30話 証人尋問7.犯罪被害相談員

 お昼になり、いつものように第二会議室へ移動して、仕出し弁当を配布しようとしたところ、一つ足りないことに気付いた私たち。


 数とお金の集計は、裁判員4番(銀行員)さんと私で2回確認していましたので、念のため、集金に来てくれた事務官の荒川さんのほうにも確認してみようということに。


 内線で事務局に電話しようとしていたところへ、私たちより少し遅れてやって来た熊野さんと稲美さんに事情を伝えると、



「今日はランチミーティングがあるので、裁判長の分は、別室に運ばれてるんだと思います」


「そうだったんですね」


「すみません、先にお伝えしておけば良かったですね」


「いえいえ、全然大丈夫ですよ~」



 というわけで、あっけなく一件落着。


 それにしても、裁判の円滑な進行のサポートからお弁当の分配まで、荒川さんたち事務官さんのきっちりしたお仕事には、本当に頭が下がります。


 一方、ランチミーティングを終えて第6評議室に戻って来た新島裁判長さん。げっそりした顔で大きく伸びをすると、



「あ~、疲れた~! ここに来ると落ち着きますよ~!」


「何かあったんですか?」「顔が疲弊してますよ?」


「だってね、みんな眉間にしわ寄せて、あーだこーだと小難しい話を、何も食べながらしなくたっていいじゃないですか」


「けど、お昼しか時間が取れないんですから、仕方ないですよ」


「何か全然食べた気がしなかったから、お菓子頂こう」


「裁判長、血糖値!」「そんなに食べちゃ駄目ですってば!」



 お二方の忠告も聞かず、嬉しそうにお菓子を頬張る裁判長さん。


 以前、雑談で帰宅時間の話になったとき、新幹線通勤の稲美さんは、いつも終電になると言っていたのを思い出しました。


 熊野さんの息子さんの保育園の送り届けも、その時間でないと触れ合うことが出来ないほど、裁判官のお仕事というのは激務のため、ランチタイムにミーティングをせざるを得ないということなのでしょう。


 厚生労働省は、やたらと『働き方改革』の推進を謳ってはいますが、それに漏れる人も少なからずいるのも事実。彼らが過労で倒れないか、心底心配になります。





 午後からの証人尋問は、犯罪被害者支援センターのスタッフで、犯罪被害相談員の津山さん。最初に、団体として行っている支援活動や、被害者の置かれた状況などについての説明を伺いました。


 まず、『犯罪被害者支援センター』は民間の支援団体(公益社団法人)で、都道府県公安委員会から『犯罪被害者等早期援助団体』の指定を受けている全国48の加盟団体では、各機関と連携し、被害直後から長期に渡って、総合的かつ継続的なサポートをされているとのこと。


 実際にそうした支援に当たっているのが、各団体から『犯罪被害相談員』や『犯罪被害者直接支援員』として認定、委託されている、ボランティアスタッフの皆さんなのです。



「私たちは、『犯罪被害者の方たちの力になりたい』『寄り添って支えたい』という熱意と、研修で身につけた専門的なスキルとノウハウをもとに、被害者支援活動に取り組んでおります」



 今回のような性犯罪の被害者が女性の場合には、性犯罪被害者支援のための知識や技能を有した女性支援員が担当するなど、必要に応じて細やかな配慮がなされており、被害を受け、誰にも相談出来ずに悩んでいる被害者からの電話相談で、初めて事件が発覚することも少なくないといいます。


 電話や面接での相談で、直接的な支援が必要と判断された場合、警察や裁判所、病院や弁護士事務所などへの付き添いや、裁判の代理傍聴、各種手続きのお手伝いのほか、自宅訪問や日常生活におけるサポート、弁護士による法律相談や専門家によるカウンセリング、宿泊場所の提供など、いずれも無償で支援し、勿論、個人情報や秘密も厳守されます。



「被害者の苦しみはこれだけにとどまらず、直接の被害を受けた後に発生する『二次的被害』に苦しめられることが少なくないのです。

 特に性犯罪には『セカンド・レイプ』という言葉がある通り、被害者にとって思い出したくもない事件の全貌を、何度も説明しなければならない状況というのは、あまりにも過酷と言わざるを得ません」



 医療機関での受診時や、捜査機関や司法機関での事情聴取で、何度も繰り返し被害の様子を説明させられることで、辛い記憶が蘇ったり、その際に、心ない言葉や態度で傷付けられたりすることも少なくないといいます。



「ですから私たちは、病院での婦人科医師による診察や緊急避妊、性感染症等検査 から、警察官による被害受理や証拠採取を一か所で済ませるようにして、その後の臨床心理士によるカウンセリングにも情報共有するなど、出来るだけ被害者の方の負担を軽減出来るようサポートしています」



 また、大きな事件になると、マスコミによる過剰な取材や報道、インターネットで個人を特定されての誹謗中傷、近所や職場での噂など、世間からの好奇の目に晒されることも。


 そうした一次的・二次的被害により、体調不良や強い不安を訴える被害者も少なくなく、休職や退職を余儀なくされたり、酷い場合にはPTSDを発症したり、自己嫌悪から自傷行為を繰り返すようになるなどして、実際に亡くなってしまったというケースもありました。


 また、加害者に対する強い恐怖感から、恋人やパートナーを受け入れられなくなってしまい、別れや、家庭崩壊にまで至るケースもあり、必要に応じて精神科医の診察やカウンセリングを受ける際のフォローにも回ります。


 さらには、励ますつもりで良かれと思って発せられた言葉にさえも、深く傷つくこともあるため、周囲の人たちへのアドバイスといったことも、被害者をサポートする上での大切なミッションです。


 このように、被害者が社会復帰するための手助けを総合的にプロデュースしながら、犯罪によって強いショックと苦痛を受けた被害者の生活や心に寄り添うこと、それが犯罪被害者支援センターの、そして犯罪被害相談員や犯罪被害者直接支援員の役割であると、津山さんは締め括りました。





 今公判の被害者であるAさんたち3人を含め、検挙こそされていませんが、今回の一連の納刀被告による被害者や、以前に起こした同様の事件で被害に遭った方の多くも、支援センターのサポートを受けているとのこと。


 検察官側の証人尋問で、Aさんたちの具体的な症状を尋ねられ、詳細に答える津山さん。その中でも、特に心配なのがBさんだと言いました。



「現在も彼女は休職中で、婚約もご本人から破棄されて、一人では外出するのも怖いという状況です」


「Bさんの症状は、日が経つにつれて、改善に向かっていますか?」


「いえ、その日のコンディションによっては、むしろ悪化しているのではないかと思うほど、酷い状態になることもあります」


「それは、フラッシュバックという状態ですか?」


「そうですね」


「以上です、裁判長」



 いつもならここで、弁護人側の反対尋問に入るのですが、



「特にありません」



 とのこと。


 これまでの証人の方たちとの遣り取りから、どんな辛辣な尋問をするのかと思っていただけに、何だか肩透かしを食らったような気分でした。



「裁判長の新島と申します。私のほうからも質問させて頂きます」


「はい」


「犯罪被害者相談員というお立場から、実際に多くの性犯罪被害者の方々に接して来られた津山さんからご覧になって、性犯罪をどうお考えになりますか?」


「私個人の意見ですが、性暴力は肉体的にも精神的にも、相手の人権や尊厳を踏みにじるあってはならない行為で、殺人と何ら変わらないと思っています」



 殺人という衝撃的なワードに、空気が張り詰める室内。



「ある日突然、地獄の底に突き落とされたように、自分の生活が激変してしまうんですよ。その多くは、何の落ち度もない善良な人たちなんです。こんな理不尽がありますか?」


「おっしゃる通りですね」


「本当なら、しなくていいはずの苦しみを背負わされて、中にはそこから抜け出せずに、苦しみ続けている人もいます。

 よく、『犬に噛まれたと思って、忘れなさい』とおっしゃる方もいますが、そんな簡単に忘れられる人なんていません。

 事件のことが頭から離れずに、不安で、怖くて、夜も眠れなくて、ほんの些細なことにも怯えたり、何も信じられなくなったり…。何とかそれらを乗り越えた人たちだって、ずっと心に傷を抱えたまま、生きていらっしゃるんですよね」



 やや感情的になりながらも、被害者の現状を目の当たりにして来た津山さんの言葉に、胸が締め付けられます。


 最前列では、目頭をハンカチで押さえるAさんのご両親。いつの間にか、ほぼ満席になった傍聴席のあちこちでも、同様の光景が見られました。



「多くの犯罪被害者のために、ご尽力して下さる津山さんのようなボランティアスタッフの皆さんに、心から感謝申し上げます。どうかこれからも被害者に寄り添い、お力になってあげて下さい。本日は、お忙しい中をお運び頂き、ありがとうございました」



 こうして津山さんの証人尋問が終了。


 休憩のために退室する私の目に映ったのは、手錠をされながら大あくびをしている、不真面目な態度の納刀被告でした。


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