心境の私としては、心臓に悪いことこの上なく、彼女が無事に答えられた安堵感に、全身の力も魂も抜け落ちるような気分でした。



「名称からもお分かりになるかと思いますが、被告人としては、求刑と量刑が同じですと、『弁護人が真摯に自分の弁護をしなかったんじゃないか?』という疑念を持たないようにするため、形式的に求刑から差し引くものと考えられているんですよね」


「ほお~!」「そうなんですね~!」


「ところが、です。最近では事情が変わって来ましてね~」



 というのも、裁判員制度が導入されて以降、以前に比べて量刑の判断にばらつきが大きくなっていて、特に性犯罪に関しては、従前の職業裁判官による裁判より、重い量刑が選択される傾向にあるとのこと。


 中には、求刑を超える量刑の判決も増加していることから、従来の慣行に当てはまらない事案も増え、検察側としても、立法の厳罰化傾向(刑罰積極主義)に歩み寄る形で、より重い求刑にシフトしているのではないかという説明でした。



「あまり時間がありませんので、納刀被告の場合、どれくらいの量刑相場なのかは、結審後の評議の中で、また詳しくお話させて頂きますが」


「つまり、判例からすると、20年は結構重いと?」


「まあ、そんな印象ですね」



 裁判員4番(銀行員)さんの問いかけに、新島裁判長さんは笑顔で頷きました。





 休憩を終え、法廷に戻ると、弁護人側による最終弁論が行われました。



「では弁護人、最終弁論をどうぞ」


「はい、裁判長」



 先ほどの検察官側と同様、弁護人側としても、この裁判で発言出来るのはこれが最後のチャンス。そしてこの舞台に立つのは、女性弁護人の関川さんです。


 検察側の論告とは対照的に、被告人に寄り添った立場での弁護側目線による事実が語られ、検察側が主張する矛盾点を指摘するのが『最終弁論』。


 一つの犯罪事実に対し、見方を変えれば全く違った様相が見えてくることもあり、検察とは違った観点からその理由となる証拠を示し、被告人に下される刑罰を少しでも軽くすることが弁護側の目的とされます。


 今回の納刀被告の場合、無罪を主張していることから、弁護人側がどのような最終弁論をするのか、全員の視線が集まる中、穏やかな口調で関川さんが口を開きました。



「本件公訴事実について、A子さん、B子さん、C子さんに対する『強制性行等致傷』刑法第181条第2項、およびA子さんに対する『未成年者略取及び誘拐』刑法第224条に関して、無罪を主張いたします。

 尚、『道路交通法違反』道路交通法64条、同法117条の4第2号他に付いて、争いはありません」



 予想通りといった感じの弁護側の主張に、傍聴席から地味に漏れ聞こえる『おぉ~』といった感嘆の声。



「静粛に! 弁護人、続けてください」


「はい、裁判長」



 そう言うと、無罪の主張に対する詳細を図解した表を示し、Aさんの事案から順に説明を始めました。



「まず、A子さんとの最初の接点は、A子さんから納刀被告への援助交際を持ちかけたことが始まりです。

 当時、彼女の年齢が17歳の未成年ではあっても、あくまでA子さん本人の意思で行動を共にしたこと、また、被告人自身、A子さんと関係を持った後、将来的に『結婚』も視野に入れた真面目な恋愛感情が芽生えていたことから、両者の合意のもとであったことに疑う余地はありません」



 さらに、コンビニの駐車場で彼女を解放する際、車から放り出すように見えたことに関しては、ビデオの映像が荒く、運転席の人物が判明しないことや、見る角度によってそう見えることもあるという事例を提示するなど、証拠としての曖昧さを主張。



「次に、C子さんに車をぶつけ、怪我をさせたことに関してですが、あくまで被告人の運転ミスによる事故であり、検察側が主張するような故意ではありません。

 当初、被告人は病院での受診を強く勧めたにも関わらず、恋人や友人とのトラブルでストレスを溜めていたCさん自ら、納刀被告にドライブを要求したことから、怪我をさせてしまったことへの謝罪の意味で、彼女の要求に従ったまでです」



 CさんとサークルメンバーとのSNSでの遣り取りに関しては、件のトラブルから、ちょっと心配させてやろうという軽い悪戯心で書き込んだ内容が誤解を招き、警察を巻き込んだ大騒動になってしまったこと。


 それに伴い、検問で職務質問された際、納刀被告自身、懲役中に免許を失効していたことを思い出して、パニックになってしまったことで、冷静な判断をすることが出来ず、挙句カーチェイスにまで発展してしまい、



「これに関しては、何の申し開きをすることも出来ず、同乗していたC子さんを巻き込んだこと、大勢の警察の方にご迷惑をお掛けしたことなど、本人も大変反省しております」



 しんみりとした表情でそう語る関川さんとともに、深々と頭を下げる弁護人席の先生方。



「最後に、B子さんに関しましては、納刀被告本人から声を掛けたことから、婚約者の方との約束を反故にし、アバンチュールな関係を持ったわけですが、帰宅途中に足を滑らせて大怪我をしてしまい、交番に助けを求めたことで、その経緯が詳らかになることになってしまった、とだけ申し上げたいと思います」



 一通り、事件に関する説明を終えた関川さん。


 手にした書類を整え、それをデスクの脇に置くと、検察官の江戸川さん同様、私たち一人一人の顔を見詰めながら、語り掛けるように話しました。



「今回の事件で、おそらく多くの方が、3人の被害者の方に対して、被告人が行った性行為が『異常』だと感じられたのではないでしょうか? 例えば手足を結束バンドで固定する、執拗に傷めつけるような行動を取るなど、普通のセックスでは考えられないことだらけだ、と」



 あまりにストレートな言い方に、ドキッとする私たち。



「ですが、そもそも普通のセックスとは何でしょうか? 学校の授業で教わるわけでも、特段のマニュアルがあるわけでもなく、やり方も、掛かる時間にも大きく個人差があり、至ってプライベートなものではないでしょうか。

 パートナーによっては、『自分が思っていたのと違う』と感じることもあるでしょうし、中にはアブノーマルな行為を好む方がいらっしゃるということも、大半の方がご存知だと思います」



 確かに。



「本来、自分が決めたこと、自分で選んだことに対して、最後まで責任を持たなければいけませんが、時と場合によっては、つい本当のことが言えなくなってしまうということも、実際に多くの方が経験されていらっしゃると思います。

 ちょっとしたお小遣い稼ぎや、ちょっとしたストレス解消、ちょっとした火遊びのはずが、考えていたのとはあまりにも乖離した状況に陥り、ついつい保身のためにした言い訳によって、後戻り出来なくなってしまったというのが、本件に於いての真実であると、我々は確信しております」



 はっきりとそう言い切ると、ふたたび私たち一人一人を見つめながら、



「以上のとおり、納刀被告にまったく責任がなかったとは言えない部分もあり、その点については心から重く受け止め、深く反省致します。

 最後に、繰り返しになりますが、A子さん、B子さん、C子さんに対する『強制性行等致傷』、およびA子さんに対する『未成年者略取及び誘拐』については、無罪を主張しますとともに、裁判官と裁判員の皆さまには、どうか公正な判決を賜りたいと希望し、以上で弁護人側の最終弁論を終わります」



 そう締め括り、弁護人側の最終弁論が終了しました。


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