39話 情状証人 被告人母親

 806号法廷に戻ると、本日最後は弁護人側の情状証人として、納刀被告の母親の陳述書が読み上げられました。


 情状証人というのは通常の証人とは異なり、事件とは直接関係のない『被告人の良い人間性』を主張することで、少しでも罪状を軽くして貰うために弁護人側が召喚する証人です。


 裁判では被告人を擁護する立場となるため、家族や親しい友人などが選ばれることがほとんどですが、それ以外にも、務めていた会社の上司や、学生時代の恩師が立つケースもあるとのこと。


 法廷では事件の証人同様に弁護人側、検察側双方から尋問が行われるのですが、納刀被告の母親は高齢に加え体調を崩していることや、現在の住まいが裁判所から少し遠いことにも配慮して、陳述書での参加となります。


 その内容が、弁護人側の富岡さんによって読み上げられました。



『この度は私の息子、納刀宏務がお騒がせして、大変申し訳ございません。

 本来であれば、裁判所へ出向くべきところでございますが、

 昨年より著しく体調を崩し、外出も儘ならない状態で、

 こうして書面で心情を申し述べさせて頂きますことを、

 何卒、ご理解頂きたく存じます。

 息子は、幼い頃から他人様との交流が下手で、

 本人の一方的な思い込みや言葉足らずな部分から、

 何かと誤解を受けることも多々ございました。

 今回の件に関しましても、そうした齟齬から、

 お相手の方々にご不快を与えてしまったのであれば、

 母親として、心から謝罪を申し上げる所存でございます。

 決して本人に悪気がなかったことだけはご理解頂きたく、

 裁判官様、裁判員様には、どうか寛大なご判断を下さいますことを、

 切にお願い申し上げます。』



「以上です、裁判長」


「弁護人、何か補足はありますか?」


「はい、裁判長。被告人の母親は69歳と高齢で、加えて足腰の不調から最近では歩行も困難となり、本日出廷することが出来ず、自らの言葉で訴えられない状況に、大変心を痛めておりました。

 陳述書にもあるように、被告人は幼い頃から対人関係での距離感が上手く取れないところがあり、トラブルに発展することがあったそうですが、決して本人に悪意はなく、しっかり話し合うことで誤解が晴れたケースが大半だったそうです。

 また、身体に不自由が出始めた母親に対し、献身的に身の回りのお世話をするなど、本質的にはとても優しい人間であるということを、どうしても伝えて欲しいということでした」



 その説明にも、陳述書にも、漠然とした違和感を覚えた私。


 確かに、他者の気持ちを慮ることや行間を読むことが苦手な人はいますし、それが原因で誤解を招きトラブルになるケースも見知ってはいますが、納刀被告に関していえば、明らかにその範疇を逸脱しているといいますか。


 また、弁護人側の説明では、母親想いの息子というニュアンスを前面に押し出していますが、高齢で体調不良の母親に陳述書まで書かせるような心配を掛けているにも関わらず、読み上げている間も本人は無反応。


 嘘でも良いから、涙の一つでも流して見せればそれらしくも感じられるのに、そもそもまるで他人事のようなふてぶてしい態度からは、そんな息子を持って母親が可哀想だと感じても、納刀被告に対しては、何一つ同情も共感も出来ないというのが正直な気持ちでした。



「検察官、反対意見はありますか?」


「はい、裁判長」



 そう言って立ち上がったのは根室さん。



「被告人は、前回の懲役を終えて昨年出所し、一旦身元引受人である母親宅に戻ったとありますが、その直後と見られる時期から、今回の一連の犯行にも使用された部屋を借りて居住しております。

 よって、弁護人側が主張するような『高齢で身体の不自由な母親を献身的に介護していた』という事実は、物理的にかなり困難だと考えます」



 確かに。むしろボロを出されては困るので、あえて納刀被告の母親を召喚しなかったのかも知れないとさえ思えて来ます。





 こうして第六回公判は閉廷し、評議室へ戻った私たちは、本日の公判についてのおさらいと、意見交換をしました。



「それにしても、今日は三人の被害者の証人尋問ということで、皆さんかなりお疲れになったでしょう? 特に5番さん」



 新島裁判長さんにそう言われ、忘れていた緊張がぶり返します。



「それにしても、被害者の三人とも、弁護人側からいろいろ言われて、可哀想でしたな~」


「あれ、酷過ぎですよね!」


「それが辛くて、どうしても証言台に立てない、立ちたくないという被害者も少なくないんですよ」



 裁判員3番(元大学教授)さんと補充裁判員2番(育休中ママ)さんに、そう答える熊野さん。


 日本の裁判制度では、公平を期すためには致し方ないとはいえ、堪え難い被害を受け、さらに公の場で追い打ちを掛けられる被害者たち。


 ビデオリンクやパーテーションで隔てられ、被告人や傍聴人からは見えないよう配慮されているとはいえ、同じ一般市民であるにも関わらず、私たち裁判員からは、顔は勿論、仕草や表情、流した涙の雫まで、すべてが丸見えなのです。


 それに感情移入するなというほうが無理だと思うのは、私だけでしょうか。



「今回の裁判では、強制性行に対して、被告人が無罪を主張しているわけですが、今ある証拠の中で、それがあったと判断出来ない場合、被告の主張通り『無罪』ということになります」


「ってか、どう考えても有罪っすよね!?」


「あれで無罪では、被害者の女の子たちが可哀想過ぎるわよね~」


「自分も同感です」「ですよね!」



 異口同音にそう言う私たちに、穏やかな笑顔で答える新島裁判長さん。



「Aさんのケースでは比較的証拠が揃っている感がありますが、Bさんの場合、映像を含めて物的証拠が圧倒的に少ないことや、Cさん本人が抵抗していないと証言していることなどから、法的に有罪とするにはなかなか難しい状況といえるんですよね」


「えー!」「そんな!」


「刑事裁判では、被告人が自らの無罪を証明出来なくても良いことは、以前にも説明した通りですが、その理由は『なかった』ことを証明するというのは、不可能に近いからなんですよね。

 ちなみに、証明することが不可能か、非常に困難な事象を悪魔に例えたものを、何といいますか? 日本語とラテン語で、諏訪くん」


「『probatio diabolica』=『悪魔の証明』です」


「ご名答」


「おおっ!」



 クールな表情で答えた司法修習生の諏訪くんに対し、拍手と歓声に沸く室内。


 新島裁判長さんは、ホワイトボードに綴った文字を指しながら、



「一つ一つの事実について、証拠によって『あった』とも『なかった』とも確信出来ない場合、被告人に有利な方向で決定しなければならないのです」


「以前におっしゃっていた『推定無罪の原則』というやつですよね?」


「4番さん、おっしゃる通りです」



 司法修習生たちにも引けを取らない4番さん、さすがです。


 それに対し、不満そうに呟く裁判員1番(女子大生)さん。



「でも、証拠不十分っていうだけで無罪って、何かムカつきますよね」


「私もそう思います。普通に考えたら、どうしたって有罪にしか見えないですものね」



 1番さんに共感した私に、他の皆さんも賛同。何より今日の公判の中で印象に残るのは、三人の被害者たちの口から出た納刀被告に対する強い処罰感情です。



 Aさんは『死ぬまで、刑務所から出て来ないで欲しい』と言い、


 Bさんは『一生許さない。認められる限りの最高刑が下されることを願います』と言い、


 Cさんに至っては『出来ることなら、物理的に二度と性行為が出来ないようにして欲しいです。その上で、生きてることが辛くなるくらいの刑を科して欲しい』と。



 少なくとも、納刀被告は初犯ではなく、何度も犯行を繰り返している時点で、法的な刑罰にはほぼほぼ効果がなかったと言っても過言ではなく、それにより、たくさんの新たな被害者を生み出す結果に繋がったのですから。



「そこで、皆さんの出番です。これまでだと、『抵抗したとは判断出来ない』『抵抗はしなかった』となると、前例に倣って無罪判決を下すところですが、皆さんが『それはおかしい』と感じる常識や感覚で、覆して頂きたいんです」


「覆す?」


「そんなことが出来るんですか?」


「勿論です。判断材料の一つとして反映されるのが、善良な市民である皆さんの『感覚』であり、それこそが裁判員裁判の最も重要な意味であると、私は思っているんですよ」



 何はともあれ、本格的な評議は、現在進行中の公判が結審してから。そこで、今回の犯行が有罪か無罪か、有罪なら、どのような刑にするかを決めることになるのです。


 また、被告母親の陳述書の内容に感じた違和感の正体が何なのかも、後々分かることになるのですが、こうして公判六日目は終了しました。





 次回公判では、テレビ報道のために裁判の冒頭を撮影する『あたまどり』があるため、裁判官のお三方と私たち裁判員は、別々に法廷に入るとのこと。


 明日は裁判の日程で法廷はお休み。そして、明後日はいよいよ結審を迎えます。


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