38話 命を守るための選択
法廷が再開したのは、それから30分後。
Cさんの場合、入廷、退廷するのにも目隠しのパーテーションで遮断しなければならず、そのため通常の証人よりも時間が掛かります。
評議室では、Cさんに対し何か質問や疑問がないか、新島裁判長さんから話題を振られたのですが、先ほどのBさんの件もあり、積極的に意見を出す男性陣とは対照的に、ほぼ無言の女性陣。
裁判員3番(元大学教授)さんの疑問として、
「確かにCさんは小柄ですが、あれだけ激しいスポーツの現役選手なら、蹴り飛ばしてやるくらいのことは出来なかったんでしょうかねぇ?」
「でも、車でぶつけられて骨折してたんですから、無理じゃありませんか?」
「例えば、格闘技の選手だったら、反撃出来たかも知れませんけどね」
それに対し、やんわりと反論する裁判員1番(女子大生)さんと補充裁判員2番(育休中ママ)さん。裁判員4番(銀行員)さんも、疑問を投げかけました。
「骨折といった物理的に抵抗できない状態はあったとして、本人もほぼほぼ抵抗しなかったと言ってるんですよね?」
「警察の事情聴取でも、そう供述していますね」
強制性行等罪が成立するには、被害者が抵抗したかどうかはとても重要になることから、弁護人側が指摘したように、一貫してほとんど抵抗していないCさんにとっては、不利な状況になり得るのです。
「でも、補充2番さんもおっしゃったように、女性が男性に対して反撃や抵抗すること自体、相当怖いと思うんですよね」
「力では、圧倒的に不利ですもん」
「そうよね」「そうですよ」
私の発言に、女性は全員一致で賛同しました。
「では、その辺りの疑問をはっきりさせるためにも、Cさんに質問してみましょうか」
その言葉にハッとして我に返り、一斉に目を逸らせる女性陣。
「それじゃ、稲美さん、お願いしますね」
「はい」
そう新島裁判長さんにご指名され、笑顔で頷く稲美さん。
さすがに、判決にも関わる重要な部分であり、本人にとって非常にセンシティブな内容ですから、ここはやはりプロの出番です。
後ろと両サイドの三方をパーテーションに囲まれ、不安そうな表情で証言台に立つCさんに、稲美さんが優しく話し掛けました。
「裁判官の稲美と申します。まずお尋ねしたいのは、納刀被告は携帯電話やスマホは持っていましたか? また、そうした機器の操作には詳しい様子でしたか?」
「私が知る限りですが、持っていなかったです。スマホの返信も私にさせてましたので、今考えると、あまり詳しくなかったんだろうなと思います」
「一部、先ほどの弁護人側の質問と被りますが、スマホの電源を切るように言われ、その後もご自身からスマホを触ろうとしなかった理由を説明頂けますか?」
「おかしなことして、逆ギレされるのが怖かったんです…」
スマホの電源を切れば、位置情報が特定出来なくなることは勿論知っていましたが、納刀被告から電源を切るように言われたことで、当然、彼もそれを承知で指示したのだろうと。
また、何か着信があるたびに画面に表示される設定にしてあり、友人からのメッセージで、SOSを出したことを隠すためにも、素直に従ったほうが賢明と判断したのだと言いました。
「被告人から性行為を強要された際、抵抗した、または、抵抗しようと試みましたか?」
「しませんでした…」
「それは、ナイフなどの凶器で脅されたり、強く首を絞められたりするなどの強迫や暴力があったからですか?」
「いえ、そういうのもなかったです…」
「あなたの場合、同年代の女性に比べて体力には自信があると思うのですが、そうしなかった、あるいは出来なかった具体的な理由があれば、説明して頂けますか?」
その問いかけに、Cさんの表情が険しくなったのが分かりました。
「あなたにとっては、とても辛い記憶だと思います。急がなくていいですよ。無理せずにゆっくりと、一つ一つあったこと、思ったことを話してください」
優しい笑顔で穏やかに語り掛ける稲美さんに、少し落ち着き取り戻すと、小さく深呼吸をして、話し始めたCさん。
「最初は、ただの交通事故だと思っていたんです。すぐに車から出て来て、私の怪我の状態を心配してくれましたし、救急車を呼ぶより、このまま直接病院へ行く方が早いから、みたいな感じで、後ろから抱えるように車に乗るのを手伝ってくれたんです」
「その時点では、どんな印象でしたか?」
「凄く責任感のある、ジェントルな人なんだと思っていました」
「その後、豹変したということですか?」
「はい。『大丈夫? 痛いとこはない?』とか、心配そうに話し掛けながら、後部座席に座るのを手伝うふりをして、『手をこっちに出して』と言われたので言う通りにしたら、いきなり結束バンドで縛られたんです」
「不意を突かれたわけですね?」
「はい。すっかり信じ込んでいた私が愚かだと言われればそれまでですけど、すぐには結束バンドの意味を理解出来なくて、被告から『大人しくしてろ、騒いだら殺す』みたいなことを言われて、ようやく自分の身に大変なことが起きているんだと…」
「それからどうしましたか?」
「頭が真っ白になって、茫然としている間に足も縛られてしまって、気が付いたときには身動きが取れずに、逃げられない状態になっていました…」
わざと車をぶつけて怪我をさせた上で、加害者としての救護義務を隠れ蓑に、被害者であるCさんを自分の車に乗せたのだとしたら、何とも用意周到で、とんでもなく悪質なやり口に、傍聴席からも、呆れたような溜息が漏れ聞こえました。
そして、質問は核心部分に入ります。
「あなたはほぼ一貫して、被告人に対し抵抗をしなかった理由を、お話し頂けますか? 恫喝されて、怖くて身体が動かずに抵抗出来なかったということであれば、そうおっしゃってくださって結構です」
「勿論、それもありました。レイプされた女性の中には、抵抗したために殺されたり、傷付けられたという話を聞いていたので、抵抗するのはやめたんです…」
そう言ったCさんの瞳から、涙が零れました。
「もしも、怪我や手足の拘束がなかったら、隙を見て逃げられたかも知れないけど、とても無理な状態で…。でも、私は絶対に死にたくないと思ったから…」
「つまり、あなたは自分の命を守るために、あえて抵抗しないことを決断したと?」
「そうです。でもそれは、絶対に被告を受け入れたわけじゃなく、こいつの顔も、されたことも絶対忘れないし、いつか必ず相応の罰を受けさせてやるために、あのときに私に出来た唯一の防衛手段だったんです…。
でも、そのことで自分が許せなくなることもあって…。自分の選択は、正しかったのか、ホントは死んでも抵抗したほうが良かったのかって…」
「分かりました。もう結構ですよ」
上ずる声で一生懸命話しながら、問いかけるように、私たち一人一人の目を見詰めるCさん。幾度となく彼女と目が合う度に、彼女の心の葛藤を垣間見た気がしました。
「では、事件の数日前、ボーイフレンドと、お友達のEさんとの関係について、お聞かせ頂けますか?」
「はい。彼が軽い男だということは何となく。でも、まさか大切な仲間と二股なんて、信じられないしショックでした」
「Eさんに対して、怒りやジェラシーはありましたか?」
「正直、複雑な気持ちはありました。でも、Eさんにしたら立場は私と同じなんですよね。彼に対しては怒りと悔しさでいっぱいでしたけど、Eとは一年のときからチームを組んでいて、強い信頼関係がありましたし、事件の後、お互い掛ける言葉も分からない感じでしたけど、気持ちは伝わっていましたから」
「大切なお友達なんですね?」
「はい。私たち、約束してるんです。いつかチームの誰かが結婚するときには、皆でブライドメイズをしようって。こんなことがあって、私はこの先恋愛や結婚なんて出来るか分からないけど…、そのときは今のメンバーにやって貰いたいです。勿論、Eもマストです」
「最後に、被告人に対して、何か言いたいことはありますか?」
「出来ることなら、物理的に二度と性行為が出来ないようにして欲しいです。その上で、生きてることが辛くなるくらいの刑を科して欲しい」
その言葉に込められた彼女の怒りがどれほど強烈なのかが、痛いほど伝わります。
「ありがとうございました。以上です、裁判長」
「他に、質問のある方はいらっしゃいますか?」
「…」
「ないようですので、裁判官及び裁判員の質問は以上とします」
そう言うと、優しい笑顔でCさんに語り掛ける新島裁判長さん。
「おっしゃる通り、抵抗を試みて、大きな怪我を負ったり、命を落とした被害者もたくさんおられます。極限の状況下で、冷静な判断と行動をしたあなたの選択は、決して間違っていなかったと、私は思いますよ。
いつかあなたにも、ブライドメイズに囲まれて、幸せな笑顔溢れるブーケトスをする日が訪れることを、心から願っています」
再び、Cさんの瞳から涙が零れ落ちました。
両隣でも、目頭を押さえる裁判員4番(銀行員)さんと6番(中央市場仲卸)さん。ご自身のお嬢さんと重ねているのでしょう。
「本日は、ありがとうございました。以上で、被害者本人尋問を終わります」
被告人席では、居眠りをしていたのか、両脇に座る刑務官さんに腕を引かれるようにして、起立させられる納刀被告。
不真面目といえばそうなのですが、あまりにもふてぶてしい態度から、いったい何を考えているのかまるで理解出来ないというのが、今のところ正直な印象です。
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