第二章 公判
10話 初公判(1日目)
裁判員に選任されて、初めての登庁日。初公判(第一回公判)は午後2時開廷のため、私たち裁判員は1時までに第6評議室に集まることになっていました。
教わった通り、通用口で裁判員カードを提示し、関係者専用の入り口からエレベーターで10階の裁判員フロアーへ移動。事務所の受付で再度裁判員カードを提示して、出席のチェックをしてから評議室へ。一見手間のようにも思えますが、すべては安全のためです。
「こんにちは」「こんにちは」
先に到着していた裁判員3番(元大学教授)さん、補充裁判員2番(育休中ママ)さんとご挨拶をした直後、次々と他の方々も到着。
万が一、時間に間に合わないことがあっても、開廷時間を遅らせるので、慌てずに来るように言われてはいたものの、何かあってはと思い、早めに家を出たのですが、皆さんも思うところは同じようで、12時半過ぎには全員が集合していました。
間もなくして、評議室にいらっしゃった裁判官のお三方。私たちを見て、新島裁判長さんが声を掛けました。
「皆さん、もうお揃いでしたか。いよいよ初公判ですが、ご気分は如何ですか?」
「もし遅れでもして、皆さんにご迷惑をお掛けしたらと思うと、ゆっくりもしておられませんでしてな」
「私もです」「私も!」「同じく」
裁判員3番さん(元大学教授)に、賛同する私たち。
「お心遣い、ありがとうございます。では、まだ時間には少し早いですが、始めましょうか」
「はい」
そう言うと、熊野さんと稲美さんとで手分けして、全員にプリントを配布。
プリントは2種類あり、一方は検察側の資料でモノクロ、もう一方は弁護士側の資料でカラーコピーされたものでしたが、どちらの資料もざっくりとした時系列でしか書かれておらず、その内容もまったく対照的でした。
「前にも言った通り、法廷では被害女性3名の実名は伏せ、代わりに『Aさん』『Bさん』『Cさん』の呼び方で統一することになっています。
資料を見て頂いてお分かりの通り、検察側の主張に対し、被告人は無罪を主張しているわけですが、そもそも『強制性行等』とは何ぞや? というところから説明したいと思います」
恒例となったホワイトボードを使って、詳しく説明する裁判長さん。
「当然ですが、性行為をしたからと言って、すべてが罪になるわけではありません。『お互いに合意の上』から『無理やり』までの間で、どこからが罪になるかなのですが、もし、被害者側に少しでも『まあ、いいか』という気持ちがあれば、犯罪は不成立とみなされます。
それを判断する材料として、『抵抗したかどうか』ということが大きなポイントになりますが、被害者が抵抗しなかった場合でも、物理的にロープなどで身体を拘束されていたり、凶器や暴力で脅されて、怖くて抵抗できなかったという事実があれば、身体の自由を奪ったとして罪は成立しますし、言葉だけで脅した場合にも同様とみなします」
その説明に、大きく頷く私たち。
「もう一つ、『強制性行等』に似た罪名で『
心神喪失は、お酒や薬で泥酔や熟睡していたり、精神の障害を含め、正常な判断能力を失っている場合がこれに当たり、お酒や薬を飲んだのが被害者本人の意思かどうかは関係ありません。
抗拒不能は、先ほども言ったように、心理的、物理的に抵抗することが不能または著しく困難な状況で、恐怖、驚愕、錯誤等によって行動の自由を失っている場合がこれに当たります。
よく『準』という文字のせいで、強制性交等罪より軽いように誤解されがちですが、これは『準ずる』という意味で、両者の法定刑は同じです」
確かに、何も知らなければ『準優勝』『準1級』のような印象を受けますが、よくよく考えると、むしろこちらの方が卑劣にも感じられます。
「以前の『強姦罪』の被害者は、女性に限定されていましたが、『強制性行等罪』では『性交』『肛門性交』『口腔性交』と処罰対象を拡張しており、被害者の性別を問わず、加害者も男性に限られなくなりました。
これらは13歳以上の人に対して行った場合に適用されます。じゃあ、13歳未満の人なら何しても良いのかというと、それは逆で、こちらは性行為をしただけで罪になります。
自分が何をされているのかすらも、まだよく理解出来ないわけですからね。その分、罪は重いんですよ」
悲しいことに、世間にはそうした大人もいるわけで、噛み殺すように話す新島裁判長さんのお話に、言葉を失います。
「だいたいこんなところですが、何か質問はありますか?」
「はい」
挙手したのは、裁判員4番(銀行員)さんでした。
「どうぞ」
「被害者は強制だったと言い、被告は合意だったと言う場合、いったい何を判断材料にすれば良いのか、かなり難しい気がするんですが」
「おっしゃる通りです。そこで、皆さんにはどちらのほうが言っていることに整合性があるか、そこを見極めて頂きたいんです」
「整合性、ですか?」
「はい。人は嘘をつくと、どこかで矛盾が生じるものですから、たくさんの証拠と照らし合わせたときに、説明に一貫性があるかどうかが重要なポイントになります。ただ…」
「ただ?」
「犯罪者の中には、平気で嘘をつける人間も、ごく稀にいましてね。そうした嘘に惑わされないことも、私たちにとって大事なんですよ」
「今回の被告が、そういう人なんでしょうか…?」
「う~ん、それは、皆さんで確かめてください」
というわけで、一先ず説明を終了し、公判が始まる前に、全員トイレを済ませておくことに。
10分前になり、黒い法服を羽織る裁判官お三方。それまでの和やかな空気から、一気に緊張感が溢れます。
「裁判官の黒い法服には、『何色にも染まらない』という意味があるんですよ。花嫁さんの白無垢と、反対の意味ですね。ちなみにですが、裁判官の服はシルク製で、書記官の服は木綿製、デザインも違うんですよ。法廷に入ったら、是非見てみてくださいね」
私たちの緊張を解すように、笑顔で語り掛ける新島裁判長さん。
一方の私たちはそんな余裕などなく、名札や持参するファイルや筆記用具のチェックを完了すると、全員で605号法廷の控室へ移動。入廷する順に一列に並び、先週練習した進行方向の最終確認。
すると、私の前に並んでいた裁判員6番(中央市場仲卸)さんが振り返り、
「すみません、もし自分が間違って右へ行きそうになったら、左に引っ張って貰えませんか?」
「分かりました」
そう約束。とはいえ、私自身も間違う可能性はあるため、そのときは後ろの裁判員4番(銀行員)さんに修正して貰うようにお願いし、
「それにしても、緊張しますね」
「もう自分なんて、心臓が飛び出そうですよ。4番さんも5番さんも、落ち着いてられて羨ましいです」
「全然、そんなことないですよ」
「そうですよ。僕なんて、クールそうに見られますけど、実際はかなりのチキンですからね」
そんなことを話していると、内線が鳴り、応答する新島裁判長さん。受話器を置くと、
「それじゃ、皆さん、準備はよろしいですか?」
その言葉に、こっくりと頷く私たち。緊張はピークに達し、全員で一度大きく深呼吸。
「では、参ります」
そう言うと、次の瞬間、裁判長さんの手によって、勢い良く605号法廷へのドアが開かれたのです。
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