40話 第七回公判(7日目)
裁判員7日目。先週の月曜日から始まった公判も最終日となり、806号法廷での審理は本日が最後。
午前中に、弁護人側、検察側、そして裁判官と裁判員による『被告人質問』、午後からは、検察側の『論告・求刑』に続き、弁護人側の『最終弁論』、最後に被告人による『最終陳述』が終わると、裁判はいよいよ『結審』を迎え、後は判決を待つだけの状態になるのです。
とはいえ、私たち裁判員のお仕事はこれで終わりではなく、一番肝心な判決の内容は、結審後に評議を重ねて決めるため、刑事6部の裁判員裁判はまだまだ続きます。
また、本日はテレビ局による法廷内の撮影が入るので、いつもとは違う入廷スタイルになり、朝のミーティングでその説明を受ける私たち。
本来、裁判が行われている法廷内での撮影は原則禁止とされていますが、例外として報道などのためにテレビカメラが入り、『あたまどり』と呼ばれる冒頭の2分間だけ撮影することが許可されています。
撮影は、裁判官や書記官、事務官、検察官、弁護人のみで、裁判員や被告人、傍聴人はNG。そのため、裁判官お三方のみ先に入廷し、撮影の間、私たち裁判員は事務官の荒川さんと控室で待機し、終了の連絡が来たら入廷するという段取りです。
「それって、ニュースでよく見かけますよね」
「どうして皆さん、じっと前を見てるんですか?」
「う~ん、特にやることがないから、ですかね~?」
私たちの問いかけに、笑いながらそう答える熊野さん。
確かに、ニュースでは、裁判所の外観からの、法廷内で裁判官や検察官、弁護人が座っている姿に、ナレーションを被せる感じがほとんどです。
「あたまどりの2分間って、かなり厳密に守られているんですよ」
「基本、撮影している間は何をしていても良いんですが、かと言って、みんなで雑談するわけにも行きませんしね」
「使われるのは、せいぜい数十秒くらいなのに、ずっと同じ光景を撮り続けてもテープが勿体ない気がするんですけどね~」
「何かハプニングが起きるのを待ってるとか?」
「起こったとしても、まず使用許可は出さないでしょうね」
確かに。万が一何かが起こっても、国家権力で潰しにかかること間違いなし。
「本当は、法廷での遣り取りが撮りたいのでしょうが、裁判の進行を妨げる恐れがあるという理由でNGなので、その代りに活躍するのが『法廷画家』なんですよ」
「あれ、よく似せて描いてますよね」「さすがプロって感じ」
「画家によってタッチが異なるので、かなりリアルだったり、デフォルメされていたり、もの凄く悪人面だったりと、個性が出るんですよね」
「僕、前に凄い怖い顔で描かれたことがありましたよ」
「あ、私もあります! 悪意を感じるくらい」
「あれ、感じ悪いよね~。たまに、抗議してやろうかなって思う」
一般の人と同じところでヒートアップするお三方に、とても親しみを感じます。
「まあ、さすがに自分たちのことでは抗議出来ませんが、裁判員裁判が始まった当初、ある法廷画家が描いたイラストが、ちょっとした問題になりましてね」
本来、公判が終わるまで、裁判員であることを公表することは禁止されていることは周知の通りで、公判終了後に自ら公表することはOKですが、氏名や顔出しなど、どこまでプライバシーを公開するかは自分次第。
ところが、ニュースで使われたイラストに描かれた裁判員さんたちの顔が、あまりにも忠実に再現されていたため、見る人が見れば本人と分かってしまい、さすがにこれには抗議を入れたのだそうです。
テレビカメラや法廷画家が入るのは、それなりに世間の関心が高い裁判に限られることから、裁判員の方々も、まさか自分の顔のイラストが、全国ネットで流れるとは思ってもいなかったでしょう。
「それでは、本日の被告人質問に際して、納刀被告の家族構成や家庭環境などの参考に、こちらをご覧ください」
いつものように、熊野さんと稲美さんとで、手際よく配布された資料に目を通す私たち。
「まずこちらは、納刀被告の戸籍謄本ですが、生立ちや家族関係を確認するため、別に母親と祖父母まで遡って取り寄せて貰いました」
「戸籍って、親子でも別なんですか?」
「家族全員で、一纏めになってると思ってたっす」
「戸籍について、少し説明をしますと、改正前の旧戸籍法では『家』を一つの単位としていたんですよね。
家長としての戸主を中心に、戸主の親族である父母、戸主の配偶者と子供と、その子供の配偶者と子供、それに戸主の兄弟姉妹とその配偶者と子供、さらには親の兄弟とその配偶者と子供…というように、一つの戸籍が、複数の夫婦とその子供という大家族で編製されていたんですよ」
「なんか、『華麗なる一族』の世界ですね!」
「『八つ墓村』や『犬神家の一族』もそうよね~」
「かつては大財閥から庶民まで、みんなそうした『家制度』で括られていたんですが、現行の戸籍法では『三代戸籍禁止の原則』というのがあるんですよ」
「自分、去年祖父が亡くなったんで、これやりました」
そう言ったのは、裁判員6番(中央市場仲卸)さん。
「そうですか、如何でした?」
「本籍が遠方だったんで、滅茶苦茶大変でしたよ」
昔と違い、現行の戸籍では、夫婦と未婚の子どもしか載らない決まり(三代戸籍禁止の原則)になっているため、既婚の兄弟や祖父母といった家族構成を確認するには、その親の戸籍を取らなければなりません。
裁判員6番(中央市場仲卸)さんのように、親族が亡くなった際、すべての相続人を確定するために、『被相続人の出生から死亡までの戸籍謄本』と『相続人全員の現在の戸籍謄本』が必要になります。
本籍地と現住所が異なることも多く、本籍地のある市区町村役場まで直接出向くか、郵送して貰うよう手配しなければならず、結婚や転籍で本籍地が移っている場合などは、前の本籍地にも戸籍抄本を請求する必要があり、なかなか面倒な手続きとなるのです。
「かつては、戸主として家督を相続するのは男子のみ、中でも長男が第一継承者という地位でしたから、兄弟で扱いが違ったんですよね」
「今でも、地方では健在ですよね~」
「いるいる! 長男信仰のお姑さん!」
女性陣の揶揄に、室内に笑い声が溢れます。
「逆に、女性は戸籍筆頭者には認められなかったので、女の子しか生まれなかった場合、御家断絶を回避するために、夫が妻側の戸籍に入って家督を継ぐ『婿養子縁組』をするのですが、これは、現代の結婚で、妻側の姓を選択するのとは、まったくの別物なんですよ」
「どちらも、妻側の姓を途絶えさせないためですよね?」
「旧家制度での婿養子は、妻家の戸籍筆頭者として、一族の全財産、全権力を継承するのに対し、現行制度では、どちらの姓を選択しても夫婦の立場は対等で、婚前の財産も別、完全に親から独立した別世帯という位置付けになるんです」
「うわ~、それうちの義母に聞かせた~い!」
「うちの田舎の両親にも、是非」
どこのお宅も、色々とおありのようで。
「余談ですが、婚姻届を出すことを『入籍』と言うのは、ちょっと違うんですよね」
「あ、そっか。結婚は新しい籍を作るんですものね」
「はい。旧制度では確かに『入籍』なんですが、現行法では、養子縁組した子供や、二度目以降の結婚での配偶者が、すでにある自分の籍に入るのが『入籍』なんですよね」
「じゃあ、何て言えばいいのかしら?」
「『婚姻届けを出す』ですかね?」
「ちょっと長いかも」
「『結婚した』で良くないですか?」
「それだと、『挙式した日』と『婚姻届けを出した日』どっち? ってなりません?」
「最近は『事実婚』も増えてますしね」「『同性婚』もね」
「あ~~」「ややこし~」
そんな話題で一通り盛り上がり、本題に戻った私たち。
納刀被告の生立ちを見るため、新島裁判長さんの解説で戸籍謄本に記載されたその部分に、思わず二度見したのです。
「ちょ…、嘘でしょ!?」
「娘…いたんだ…!」
以前、検察官側の冒頭陳述で、納刀に二度の結婚歴あることは知っていましたが、驚いたことに、一度目の結婚で長女を儲けていたのです。
何より許せないのは、その長女と今回の被害者たちが、同年代であること。納刀被告自身『娘の親』という立場にもかかわらず、いったい何を考えているのか理解に苦しみます。
また、納刀被告の戸籍には父親が記載されておらず、母親の戸籍から、彼女には結婚歴があり、長男を儲けた後離婚していることや、納刀被告にとって兄であるその子は、父親に引き取られていることも分かりました。
さらに、母親は昨年68歳まで清掃などのパートで生計を立てていましたが、国民健康保険未加入で、医療費が全額負担となるため、通院出来ずに病状が悪化するという悪循環に加えて、年金も未納のため受給資格もなし。
一方、息子は犯罪を繰り返し、刑務所を出たり入ったりで、母親の生活費など出せるはずもなく、現在彼女は生活保護を受け、それにより医療費は全額医療扶助で負担。
僅かな生活費を稼ぐために、寝食を惜しんで働いていた間には受けられなかった治療を、今ようやく受けられる状況になっていました。
「つまりお母さんは、離婚してからずっとワーキングプアだったってことですよね?」
「納刀被告は、元夫の子供じゃないんですよね?」
「離婚から300日よりずっと後に生まれていますからね、法的には元夫の子供とはみなされません」
「じゃあ、誰の…?」
「お母さんにも、色々事情があったのかな…」
「現在に比べて、当時は離婚した女性が、新たに子供を産んで一人で育てて行くのは、かなり大変だったでしょうね」
複雑な背景を想像し、言葉を失う私たち。
この母子には、色々と酌むべき事情があったのかも知れません。が、だからと言って、犯罪を正当化する理由にはなり得ません。
そうした環境にあっても、その後、社会人として立派に生活されている方のほうが大多数であることは、まぎれもない事実なのです。
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