25話 証人尋問4.バーのマスター

 20分の休憩を挟んで公判が再開。本日二人目の証人は60代前半の男性で、事件が起きたまさにそのとき、Cさん(女子大生)が向かっていたお店のマスターです。


 新島裁判長さんに呼ばれて彼が出て来たのは、Dさんとは別の証人控室から。勿論、先ほどDさんが証人尋問で話した内容は聞いていません。


 というのも、被害者や被疑者に感情移入するあまり、少しでも有利な証言をしようと前者と話を合わせたり、緊張のあまり記憶が混乱してしまったりするのを防ぐ目的がありました。


 一人一人の重要な証言に対し、そうした疑惑を持たせないようにする配慮と、私たちが純粋にジャッジ出来る環境を整えるために、必要な措置なのだと思います。


 マスターには衝立等の遮蔽はなく、一連の手続きと説明の後、検察側から証人尋問を始めました。



「検察官の別府と申します。先ずは、当日の出来事を時系列でご説明頂きたいと思います」


「はい。あの日は午後8時から、Cさんたちサークルの飲み会の予約が入っていまして、他のメンバーはその少し前から、店に集まり始めていました」


「Cさんが遅れた理由は、ご存知でしたか?」


「バイトのシフトが変わったために、少し遅れると連絡があったと、他のメンバーから聞いていました」



 彼が経営するダイニングバーは、お料理とカクテルが自慢のお店で、色んな大学の学生やOB、OGで賑わい、Cさんたちのように、部活やサークルの飲み会で利用する学生も多く、お店では常連の学生が二十歳になると、お祝いにオリジナルのカクテルを作ってプレゼントするのが恒例となっていました。


 また、常連の中にはお店で夕食を食べる客も多く、一人暮らしをしていたCさんもそんな一人。週に2~3回は来店して、いつも決まったメニューをオーダーしていたのです。


 その日は3件の飲み会が入っており、マスター自身もバタバタしていた中、Cさんと仲の良いDさんから『いつものを頼んでおいて欲しい』と言われたものの、



「彼女が『いつもの』と言うときは、カクテルと食事があるので、どっちなのか、あるいは両方なのか確認して欲しいと伝えました」


「店に向かう途中でオーダーしてくることは、今までにもありましたか?」


「はい。その時間帯は店が混雑するのを分かっていて、着いたらすぐに飲食出来るように、自分や周囲の状況を判断して先を読む、合理的で頭の良い子ですよ」


「しかし、Cさんからの返事はなかったんですね? それは何時頃?」


「はい。しばらくして、ヤバイメッセージが入ったと、他のメンバーたちが騒ぎ始めたんです。時間はだいたいですが9時頃だったと記憶しています」


「それからどうしました?」


「学生たちが探しに行くというので、オーダーして来た時間から、だいたいの場所の目星をつけて、その周辺を探したようですが見つからず、さらに範囲を広げて探しましたが、それでも見つからないと」


「裁判長、甲第○号証の確認を願います」


「許可します」



 モニターに映し出されたのは、Cさんのアルバイト先からダイニングバーまでの地図。マスターとDさんの説明は概ね一致していて、驚いたことに、目星を付けたという場所は、まさにCさんが納刀被告に車をぶつけられ、拉致された現場付近でした。



「結局、一時間以上探してもCさんは見つからず、このところ若い女性を狙った事件が多発していたので、念のために警察に届けたほうがいいと学生たちと話し、もしかするとまだ来る可能性もあるから、来たら連絡するよう家内や従業員たちに言って、私も一緒に警察に付き添いました。こういうとき、大人がついていたほうが良いだろうと思いまして」



 不安でいっぱいだった学生たちにとって、彼の存在がどんなに心強かったかが伝わって来ます。



「ありがとうございました。以上です、裁判長」


「では、弁護人、反対尋問を始めてください」


「はい、裁判長」



 そう言って立ち上がったのは、最年長の目黒さん。年上のマスターに敬意を払うように一礼すると、穏やかな口調で始めました。



「弁護人の目黒と申します。証人は、今のダイニングバーを始めて、どれくらいになられますか?」


「20代後半で今の場所に開店しましたので、今年で35年になります」


「これは私の個人的な印象なのですが、証人には人徳や包容力があるようにお見受けいたします。お客さんから個人的な相談、とりわけ恋愛などの悩みを打ち明けられることが多いのではありませんか?」


「人徳はありませんが、お酒が入る場所ですからね、そうした相談を受けることはよくあります」


「では、Cさんはどうでしょう? いつもは冷静な彼女が、激しく言い合いになるほど理性を失ったお相手というのは、初めての恋人だったのではありませんか?」


「直接、彼女から相談を受けたことはありませんから、分かりません」


「では、あなたからご覧になって、これまで恋人がいたと思われますか? 主観で結構ですので、お答えください」


「サークル活動に熱心でしたからね、私の知る限りではいなかったのではないかと思いますが」


「ありがとうございます。真面目で純情な女の子ほど、裏切られた際のショックは大きかったかも知れませんね。一週間程度で気持ちを切り替えろというほうが、酷だったのではないでしょうか」


「確かにそうですね」


「以上で…」


「但し! それは一般論で、彼女なら、もとい、彼女たちなら、そんなしょうもない男、バッサリ断ち切りますよ」



 強制終了しようとした目黒さんに被せるように、朗々とした声でそう断言したマスター。



「弁護人、反対尋問は以上でよろしいですか?」


「あ、はい、裁判長。以上で、反対尋問を終わります」



 思わぬ反撃に不意を突かれ、不発に終わった感が否めない弁護人側。


 裁判では百戦錬磨の目黒さんですが、このマスターに関しては人生の経験値が違うといいますか、法廷という極限状況下にあってもまったく動じない貫禄からも、彼自身、多くの苦労を乗り越えて来たであろうことが想像に難くありません。


 法廷内では常に虚空を見つめ、他人事のように無関心でいる納刀被告。その彼が、マスターの発言に対してだけは、じっと見つめる素振りをしているのも、不気味に感じられました。



「裁判長の新島です。私からも、質問をさせて頂きます。なぜ彼女たちなら、バッサリ切り捨てるとお考えですか?」


「サークルの詳細は話してはいけないとのことですから省きますが、一言で言えば『信頼関係』ですかね。それがなければ成り立たないと、私は思いますが」



 そう、Cさんたちが所属するサークルは『チアリーディング』。サークルとはいっても、全国大会で上位入賞するほどの実力を持つチームであり、厳しいレギュラー争いはもとより、強い信頼関係とお互いの思い遣りがなければ、成り立たない競技なのです。



「トラブルを起こした後の、彼女たちの様子は如何ですか?」


「翌日と翌々日でしたか、ふたり別々に店に来て、騒ぎを起こして迷惑を掛けたと謝罪に来ました。ふたりとも、相手を傷つけたかも知れないと心配してましたよ」


「そのことは、Cさんたちには?」


「私から伝えました。まあ、お互いにそういうことになってしまった手前、すぐに元通りというのは難しいでしょうけど、原因となった男のほうは、出禁にしたことも伝えましたしね。後は、時間が解決してくれるだろうと」



 言葉の一つ一つに説得力を感じながら、マスターの証人尋問が終わり、最後に新島裁判長さんから一言。



「本日はお忙しい中、裁判所までお運び頂き、ありがとうございました。あなたのような大人が付き添ってくださって、学生たちは心強かったと思います。どうかこれからも深い懐で、若者たちを見守ってやってください」



 そう言って、深く頭を下げた新島裁判長さんに、深々と頭を下げ返すマスター。


 人間関係が希薄と言われる時代に、こうして見守ってくれる大人がいるということに、とても暖かな気持ちになっていたのです。


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