6話 顔合わせ
指示された席に座ったものの、まだ心の整理が付いておらず、左右の人たちに目を遣ると、皆さん私と同様に落ち着かないご様子。
全員が着席したのを確認すると、新島裁判長さんが、
「え~、それでは、裁判員、補充裁判員となられました8名の皆さん、あらためまして、裁判長の新島と申します。先ほど、裁判員待機室で自己紹介して頂きましたが、裁判官、検察官、弁護人の皆さん、もう一度名前だけお願いしますね」
そう言われ、右陪席の熊野さん、左陪席の稲美さん、検察官の別府さん、江戸川さん、根室さん、弁護士の目黒さん、富岡さん、関川さんの順にご挨拶。
「以上が、一緒に裁判を進めるメンバーとなります。今回の事件では、公判などの手続きに10日間を予定していまして、裁判員の皆さんには、裁判官と一緒に法廷に立ち会い、判決まで関与して頂くこととなります。
なお、補充裁判員のお二方ですが、裁判員の方々と同様に、最初から審理に立ち合って頂き、万が一、裁判の途中で裁判員のどなたかが参加出来なくなった場合に、裁判員に選ばれます。
裁判員裁判では、裁判官3名と裁判員6名による合議で判決を下すことが原則となるため、補充裁判員はすべての流れを把握していなければならず、欠員が出てから参加すれば良いということではありませんので、悪しからずご了承下さい」
その言葉に、神妙な顔で頷く補充裁判員さん2名。
「裁判員と補充裁判員の違いについてですが、補充裁判員の方は、訴訟に関する書類や証拠を見ることや、評議を傍聴することなどが出来ますが、審理で証人や被告人に直接質問することや、評議で意見を述べること、評決に加わることは出来ません。但し、裁判官を通して質問することや、裁判官から求められた場合には意見することは可能です。
まあ、ここで一度にあれこれ言われても、すぐには理解出来ない部分もあると思いますので、詳細は都度、分かりやすくご説明致しますが、いずれにしても、裁判員だから偉いとか、補充裁判員だから責任がないということではありません」
そんなことは、思ってもみませんでしたが、あえて説明をされるということは、中にはそういう考え方をされる人もいるということなのでしょう。
「そして、先程もお話しましたが、皆さんには『守秘義務』というものが課せられます。ただですね、一言でも喋ったら、即逮捕されて、重い刑を科せられるというわけではありませんので、ご安心下さい」
ちょくちょく冗談めいた話し方をされる裁判長さんの話術に、緊張をほぐされる私たち。
「基本的に、法廷で見聞きしたことであれば、話して頂いても大丈夫ですが、『評議の秘密』と『評議以外の裁判員としての職務を行うに際して知った秘密』に関しては、漏らしてはいけません。
例えばですね、どのような過程を経て結論に達したのかや、他の裁判員や裁判官がどのような意見を言ったのか、それを支持したり反対したりした意見の数や、評決の際の多数決の人数などもこれに当たります。
内容や状況によっては、実際に厳罰に課せられる可能性もあり、お墓の中まで持って行って貰わなければならないものもありますので、くれぐれもご注意願います」
その責任の重さは、これから始まる法廷や評議の中で、折々に感じることになるのですが。
「皆さんには、多くのご負担をお掛けすることになりますが、もし、少しでも体調や気持ちに異変や不安を感じたり、お仕事やご家庭で問題が起こったりするなど、裁判員を続けることが難しいと思われたときは、どうかご遠慮なくおっしゃってください。
裁判員候補者名簿への記載から始まり、裁判員選任手続きを経て、大変な確率の中から選ばれた8名の皆さん。これも何かのご縁ということで、どうぞ、よろしくお願いいたします」
そう締め括り、頭を下げた裁判長さんと同時に、私たち裁判員含めた全員が頭を下げました。
「それでは、テーブルの上にあります『宣誓書』をご覧ください」
そう言ったのは、右陪席の熊野さん。正直、着席した瞬間、最初に目に飛び込んで、気になっていました。書面には、宣誓文らしき文言の下に、署名捺印藍が設けられており、
「恐れ入りますが、こちらに署名捺印をお願いします」
言われた通り、各自署名捺印したのを確認すると、
「では、皆さんご一緒に『宣誓』をして頂きますので、ご起立願います」
思わぬ展開に、少し動揺する一同。宣誓など、遠い昔に運動会でして以来で、まさかこの歳になって、ましてやこんなシチュエーションでやることになるとは、夢にも思っていませんでした。
一斉に、と言われても、今日初めて会ったばかりの見知らぬ8人の息が合うはずもなく、どのタイミングで始めれば良いのか、様子伺いしている私たちに、
「私が『せーの』と声を掛けますので、そのタイミングでお願いします。それでは、参ります。せーの!」
「宣誓! 法令に従い、公平誠実に職務を行うことを誓います」
「ありがとうございました。どうぞ、ご着席下さい」
内心、裁判官の方でも『せーの』とか使うんだ、と思いつつ、ジェスチャー交じりの熊野さんの掛け声で、全員で綺麗に声を合わせることが出来、まるで大役を果たした後のような充足感で着席した私。
横のドアから入って来た事務官の方数人が、今朗読したばかりの署名捺印がされた宣誓書を含むすべての書類を回収して行きました。
「それでは、以上で終了致します。この後、裁判員、補充裁判員の皆さんには、私たち裁判官と一緒に『評議室』に移動して頂きますが、検察官、弁護人とは、ここでお別れとなります。次に会うのは、法廷ということで」
その言葉に、起立して、私たちに向かって礼をする検察官と弁護人の皆さん。私たちもお辞儀を返すと、
「裁判員、補充裁判員の皆さんは、荷物を持ってこちらへお越しください」
左陪席の稲美さんに誘導され、裁判官の3人と私たち8人はエレベーターで階を移動し、迷路のような裁判所の廊下を抜けて、防犯扉のような入り口に到着。その中の部屋の一つ『第6評議室』の鍵を開け、一旦全員が中へ。
室内は広く、窓から十分な明かりが入り、中央には大きな円形のテーブルが置かれ、11脚の椅子の前には、ファイルや筆記用具とともにIDカードが準備されており、各自自分の番号に着席しました。
「今日からここが、私たちの本拠地となる『第6評議室』ですが、会社やご家族にご連絡したい方もいらっしゃると思いますので、トイレ休憩も兼ねて、一旦休憩にしましょうか?」
「そうですね」「はい」
新島裁判長さんの問いかけに、笑顔で頷く熊野さんと稲美さん。
「では、10分後に集合ということで」
「おトイレは部屋を出て左突き当りを右に曲がった先にあります。電話は、このフロアー内はどこで掛けて頂いても構いませんが、他の評議室の方にご迷惑にならないよう、ご注意下さい」
「お煙草を吸われる方は、お部屋を出て右に進んで頂くと、喫煙ルームがありますので、そちらをご利用願います」
ひとまず席を立ち上がると、全員が携帯を取り出し、電話やメールで連絡し始め、私も急いで夫と百合原さんにメールをしたのです。
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