35話 被害者本人尋問2.B子(OL)

 第6評議室に戻り、トイレを済ませ、水分・糖分の補給をしながら、先ほどの内容を簡単におさらいし、次のB子さんの証人尋問についての打ち合わせをする私たち。



「昨日も、犯罪被害相談員の津山さんがおっしゃっていた通り、Bさん自身、まだ精神的に不安定な状態での出廷になりますので、途中、パニックで話せなくなる可能性もあります」


「Bさんは、別室で一人なんですか?」


「証人尋問中は、彼女が一番信頼している相談員の羽島さんという方が、傍に付き添ってくださいますが、それでも不安は大きいかと思います。

 検察側の証人尋問の後と、弁護人側の反対尋問の後に、それぞれ休憩を挟む予定ですが、Bさんの体調によっては、途中であっても休憩を入れますので、よろしくお願いしますね」


「はい」



 そうして始まったBさん(OL)の被害者本人尋問。


 相変わらず、傍聴席で存在感を放つマダムローズさんに、ついつい目が行くものの、彼女の影響なのか、それとも、いよいよ裁判が佳境に入ってきたからなのか、傍聴席は満席になっています。



「それでは、ビデオリンク方式による証人尋問を始めます」



 新島裁判長さんの言葉に、手元のモニターに映し出されたのは、未成年と見紛うようなベビーフェイスに、折れそうなほど細い女性でした。


 事件のショックで激ヤセしたということは聞いていましたが、ビデオリンクとはいえ、社会生活にも支障を来すほどのダメージから抜け出せずにいるBさんが、こうして証言台に立つのに、どれだけ勇気が要ったことでしょうか。



「こちらの映像は、そちらから見えていますか?」


「はい、見えています」


「私は、裁判長の新島と申します。今から、法廷にいる裁判官、裁判員、検察官、弁護人を、モニターを通して一人ずつ紹介します。但し、被告人の姿は映しません。また、あなたの姿は、被告人や傍聴人には見えませんので、安心してください」


「はい」



 法廷内に取り付けられたカメラを操作しているのは、先ほど同様、廷吏の本条さん。モニターの右上の小窓には、こちら側の映像が映り、Bさん側の画面では逆になっています。


 新島裁判長さんの紹介に合わせて、法壇の一番右端に着席している裁判員1番さんから順に、一人ずつ顔を映して行き、その後、人定質問と宣誓書の朗読が終わると、いよいよ検察側の証人尋問が始まりました。



「検察官の江戸川です。それでは、納刀被告と最初に会ったときのことを話してください」


「はい。あの日、元婚約者との待ち合わせ場所に向かう途中、被告人から『道を教えて欲しい』と声を掛けられて、無理やり車に連れ込まれました…」


「車に連れ込まれた時の状況を、詳しく話して頂けますか?」


「最初は、口で説明していたのですが、地図があるので、それを見ながら説明して欲しいと言われました…。それで、助手席のドアを開けて、地図を取り出すふりをして、いきなり腕を掴まれて…」


「そのまま、車に押し込まれたのですね?」


「はい…」


「その際、納刀被告から何か言われましたか?」


「『今からふたりでドライブしよう』と言われて、『婚約者が待っているので帰ります』と言って、車から降りようとしたらもみ合いになって、『抵抗したら、殺す』と言われて…」


「それから?」


「両手と両足を、結束バンドで縛られました…」



 状況や細かな部分に違いこそありますが、その手口はAさんとほぼ同じ。暴行現場となった公園の駐車場に移動する途中、コンビニに立ち寄り、お酒や水を購入したというのも同じでした。


 自分が暴行されたときの様子を、涙で声を詰まらせながら話し、言葉が止まってしまう度、一時休憩を促す新島裁判長さんの言葉にも首を横に振るBさん。それはまるで、この苦しみから必死で抜け出そうとしているようにも感じました。



「暴行された後、納刀被告の車から逃げ出した際の状況をお話しください」


「コンビニで買ったお酒やお水を飲み干していて、喉が渇いたと言って、駐車場の傍にあった自動販売機へ飲み物を買いに行った隙に、車から逃げました…」


「手足を縛っていた結束バンドはどうしましたか?」


「傍にあったハサミで、足だけ切りました…」



 とりあえず、足が自由になったことで、何とか逃げ出すことに成功したものの、茂みに身を隠そうとしたところ、周囲が暗かったため斜面になっていることに気付かず滑り落ちてしまい、全身に大怪我を負いました。


 その後、納刀被告に見つからないよう必死で道路まで出たところで、幸運にもすぐ近くに交番を見つけ、必死で這いずりながら駆け込んだところを保護されたのです。



「以上です、裁判長」


「それでは、一旦休廷にします」





 予定通り、ここで20分の休憩を挟み、Bさんの体調を考慮しながら、公判を再開。





「それでは弁護人、反対尋問を始めて下さい」


「はい、裁判長」



 反対尋問に立ったのは関川さん。



「弁護人の関川です。あなたは、納刀被告に『今からふたりでドライブしよう』と誘われ、断ろうとしたけれど、強迫されたのでやむなく従った、ということで間違いありませんか?」


「はい、間違いありません」


「裁判長、乙第○号証の確認を願います」


「許可します」



 モニターに映し出されたのは、Aさん同様、途中で立ち寄ったというコンビニで撮影された防犯カメラの映像。


 やや画質が荒いため、はっきりと表情までは読み取れませんが、店内ではずっと手を繋ぎ、しばしば顔を見合わせるような仕草をしながら商品を物色している様子が捉えられていました。



「この映像を見る限り、カップルがコンビニで買い物をしているだけのように見えますが?」


「殺すと脅されて…、怖くて言うことを聞くしかなかったんです…」


「本当は、納刀被告にドライブをしようと声を掛けられて、それに応じたのではありませんか?」


「違います…! そんなことしてません…!」



 思わず、語気を荒げるBさん。一方の関川さんは、口調や言葉遣いは穏やかですが、グイグイと切り込んで行きます。



「女性にとってブライダルは、一生の中でも最も幸せで大切なイベントの一つですが、その反面、挙式までに細かな部分を詰める準備にかかる労力といったら、相当なストレスがあるのも事実です。そんな中、婚約者は多忙を理由に、結婚準備にはあまり協力的ではなかったのですよね?」


「出来る限り、彼も協力してくれていました…!」


「でも、圧倒的にあなたのほうが負担が多かった。違いますか?」


「それは、はじめから了解していたことです…」


「そう、大半のカップルは、どうしても女性のほうに負担が圧し掛かるケースが多いんですよね。そうして『マリッジブルー』になってしまう方も、少なからずいらっしゃるのも事実です。

 そんな時、偶然通りかかった納刀被告から声を掛けられ、ドライブに誘われた。普段なら決して応じることはないのに、この時は自分でもよく分からないけれど、軽い気持ちで応じてしまったのではありませんか?」


「そんなこと、絶対にありません!!」



 思わず、感情的に声を荒げて否定するBさんに、騒めく法廷。



「異議あり! 弁護人の発言は憶測であり、被害者の人格を著しく蹂躙するものであります!」


「静粛に! 異議を認めます。弁護人、質問の意図を明確にしてください」


「裁判長、弁護人は被告人の無罪を主張しております。確かに、検察側の主張するように、憶測の範疇であることは否定しませんが、当日の状況から推察される可能性の一つとして、質問をしております」


「認めます。続けてください」



 その言葉に、小さく笑みを浮かべる関川さんと、対照的に、苦渋の表情で睨み付ける江戸川さん。


 モニターの向こうでは、ハンカチで口を押さえながら、今にも泣きそうなBさんの背中を、相談員の羽島さんが優しく撫でている姿がありました。



「当初は、婚約者へのちょっとした当てつけ程度のつもりだったのに、期せずして斜面から転落し大怪我をしてしまい、近くにあった交番に助けを求めたものの、そうなった経緯を話すことに、躊躇われたのではありませんか?」


「違います! そんなことしてない!!」


「少なくとも、婚約者や家族、会社の人たちに、その事実を知られることだけは避けたいと思うのは、人間の心理だと思います。だから、自分は暴行されたことにしようと考えた…」


「違うっ!!!」


「証人、少し落ち着きましょうか? 付添人の方…」



 そう言い掛けた新島裁判長さんの言葉を遮り、叫ぶように発したBさん。



「車に連れ込まれて…、もみ合いに…なっ…、首…絞められたんだからっ…!! 必死で振り解い…けど…、髪を掴まれて…『抵抗するなら、殺すぞ』…って!! ホントに殺されると思った…!! だから、言う事聞くしか…っ!!!」



 必死でそう言い放ち、号泣するBさんを抱き抱えるようにして、モニターに向かい、首を横に振りながらバッテンのサインをする羽島さん。


 あまりの成り行きにどよめく傍聴人たちに、新島裁判長さんが一喝しました。



「静粛に! 傍聴人は、法廷内での私語を慎むように!」


「皆さん、お静かに願います!」「お静かに!」



 廷吏の本条さんはじめ、ヘルプに入っていた他の事務官の方々も、傍聴席に向かって声を掛け、静寂を取り戻したところで、



「それでは、暫時休廷とします!」



 一礼するために全員が起立する際、目にしたのは、両脇にいる刑務官に、居眠りしていたところを起こされている納刀被告の姿。


 その様子を、表情一つ変えずに見つめるマダムローズさんの姿でした。


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