29話 証人尋問6.産婦人科医

 午前中の証人尋問に立ったのは、被害者Aさん(女子高生)とBさん(OL)が搬送された病院で、診察(治療)を担当した産婦人科の医師、志摩先生です。


 最初に、性被害者が搬送された場合、どのような措置をするのかや、Aさんたちが運ばれた際に取られた具体的な治療の内容など、詳しく解説されました。


 一通り説明が終わると、検察側の証人尋問に。担当するのは別府さんです。



「検察官の別府です。被害者Aさん、Bさん、それぞれが病院へ搬送された際の、志摩先生の御所見をお聞かせください」


「はい。まずAさんですが、数日間に渡り監禁、暴行を受けていたということで、かなり憔悴している様子でした」


「裁判長、甲第○号証~×号証の確認を願います」


「許可します」



 手元の小型モニターに映し出されたのは、Aさんが保護された際に撮られた傷の写真でした。すかさずモニターから視線を外し、手元のイラストを広げる裁判員6番(中央市場仲卸)さん。


 モニターは私と6番さんで共有しており、怪我の写真が消えたら、こっそり指で『OK』の合図をするお手伝い。微力ながら、これで少しは公判に集中出来ると思います。


 写真の傷を一つ一つ検証しながら、別府さんの質問に答える形でご所見を述べる志摩先生。



「手足を結束バンドで縛られ、身体の自由を奪われていた痕跡などから、納刀被告が主張するように、合意の上での性交は可能だと考えられますか?」


「おそらく、かなりきつく締められたまま、無理な体勢を取ったりするうちに、どんどん傷口に食い込んだ様子の傷でしたから、普通にしていても相当な苦痛を感じたはずですし、少し触れただけで悲鳴を上げるレベルですから、かなり無理があると思います」


「その後、Aさんは堕胎手術を受けていますね?」


「はい。保護された直後にアフターピルを処方しましたが、残念ながらこういう結果になってしまい、大変心が痛みました」


「事件との因果関係については、如何でしょう?」


「堕胎した胎児の状態から、おそらくこの時期に妊娠したものと考えられます」


「ありがとうございます。では、続いてBさんについて、お尋ねいたします」



 モニターに映し出されたのは、全身に出血を伴う酷い擦り傷に覆われたBさんの写真。


 納刀被告が車を離れた隙を見て逃げ出した際、周囲が暗かったことや、パニックだったこともあり、崖のようになった斜面から転落し、傷の多くはその際に負ったもので、はっきりと結束バンドの跡と分かるAさんとは、対照的と言えます。



「全身の創傷は、すべて転落した際に負ったものでしょうか?」


「大半はそうと考えられますが、それ以外にも何か所か、それとは別に付いたと思われる創傷が見受けられました」


「具体的には、どの部分でしょうか?」


「私が一番印象に残っているのは、顔と首の部分ですね」



 そう言って、志摩先生が指し示した特徴的な傷部分を、裁判員6番(中央市場仲卸)さんが見ていたイラストの同じ部分を、法壇の向こうからは分からないようにこっそりと指差す私。



「志摩先生は、何による傷だと思われますか?」


「形状から、爪などでひっかいた際に出来る傷に似ていると思います」


「それが付くために、考えられる状況は?」


「もみ合った際などでしょうかね」


「以上です、裁判長」





 いつもなら、ここで休憩を挟むのですが、予定より早く検察側の証人尋問が終わったため、そのまま弁護人側の反対尋問に入りました。


 担当するのは目黒さんです。



「弁護人の目黒です。まず、Bさんの傷に関して質問致します。先ほど、検察側の質問の中で、『爪などでひっかいた際に出来る傷』の可能性を挙げておられましたが、それは抵抗した際に付けられたものだと思われますか?」


「その可能性はあると思います」


「では、その傷が爪であると仮定して、それがBさんか、納刀被告か、あるいは別の第三者のものかの判別は出来ますでしょうか?」


「いえ、誰のものかといわれると、そこまでは分かりません」


「傷が付いた時期は如何でしょう?」


「転落による創傷よりは、先に付いていたことは確かです」


「具体的に、どのくらい前か分かりますか?」


「傷の状態から、それほど時間は空いていないと思います。長くても数時間以内に出来た傷だと考えられます」


「つまり、Bさんが納刀被告と出会うより前に、傷が出来ていた可能性もあるということですね?」


「まあ、可能性としては否定出来ないと思います」



 少し考えた後、そう答えた志摩先生。



「では、Aさんに関しての質問に移ります。病院へ搬送された際、体内から納刀被告のDNAが検出されたことに間違いありませんね?」


「はい、間違いありません」


「では、Aさんが堕胎した胎児のDNAはどうですか? 本当に納刀被告の子供でしたか?」



 その言葉に、どよめく法廷内。中でも、一番ショックを受けたのは、毎回傍聴に訪れているAさんのご両親だったでしょう。


 思わず立ち上がりそうになるご主人を、奥さまと、その反対側に座っていた男性が、咄嗟に押さえ付ける様子が伺えました。



「静粛に!」


「異議あり! 裁判長、只今の弁護人の発言は、あたかも被害者Aさんが不特定の異性と関係を持っていたかのような印象を植え付けようとする悪意が感じられ、被害者の尊厳を著しく貶めるものであり、強く抗議致します!」


「裁判長! 弁護人はあくまで鑑定をしたかどうかの事実確認をしております」


「異議を認めます。弁護人は言葉を選んで質問をしてください」


「はい、裁判長」



 法廷内のどよめきが静まるのを待ち、再び質問を繰り返す弁護人の目黒さん。



「では、改めてお尋ねします。Aさんが堕胎した胎児は、納刀被告が父親であるか確認するためのDNA鑑定に提出されましたか?」


「いえ、警察に提出したのは、当日体内から採取した精液のみで、後日堕胎した胎児は提出していないと思います」


「ありがとうございました。以上です、裁判長」





 一旦ここで休憩を挟み、評議室に戻った私たち。


 いつものように、ここまでの流れを簡単におさらいした際、裁判員4番(銀行員)さんが言いました。



「Bさんの顔と首の傷なんですけど、検察側も弁護側も、あえてそこに触れた意味は何なんですか?」


「要は、Bさんが抵抗したかどうか、ということに関わるんですよね」



 新島裁判長さん曰く、検察側としては、その傷が抵抗した際に付けられたものであると主張したいのに対し、弁護側としては、それを否定したいという構図なのだと。


 特にBさんの場合、圧倒的に物的証拠が少なく、現場であったことは本人たちの供述から推測するしかありませんので、ここは判決に大きく影響する部分であることは確かです。



「傷の出来方とか、もう少し詳しく志摩先生にお聞きすることは出来ませんか?」


「勿論出来ます。もしよければ、4番さんご自身で質問されてみますか?」


「え? あ、そうですね、はい、やってみます」



 そう即答した裁判員4番(銀行員)さんの度胸と勇気を、羨望の眼差しで見詰める私たち。


 法廷で質問するにあたり、そのタイミングと、一応質問する内容に不備等がないかを確認した後、再び806号法廷に戻り、公判が再開しました。


 一通り、新島裁判長さんから質問をした後、打ち合わせ通りに誘導。



「…私からは以上ですが、他に何か質問のある方はいらっしゃいますか?」


「はい、裁判長」



 着席したまま、手を上げる裁判員4番さん。法廷内にいる全員の視線が彼に集まります。



「裁判員4番さん、どうぞ」


「裁判員4番です。志摩先生、よろしくお願いいたします」


「よろしくお願いいたします」



 お互い丁寧に頭を下げた後、裁判員4番さんの質問に、丁寧に答えてくださった志摩先生。


 まず、傷が付いた順番として、顔と首の傷の一部に、転落した際に擦れたと思われる擦過創がかぶさっていることから、顔と首の傷のほうが先に付いたということ。


 また、かさぶたのように、傷は時間が経つほど乾燥が進みますが、両方の出血箇所を比較した際、ほとんど乾き方に差異がないことなどを、写真を使ってとても分かりやすく説明してくれました。



「こうした状況からみて、二つの傷が付いた時期に、ほとんど時間差はないと考えるのが自然です」


「ありがとうございました。とても良く分かりました」


「他に、質問がある方はおられませんか?」


「…」


「それでは、以上で証人尋問を終わります。志摩先生、本日はありがとうございました」



 こうして、午前の証人尋問は終了。大役を果たし、充実した表情で退席する裁判員4番(銀行員)さんには、心から尊敬の念を抱きました。


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