31話 上申書 上司・元婚約者

 20分の休憩を挟んだ後、再開された法廷では、検察側から提出されたBさんの会社の上司と、元婚約者による上申書が読み上げられました。


 当初はおふたりとも、証人として出廷することを希望されていたのですが、直接事件そのものに関わってはいないので、証拠能力という点で採用は難しく、とはいえ、Bさんに関しては、証拠となる案件が極端に少ないのも事実。


 そこで裁判所の裁量により、彼女の事件当日の様子や、事件の前後での変化など、何がしか審議の参考になればと、上申書という形で採用された次第です。


 書式は作文や手紙のような自由な形式で、ご自身の言葉で書かれており、Bさんが特定されるのを防ぐため、おふたりの個人情報は勿論、会社名や具体的な業種等も伏せた状態で、検察官の根室さんが代読。


 先ずは、会社の上司の方の上申書からです。



「私***は、Bさんが勤務する会社***の上司で、Bさんが短大を卒業してわが社に入社し、商品開発部に配属されて以来、ずっと私の下で仕事をしておりました…」



 普段から明るい性格で、社内では誰とでもフレンドリーに付き合い、今どきの子にしては珍しいくらい良く気が回る子だといいます。


 勤務態度は非常に真面目で、プレゼンの資料をまとめるのが得意、加えて発想力が豊かで、仲間からの信頼も厚く実力もあることから、行く行くはチームを引っ張って行く存在になるだろうと期待していたそうです。


 私生活では、翌年に結婚予定であることの報告も本人から受けており、妊娠出産後も仕事を続けることを希望。まさに順風満帆といった様子でした。



「事件当日、残業していてなかなか帰らないBさんに、早く帰宅するように声をかけると、『今日はデートなので、彼からメール来たら帰ります』と答え、『今が一番楽しい時期ね』と私が言うと、結婚式や新居のことなど決めることがたくさんあり、『また相談に乗ってくださいね』と嬉しそうに話していました。

 それからしばらくして婚約者の方からメールが入ったらしく、『お先に失礼します』と満面の笑みで退社した彼女の姿を、今でも鮮明に覚えています…」



 事件の一報を受けたのは翌朝。Bさんの母親から携帯に掛かって来た電話で、事の次第を説明され、怪我が酷く入院しているため、しばらく会社を休ませて欲しいとのことでした。


 すぐに病院へ向かおうとしたものの、まだ面会出来る状態ではないとのことで、ようやく会えたのはそれから一週間ほどしてからでしたが、肉体的にも精神的にもダメージが酷いのは一目瞭然。


 とにかく今は治療に専念するように言い、戻れるようになったら、いつでも会社に復帰出来るよう、彼女の席はずっとあけておくからと伝えたのです。事件柄、詳細は社内の一部の人間だけに留め、表向きは『病気療養のため』という理由にしてありました。


 今でも、外出することさえ厳しい状態が続くBさんが、一日でも早く元の生活に戻れることを願う一方で、いまだ社会復帰も出来ず、婚約も解消となったことは、上司であると同時に、同じ女性として酷く心が痛み、



「何の落ち度もないひとりの女性の人生を滅茶苦茶にした犯人を、許せない気持ちでいっぱいです。今後、同様の被害に苦しむ被害者を出させないためにも、強く強く厳罰を望みます」



 そう締め括られた文章からは、今尚苦しむBさんへのいたわりと、大切な部下を傷つけた納刀被告に対する強い憤りが伝わりました。





 続いて、元婚約者の方の上申書に移りました。



「私は、Bさんの元婚約者***です。私たちは、私が大学4年生、彼女が短大1年生のときから交際が始まりました…」



 やがてお互い社会人になり、交際も順調に4年目を迎え、ごく自然な流れで彼のほうからプロポーズし、Bさんも喜んで受け入れ、学生時代から見守って来たお互いの両親とも大歓迎で、翌年には結婚式を挙げる予定でした。


 式に関しては、彼自身仕事が忙しかったこともあり、主にBさんが主導。着々と準備を進める彼女に、周囲から新婚家庭の主導権は彼女が握るに違いないと揶揄されながらも、その日を迎えるのをとても楽しみにしていたのだといいます。


 事件があったその日、彼の仕事が思った以上に長引き、メールで伝えた時間よりさらに遅れてしまったのですが、到着した待ち合わせ場所にBさんの姿はありませんでした。


 こういうことは以前にも何度かあり、合理的な彼女のことなので、先に用事を済ませているのだろうと思い、到着したことと、近くのカフェで仕事をしながら待つ旨のメールをして、小一時間ほど経った頃、



「Bさんの母親から電話が入り、彼女が事件に巻き込まれて病院へ運ばれていると知らされました。すぐに駆け付けようと病院を尋ねたのですが、『今はまだ会えないから』と言われ、心配でしたが、ひとまず自宅へ戻ることにしたのです…」



 事件の真相を知ったのは、その翌日。病院を訪れようと、再度Bさんの母親に連絡したところ、打ち明けられたといいます。そういう状況で、本人もかなりのショックを受けているので、しばらく会うことは控えて欲しいとも。


 それからしばらくして、Bさんのご両親から彼と彼のご両親に対し、正式に婚約解消の申し出があり、それはBさん本人の意思でもあるとのことでした。


 とりあえず、一度会って話をしたいと懇願する彼に、彼のご両親始め、周囲の人たちからは『彼女の気持ちを第一に考えてあげなさい』と窘められ、以来、一度も会うことは叶わないまま、今日に至りました。


 正直、何が何だか理解も納得も出来ず、こんなことになったのは、仕事を優先させ、遅い時間に彼女一人で移動させたからではないか、あの時、自分が彼女の会社まで迎えに行っていればと、酷く自分自身を責めたのだといいます。


 Bさんの意思を尊重し、婚約解消に同意もしましたが、今も彼女への気持ちは変わらず、本人さえその気になれば、いつでも受け入れるつもりでいると話し、



「事件さえなければ、今頃、私たちは新しい家庭を築いていたはずでした。Bさんの身体や心を傷付けただけでなく、私たちの幸せな未来まで奪った納刀被告を、私は絶対に許しません。

 裁判官、裁判員の皆さん、どうか被告人を厳罰に処してくださいます様、心よりお願い申し上げます」



 と締めくくられた文章から、こんな理不尽な形で自分たちの未来を奪われた悔しさが、ひしひしと伝わって来ました。


 犯罪とは、被害を受けた当事者は勿論、その周囲の人たちにまで及ぼす影響は計り知れず、それだけに罪深く、そして、それをジャッジする私たちの責任は、限りなく重いということなのです。



「以上です、裁判長」


「弁護人、反対意見はありますか?」


「はい、裁判長。特にございません」


「それでは、本日は、これで閉廷します」



 こうして第5回公判は閉廷しました。


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