3話 概要説明と裁判長のご挨拶
「それでは、時間になりましたので、始めさせて頂きます」
女性職員さんの声に、室内に集まった候補者全員が彼女に注目しました。
「本日はお忙しい中、当裁判所までお越し頂き、ありがとうございます。
その名前に、彼女が前に電話で応対してくれた方だと分かりました。20代中盤の、とても可愛らしい見た目ですが、まるでプロの司会者のように、段取り良くテキパキと進行する様子が好印象です。
最初に注意事項として、室内での撮影や録音は禁止であること、そして、配布された資料の事件に関係する記載についても守秘義務が発生することを告げられました。
「これから事件の概要の説明をさせて頂きますが、その前に、この事件の関係者の方は、裁判員になることが出来ません。ご自身が該当しないか、お手元の資料でご確認をお願いします」
該当する事件は『連続強制性交等致傷事件』。複数の被害者の中には未成年者も含まれ、また、事件の性質上、被害者全員が本名を公表しないことを希望しているとのこと。
資料には、被告人は勿論、被害者とされる女性たちの個人情報の記載もあり、裁判員という立場上、そうしたことまで知り得るのだと、あらためて責任の重さを感じました。
プロジェクターで、事件の概要を説明し終えると、
「今回の事件の関係者と思われる方、健康上の理由や、その他、特別な理由で参加出来ない方は、アンケートに記入してください。また、ご自身や身近な方で、似たような事件を経験された方も、その旨をご記入願います」
とのこと。確かに、もし本人や近しい人が、同じような事件の被害者や加害者だったりすれば、感情移入してしまう可能性は否定出来ません。
さらに、本日出席した人全員に、後日、裁判所の規定に基づいた日当と往復の交通費が振り込まれる旨の説明があり、もう一度、口座番号に間違いがないかを確認し、アンケートを記入し終えると、職員さんたちによって手元のプリントはすべて回収されました。
「それでは、今回の事件を担当する裁判官、検察官、弁護士をご紹介します」
荒川さんの言葉に、10人の方が入室し、一列になって私たちにお辞儀をすると、向かって一番左側の男性から順に自己紹介を始めました。
「え~、皆さん、おはようございます。裁判長の
「どうも。右陪審の
「はじめまして。左陪審の
「はじめまして。書記官の
裁判長の新島さんは50代、右陪審の熊野さんは30代中盤の男性で、左陪審の稲美さんは20代の女性、書記官の天童さんは30歳前後の男性。四人ともとても気さくな雰囲気で、勝手に抱いていたイメージとは全然違っていました。
「検察官の
「同じく、
「同じく、
そう言うと、三人揃って深々と頭を下げました。
50代男性の別府さん、アラフォーでいかにもキャリアウーマンといった江戸川さん、今どきの若者風な根室さん。全員ダークなスーツ姿で、一見しただけでは普通のサラリーマンと何ら変わりません。
「はじめまして。弁護士の
「同じく、弁護士の
「はじめまして、弁護士の
こちらは、40代の目黒さんと、30代の富岡さん、20代で紅一点の関川さんで、三人ともにこにこして物腰も柔らかです。が、その穏やかな表情が、法廷では激変することを、まだ私たちは知る由もありません。
全員の自己紹介が終わると、あらためて、新島裁判長さんからご挨拶がありました。
「えー、この度は、裁判所からの『呼出状』を受け取って、大変驚かれたことと思います。すでにネットやスマホで検索されて、だいたいのことはご存知だと思いますが、そうした環境にない方のために、私から説明させて頂きたいと思います」
確かに、大半の人はウェブ検索したでしょうが、中には高齢の方もおられて、近くにお子さんやお孫さん、そうしたことに詳しいお友達でもいない限り、自力で調べるには限界があるのも事実です。
また、ネットの情報は玉石混合で、思い込みから勘違いしている部分が無きにしも非ず。ホワイトボートを使いながら説明する裁判長さんのお話に、全員が神妙な面持ちで聞き入りました。
「先ず、裁判員裁判の対象となるのは、地方裁判所で行われる刑事事件のうち、
① 死刑又は無期の懲役・禁錮に当たる罪に係る事件
② 法定合議事件であって故意の犯罪行為により被害者を死亡させた罪に係るもの
…という、この二点になります。
例えば、殺人、強盗致死傷、現住建造物等放火、身代金目的誘拐、危険運転致死などの重大犯罪で、控訴審や上告審、民事事件、少年審判等は対象にはなりません。
また、裁判員本人や、その家族に危害が加わる恐れのある場合や、長期化する可能性のある事件についても、対象外としています」
そして、準備してあったフリップを貼り付けると、
「裁判員裁判対象事件では、迅速に審理を行うため、公判が始まる前に『
まあ要するに、一番面倒くさい部分は、我々プロのほうで済ませてありますから、決して皆さんに激務を押し付けておいて、自分たちだけ楽しようなんてことではありませんので、どうぞご安心下さい」
裁判長の言葉に、うんうんと頷いて見せる裁判官、検察官、弁護士のみなさん。職業柄、堅いイメージしかないギャップからか、室内に笑いが起こり、場が和みました。
「で、皆さんには何をして頂くのかということですが、普段の日常生活の中での情報や感覚で事件を判断して頂きたいのです」
一瞬、何を言っているのか分からず、ぽかんとしている私たちに向かって、裁判長さんが続けます。
「例えば、ある人が誰かを死なせてしまったとして、その理由が、自分や誰かを守ろうとして、結果的に死なせてしまった場合と、自分勝手な感情や欲望を満たすために、何の罪もない人を殺したのとでは、当然罪の重さは違ってきますよね」
確かに。
「裁判員裁判が導入されてから、ストーカーや飲酒運転、虐待、性犯罪などは、厳罰化する傾向にありますし、逆に、介護疲れによる殺人や、重い病気を苦にした嘱託殺人などは、情状酌量の傾向にあります。
それらは善良な市民である皆さんの『感覚』が、判断材料の一つとして反映されているからなんですね」
もしこのテーブルに『へぇ~』ボタンがあったなら、連打していたに違いありません。
「勿論、闇雲に刑罰を決めるわけではなく、判断の前提として法律知識が必要な場合は、その都度分かりやすく説明いたします。
その上で、法廷で聞いた証人の証言や証拠に基づいて、裁判官と裁判員で評議をし、被告人が有罪か無罪か、有罪なら、どのような刑にするべきかを判断して頂きます」
度の強い眼鏡の奥で、新島裁判長さんの優しそうな瞳が微笑みます。
「皆さんの中から、裁判員6名、補充裁判員2名が、コンピューターの抽選で選任されます。お知らせした通り、今回の事件では、公判などの手続きに10日間を予定していますので、よろしくお願いします」
そう言うと、裁判官、書記官、検察官、弁護士、事務官の皆さん全員で、ぺこりと頭を下げたのでした。
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