4話 質問手続室

 新島裁判長さんのご挨拶が終わると、再び事務官の荒川さんから説明がありました。



「それでは、これから面談を始めさせて頂きますが、特に裁判員になることに問題がない方は数名ずつのグループで、それ以外の方はお一人ずつ、後方にあります『質問手続室』にて、裁判長より質問をさせて頂きます。

 現在ご着席の番号が、皆さまの番号になりますので、正面のモニターに番号が表示された方から、あちらの椅子に腰かけてお待ちください」



 彼女が示した方向には、別室に続くドアがあり、その横に待機用の椅子が並べられていました。



「面談には一時間ほどを予定しており、その後、コンピューターによる抽選を行います。

 その間はご自由にして頂いて結構ですが、裁判員候補者待機室から離れることはご遠慮ください。

 お手洗いは、出入り口横にございますので、そちらをご利用願います。何かございましたら、ご遠慮なく職員までお申し付け下さい。それでは、間もなく始めますので、今しばらくお待ち願います」



 とのこと。


 待機室には、候補者が待ち時間に退屈しないように、雑誌や新聞、書籍などが用意され、それらを手に取る人もいれば、持参した本を読む人、携帯をチェックする人、音楽を聴く人、目を閉じている人、会社の仕事をしている人など、思い思いに時間を潰しています。


 私も持参した本を読み始めたのですが、すぐに事務官の荒川さんから声を掛けられました。



「先日、お電話頂いた件で、少しよろしいでしょうか?」


「あ、はい」



 他の人たちに聴かれないよう配慮して、部屋の隅まで誘導され、



「如何でしたか?」


「とりあえず、大丈夫ということでした。お忙しいところ、お時間取らせてしまって、申し訳なかったです」


「いえいえ、とんでもないです。それで、一応お電話でお問い合わせを頂いた方は、個別での面談になっておりまして、そのことで裁判長のほうから質問があると思いますが、特に問題がなければ、そうお伝え頂ければ大丈夫ですので」


「分かりました。個人的には、問題ありのほうが有難かったんですけどね~」


「そう思われる方のほうが、大半だと思います」



 そう言うと、思わずふたりして笑ってしまいました。


 彼女を含め、待機室には数人の職員の方がいて、あちこちで候補者の方から何かを尋ねられたりしていましたが、世間一般でいわれる『お役所仕事』なんていう形容とは真逆に、皆さん丁寧な対応でフットワークも軽く、役割分担も臨機応変、見事なチームワークです。


 考えてみれば、とんでもない倍率の採用試験を突破した優秀な人材なわけで、おまけに神対応となれば、人間として無敵。テキパキと働く彼らを、尊敬のまなざしで眺めていました。





 そうこうするうちに、モニターに私の番号が表示され、質問手続室前の椅子に移動。私の番号は『45番』で、ちょうど全体の半分くらいの位置でしたが、個別面談に振り分けられていたため、順番はかなり後のほうでした。


 椅子には、私の前に一人待ち。壁が薄いため、中での遣り取りが聞くともなく聞こえ、先に入っていた方は、社員が5人しかいないので、自分が抜けると仕事が回らないといった内容のことを話していて、次に入った年配の女性の方に至っては、



「私、致命的なほど口が軽いんですぅ~! だから、守秘義務とか言われても、絶対に誰にも喋らない自信なんて、全然ないんですよ~!」



 とまあ、外に筒抜けになるほど大きな声で話されていて、中から裁判官さんたちの笑い声まで聞こえてくる始末。思わず、私の次に座られた方と目が合い、失笑してしまいました。


 確かに、世の中にはそういう方もいらっしゃいます。私のご近所にも、スピーカーで有名な『葛岡のおばあちゃん』という方がおりまして、もし彼女が裁判員になろうものなら、絶対に黙ってなどいられないことが、想像に難くありません。



「次の方、お入りください」



 私の順番になり、ノックして室内に入ると、長テーブルの向こう側中央に裁判長さん、その両隣に右陪審、左陪審のお二人、向かって右側には検察官の三人、左側に弁護士の三人が着席し、一番端の席では書記官さんが記録を取っています。



「どうぞ、お掛け下さい」


「はい、失礼いたします」



 私が入室したのと同じタイミングで、別のドアから事務官の荒川さんも入室し、裁判長さんに耳打ちをすると、私に向かって微笑みながら小さく頷きました。何から何まで行き届いたケアに、私も御礼の会釈。


 彼女が退室すると、裁判長さんからの質問が始まりました。



「えーっと、それでは45番さん。事件関係者や、今あなたの前に並んでいる裁判官、検察官、弁護士の中で、面識がある人はいますか?」


「いえ、どなたとも面識はありません」


「過去に、ご自身や身近な方が、似たような事件に遭遇されたことや、公平な判断が出来ないといった事情はありますか?」


「特にありません」


「公判や評議の中で、証拠資料として血の付いた画像を見て頂くことになるのですが、そうした物は大丈夫ですか?」


「えっ!? それは、かなり酷い状態のものなんでしょうか…?」


「いかに証拠資料とはいえ、一般の方にお見せするにあたって、ある程度の配慮はしていますが、僅かでも無理だったり、中には気を失うほどの方もおられますから、だいたいでお答え頂ければ結構なんですが、どうでしょう?」


「そうですね、まあ、それほど酷いレベルじゃなければ。バラバラ遺体とか…」


「それは大丈夫です」



 そう断言した裁判長さんに、他の皆さんも笑顔で頷き、私も少し安堵しました。



「後は、職業等での不適格事項もなしということで、自治会のお仕事も、任期中は特に問題ないということでよかったですか?」


「はい、役員会のほうで、OKを頂きましたので」


「ちなみになんですが、自治会のお仕事というのは、どんなことをされるんですか? あ、これは面談の内容とは関係なく、あくまで、今後同様の方がいらっしゃった場合の参考のために伺うんですが」


「そうですね、メインは回覧板の管理なんですけど、2か月に一度の定例会議への出席と、自治会主催の大掃除や防災訓練、あと、夏祭りや運動会なんかのイベントの準備や運営、後片付けとかですね」


「結構、大変そうですね。町内会には、住民の方は全員参加なんですか?」


「強制ではありませんから、中には加入されない方もいらっしゃいますけど、後々のご近所関係を考えると、大半の方は入会されていますね」


「へえ~!」「ほぉ~!」「なるほど~!」



 と、なぜか自治会の話題に喰い付く法曹界の皆さん。後に知るのですが、裁判官や検察官などの場合、転勤があるため官舎に住んでいる方が多く、退職後の終の棲家へはそれ相応の思い入れがあるのだとか。



「面談は以上となります。何かご質問はありますか?」


「いえ、特にありません」


「ありがとうございました。では、待機室のほうで、もう暫くお待ちください」


「こちらこそ、ありがとうございました。失礼いたします」



 そう言って席を立ち、ぺこりとお辞儀をして部屋を出た私。


 この後、コンピューターによる抽選が行われるのですが、これだけの人数がいる中で、選ばれるのは合計8名。ざっと見積もっても、確率は10分の1以下ですから選ばれる可能性は低く、それが終われば任務完了となります。


 丁度、近くのデパートでスイーツフェアが開催中ということもあり、頑張ったご褒美に、帰宅途中に寄って行こうと企んでいました。


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