23-6

「派手な前座でございますこと」

「母上――!」

 長身のユーディスディランは、アレグリットとケリートルーゼを取り囲む人垣の後方に、いち早くドロティーリアの姿を見つけて声を上げた。サロンの入り口側に垣根を作っていた人々は、慌てて左右に分かれ膝を折って、王后のために道を作る。


「あらあらあら、今さら何だというのかしらね?」

 異国情緒溢れる、南方風の刺繍が施された瑠璃色の夜会着を纏い、金と翡翠の宝飾品と孔雀の羽根飾りを付けて来場したドロティーリアは、その場から一歩も動くことなく、髪飾りと揃いの羽根扇を広げて、これ見よがしに翻した。

「あたくしねえ――、あたくしの到着を、誰にも注目されないなんて屈辱、生まれて初めて」


 ぴしゃりと扇を閉じてドロティーリアは、不満げに辺りを睥睨し、真夏の怪談以上の戦慄を人々の背に走らせてから、作られた道の先にいる、ひときわ硬い表情をした二人の令嬢を視界に入れて、片方だけを呼んだ。


「アレグリット」

「はい」

「不愉快だからこのまま帰ります。王宮まであたくしの供をなさい」

「はっ、はい」

 予期せぬ命に、焦りながら返答をしたアレグリットのその奥で、いきなり手の平を返されたケリートルーゼは絶望的に喚いた。

「ドロシー様! あたくしとのお約束はっ!?」


「ケリートルーゼ」

 ずしりと重く険しく、ケリートルーゼに呼び掛けたドロティーリアの声音は、そして口調は、常日頃の遊び好きな王后のそれとは大きく違っていた。

「此度のことといい、昨日の記事といい、アンティフィント家はサリフォール家を貶めるつもりで、真実誰を愚弄したのかわかっているのか? 一同の者も、これらの話題をくどくどと取り沙汰すならば、全員まとめて王家に対する不敬を糺すことになるがよいか?」


 それは、ケリートルーゼを頭とする人々の、口を閉ざさせずにはおれない糾弾だった。

 ザボージュが恋敵であるサリフォール家の庭師に、痣が浮かぶほど強かに殴られた、といった点に関しては、たいそう同情的であったドロティーリアに、王姉を罵るような悪たれ口を聞かせてしまったことは、ケリートルーゼの慢心による不覚であった。



「さあ、早くおいでなさい、アレグリット」

「はい」

 ドロティーリアに急かされて、しかしアレグリットはすぐさまそちらに駆け寄ることはせず、その前にくるりとユーディスディランに向き直った。


「殿下」

「ああ」

「わたくしは『王后陛下の人質』、陛下が来よとおっしゃるならば参らねばなりません。お誘いたいへん嬉しゅうございました。殿下と観劇をご一緒できるのを、暦を眺め指折り数えて、毎日毎晩楽しみにしておりました……。お名残惜しゅうございますが、今宵はこれにて失礼を――」


 アレグリットは完璧な作法で美しく一礼し、寂しさを堪えるように笑んでユーディスディランを見上げてから、しかしその真情溢れる顔ばせを、他者には一欠片も向けることなく、軽やかに踵を返してドロティーリアの後に続いた。


 意外なまでの激しさと。その最中にも失われない明敏さと。思わず引き止めたくなるような可憐さと。

 それらを強く、ユーディスディランの胸に刻み付けての、堂々たる退場だった。綺羅星の並ぶ場所であるはずなのに、アレグリットの去ったサロンは、あたかも星が消えた夜のように、暗く寥々りょうりょうとして感じられた。



*****



「み、皆様、そろそろさ、桟敷へ……、ご案内を申し上げたいのですが……」

 王后とアレグリットの見送りを終えて、土気色の顔をした総支配人が、待合のサロンへよろよろと戻ってきた。いざ観劇を――という前のめりな気分では、すっかりとなくなってしまっているのだが、ユーディスディランは己の役割というものを、打ち捨てられない王太子である。

「では、そうしてもらおうか」

 その場の空気を取り直すように、ユーディスディランは率先して一歩を踏み出すと、行き場を失くして狼狽している、ケリートルーゼに視線を流した。


「ケリートルーゼ、あなたには、母に取られてしまった連れの代わりに、私の桟敷へご同席願おう。キュベリエール、妹御のエスコートを」

「はっ」

 それは暗澹としていたケリートルーゼの、目先をぱあっと明るくさせてくれる招来であった。安堵以上の気持ちでケリートルーゼは、肘を出すキュベリエールに甘えかかった。

「キュール兄様、殿下が――」

「馬鹿、勘違いをするなよ、ケリート」

 ケリートルーゼに腕を取らせて、先を行く主君の、気苦労の多い背中を眺めながら、キュベリエールは妹を小声で諌めた。


「今後お前とどうこうなってもいいというおつもりがあるならば、殿下は私に委ねずに、ご自身でエスコートして下さっているだろう。王室桟敷を二つも空ければ、王立劇場の総支配人が、責任を感じて首を括りかねない。ご自分だって、さっさとお帰りになってしまわれたいご心中なんだろうが、殿下はそれを防ぐついでに、王后陛下に愛想を尽かされた、お前の救済もして下さろうというだけだ。

 ったくやり過ぎなんだよ、お前も、ジオも……。サリフォール家の醜聞をつつき過ぎれば、王家を刺激することになると、何故事前に気付けなかった? 邸に戻ったらジオに言っとけ、号外を出す前に、殿下の沽券に係わるような一文を添削させなかったことについて、キュールがかんかんになっていた、と。王家へのおとりなしは私がする。お前もジオも、ついでにボージュも、これ以上何もしてくれるな」


 王家に近しいキュベリエールの、忠言は非常に厳しかった。

 しゅんとしたケリートルーゼは、急場凌ぎの王太子の同伴者を笑顔無く務め、ここにおいて王太子妃候補から脱落をする。



 こうして、急速に終息を迎えたかに見える波瀾は、しかし劇場の外へと持ち越されていた。

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