36話 自己否定感

 評議室に戻った途端、先ほどの弁護人側の反対尋問について、口々にブーイングする私たち。



「関川さん、ちょっと酷くないですか?」


「いくら仕事だとしても、あれはないでしょ~」


「しかも、首絞められたとかって、殺人未遂じゃないっすか!」


「ホント、酷いわよねぇ~!」


「まあまあ、皆さん、そう興奮なさらずに」


「そんなこと言ったって!」「ねえ!」



 そうこうしていると、ドアをノックして事務官の荒川さんが入って来ました。このまま公判を続けるのか、それともこの段階で終了するのかを判断するため、Bさんの様子を報告しに来たのです。



「ご苦労さま。で、どんな感じですか?」


「ご本人の希望で、このまま続けて欲しいとおっしゃってます」


「分かりました。それでは、20分後に再開ということでお願いします」


「かしこまりました」



 あの状況では、これ以上尋問を続けるのは無理だろうと思っていただけに、彼女の決断に驚いたものの、今自分の意見を言わずに、不本意な判決が出されることにでもなれば、悔やんでも悔やみきれないことでしょう。


 体調も精神状態も不安定な中、法廷で弁護人から人格否定とも取れるような酷い質問をされ、さらに傷ついてもなお、自分の意思で続ける決断をした彼女には、心から敬意を表します。


 一通り、ここまでの流れを整理する中で、裁判員4番(銀行員)さんが挙手。



「やっぱり、Bさんの顔の傷が、どうしても気になりまして」


「私もそう思いました。あの傷がいつ出来たのか、すごく重要な気がするんですよね」



 そう言った私に、他の皆さんも口々に同意しました。



「そうですね。4番さん、5番さんがおっしゃる通り、何か重要なヒントが隠れているかも知れませんね」


「ご本人は覚えていないかも知れませんが、質問してみてはどうでしょう?」



 そう賛同する熊野さんと稲美さんの意見を受け、にっこり笑いながら新島裁判長さんがおっしゃいました。



「それでは5番さん、質問されてみますか?」


「えっ!? わ、私ですか? 4番さんじゃなくて?」



 言い出しっぺの4番さんか、稲美さんが質問するとばかり思っていたため、予期せぬオファーに動揺を隠せない私に、熊野さんが続けました。



「決して性差別するわけではないんですけれど、性犯罪被害者のBさんにとって、男性裁判員よりも女性裁判員のほうが、気持ちの負担が少ないんじゃないかと思うんです」


「5番さんが無理でしたら、他の女性の方か、私が質問することも可能ですが」



 稲美さんの言葉に対し、シレッと目を逸らす裁判員1番(女子大生)さんと2番(女将)さん。法廷での発言権のない補充裁判員2番(育休中ママ)さんはじめ、男性の皆さんは、にこにこしながら見ているだけ。


 そこへ、4番さんがたたみ掛けるように言いました。



「是非やってみては如何ですか? 僕も、良い経験になりましたから」


「え、でも…」



 あなたと私では、そもそも人間の出来が違うじゃないか! と思いつつ、



「そうですよ、5番さん!」


「5番さんなら、きっと大丈夫よ!」



 自分がやりたくないばかりに、この裏切り者~! と、心の中で1番さん2番さんに毒づきながらも、やりませんとは言えない雰囲気になってしまい。



「分かりました、やらせて頂きます…」



 大きな拍手に包まれながら、チラッと目を遣った先には、憐れむような眼差しで見詰める莉帆ちゃんの姿がありました。





 806号法廷に戻り、公判が再開。


 新島裁判長さんから、弁護人側の反対尋問に関して、言葉を選ぶ等の配慮を求める注意がなされた後、質問の続きが始まりました。



「この件があってからすぐ、あなたのほうから婚約破棄をされていますが、何故ですか?」


「あなたには答えたくありません」


「それは、後ろめたさがあったからではありませんか?」


「…された人間にしか、分からないでしょうね…」



 思わぬ返答に、少しざわつく法廷内。すぐに新島裁判長さんから『静粛に』の声が掛かったものの、



「以上です、裁判長」



 そう言うと、反対尋問を終了しました。


 本来なら、ここで休憩を挟む予定でしたが、このまま裁判官の証人尋問に入ることに。勿論、担当するのは女性裁判官の稲美さんです。



「裁判官の稲美と申します。先ほどあなたが話された、首を絞められたときの状況を、詳しく話して頂けますか?」


「はい。無理やり車に押し込まれて、『今からふたりでドライブしよう』と言われたので、『婚約者が待っているので帰ります』と言って車から降りようとしたら、シートを倒されたんです。

 そして、馬乗りになって『大人しく言うことを聞け』と言って押さえ付けてきたのを振り解こうとしたら、首を絞められました…」


「それからどうされましたか?」


「必死で抵抗して、何とか振り解きましたが、今度は髪の毛を掴まれて、『抵抗したら、殺す』と言われて…、これ以上抵抗したら、本当に殺されると…」



 小刻みに奮える声から、当時のBさんが受けた恐怖が伝わります。


 他にも、事件に関して、婚約者や周囲の人から何か言われたかとの質問には、特に何も言われていないとのこと。そして、先ほど弁護人側の反対尋問には答えなかった『婚約破棄』に関して、



「自分の意思で決めたことですか? それとも、誰かに相談したのですか?」


「両親に相談して、最終的には自分で決めました」


「話せる範囲で結構ですので、そう決めた理由をお話し頂けますか?」



 少し考えた後、隣にいる羽島さんと小さく頷き合い、こう答えたBさん。



「女性である以上、誰にでもこういうことは起こり得るのだということは、頭では分かっていたはずなのに、実際には他人事としか思ってなくて、自分の危機管理の甘さが招いた部分もあったのかな、と…」


「婚約者からは、あなたにそのつもりがあれば、いつでも受け入れるということですが?」


「こんな汚れてしまった自分には、そんな資格なんて…。それ以前に、男性を受け入れること自体が無理で…」



 それ以上は、言葉にならない様子。



「ありがとうございました。裁判長、私からは以上です」


「それでは、他に質問のある方はいらっしゃいますか?」



 新島裁判長さんの言葉に、両隣の裁判員4番(銀行員)さん、6番(中央市場仲卸)さんが、むこう側には見えないように、小さく『頑張れ』のガッツポーズ。


 何でこんなことになったんだろうと思いながら、逃げ出したくなる気持ちを押さえつつ、意を決して手を挙げた私。



「はい、裁判長」


「裁判員5番さん、どうぞ」



 法廷内にいる全員の視線が私に集まります。



「裁判員5番です。よろしくお願いいたします」


「よろしくお願いいたします」



 まずは、事前に練習した通り、モニター越しにご挨拶を交わし、二つ隣の席に座る熊野さんからの合図で、質問を始めました。



「事件があった当日ですが、お顔に傷はありましたか?」


「なかった…と思います」


「例えばですけど、爪をのばしていたり、ネイルをしていて、引っ掻いてしまったとか、ニキビが潰れたいうことは?」


「ネイルは元々好きじゃないですし、仕事の邪魔になるので、爪も伸ばしてませんでした。あと、ニキビもありませんでした」


「デートの前ですから、お化粧を直してると思うんです。そのとき、お顔に異常はありませんでした? もしくは、会社の誰かに指摘されたとか、なかったですか?」


「えっと…?」



 Bさん本人含め、何故こんなにもしつこく顔のことを質問するだろうという空気に包まれる法廷内。検察側や弁護人側も、『何?』といった感じで顔を見合わせる始末。


 すると、新島裁判長さんがフォローしてくれました。



「これは、とても大切なことです。よく思い出してみてください」



 その言葉にこっくり頷くと、しばらく考えた後、こう答えました。



「裁判員さんのおっしゃる通り、もし傷があれば、お化粧を直したときに絶対に気付いたはずですし、もし誰かに指摘されてたら、間違いなくチェックすると思うので、多分、傷はなかったと思います。すみません、はっきりした記憶ではなくて…」


「いえ、ありがとうございました。以上です、裁判長」


「他に、質問のある方はいらっしゃいますか?」


「…」


「ないようですので、裁判官及び裁判員の質問は以上とします」



 とりあえず大役を終え、検察官席に座っていた莉帆ちゃんと目が合った途端、緊張から解放されて魂が抜けそうになる私。


 が、まだ裁判は続いていますので、失神するわけには行きません。



「最後に、被告人に対して、何か言いたいことはありますか?」


「一生許さない。認められる限りの最高刑が下されることを願います」



 新島裁判長さんの問いかけに、険しい表情でそう答えたBさん。



「まだ体調が不安な中、頑張って証言台に立ってくださり、ありがとうございました。ただ、一つだけ、あなたにお伝えしたいことがあります」


「はい…」


「確かにあなたは、身体と心に大変な傷を負いました。ですが、あなたは決して汚れてなどいませんし、そのことでご自身を責める必要もありません。

 まだまだ時間が掛かるかも知れませんが、女性として、人として、あなた自身の尊厳を取り戻せる日が来ることを、心から応援しています」



 その言葉に、Bさんの瞳から大粒の涙が零れ落ちました。


 Bさんだけではなく、同様の被害を受けた方たちの心に巣食う『自己否定感』から、一日でも早く解放されて欲しいと願って止みません。



「本日は、ありがとうございました。これで、証人尋問を終わります」



 こうして、午前中の公判は終了しました。


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