18-2
「面倒な者を連れて来てしまい申し訳ありません。しかし叔父君はお優しくていらっしゃる。父の犬と見抜かれたなら、問答無用で出禁にして下さってもよろしかったのに」
シュドレーと、足取り重く連れられてゆくレギーオを眺めながら、ザボージュはグネギヴィットにそう詫びた。冷淡な物言いに、グネギヴィットは首を傾げる。
「ご友人でいらっしゃるのに?」
「悪い遊びの友ですから。あなたが私を構って下さるならば、する必要のないような」
つまるところ、レギーオは、ザボージュの女遊びの仲間であったということか。さして困っている風には見えないが、ザボージュの放蕩ぶりを良く知るであろうレギーオは、彼にとっても傍迷惑であるのかもしれない。
「ペンを武器になさっている方を、無下にしますと後から怖いもの。お父上とも懇意になさっているならば尚更に、当家としては手厚いもてなしをさせて頂かなくては。ですが、ザボージュ、わたくし自身が心尽くしをしたい方は、こなたにいらっしゃいます。軽食の用意がありますので、休息がてらにいかがですか? 荷解きにはしばらく時間がかかるでしょうから、それまで」
レギーオから気を逸らさせるようにして、グネギヴィットはザボージュを誘った。
ザボージュの荷物の整理をするのは、彼が連れてきた従僕と、ソリアートンが選んで付けた客室係の仕事だ。シュドレーのように、こだわりがあって指図をしたいというなら話は別だが、ザボージュが手ずから行うようなことは何一つ無い。
「それはいいですね。ありがたく頂きましょう」
「では、こちらへ」
案内をしようとしたグネギヴィットに、ザボージュはにっこりと右肘を差し出した。そうするのが当たり前といった慣れた態度である。仕方が無いのでそれに手を添えて、グネギヴィットもエスコートを受けてやる。男の腕にそれ以外の部分が触れぬよう、淑女らしく適度な距離を保って。
「マリカ」
「はい。ご案内致します」
呼び掛けだけで主人の意を汲み、先導するマリカに続いて、グネギヴィットとザボージュは、グネギヴィットの専用庭に面した例の客間に向かった。
*****
侍女たちの給仕を受けて、サンドイッチや焼き菓子を摘まみつつゆるゆると閑談し、ほどよくお腹が膨れたところで、ザボージュの客室整理が完了したとの報告がグネギヴィットに届けられた。ザボージュの荷物がそう多くは無かったために、グネギヴィットが考えていたよりも、ずっと早くに終わった模様である。
「晩餐まで、客室でお寛ぎになられますか? いささか時間がございますので、ご興味がおありでしたら、どこか別の場所へお連れしても構いませんが」
置時計を確かめてグネギヴィットは尋ねた。彼女を前にご機嫌なザボージュは、絶えぬ微笑みを唇に乗せたまま、ナプキンでそれを拭って軽く身を乗り出した。
「たいへん興味深い場所ならございますよ。こちらへ寄せてもらっている間、毎日毎晩入り浸ってもよいくらいに」
「どちらですか?」
「グネギヴィット、あなたの私室」
厚顔無恥なザボージュの要望にグネギヴィットは呆れた。男が女の部屋に入れろというのは、性的な関係を結びたいと言っているのと同義である。酒に勢いを借りたユーディスディランもそうだったが、全く男というものは、そういうことしか頭にないのか。昼日中から素面で言ってしまえる分、ザボージュはより
「それはなりません。入れてよい殿方は親族までの決まりです。あなたのお
貴族女性の言う『殿方』に、使用人は含まれない。グネギヴィットの私室に立ち入ったことのある男性使用人は、ソリアートンに庭師長といった爺やたちに限られるが。
「ははは、その通りです。煩いですしね、ケリートは。私と、それに次兄のキュールはそれほど邪険にされておりませんが、父と長兄のジオは、めったなことでは入室させてもらえないとぼやいておりますよ。臭くなるから嫌だそうで」
断られるのはわかり切っていたことで、グネギヴィットの真面目な答えにザボージュは朗らかな笑い声を上げた。
身持ちが堅いからこそグネギヴィットはよいのだ。ユーディスディランとの交際経験があっても――相手が紳士な王太子だったから、ともいえるが――『
「羨ましいお話です。わたくしにはもう、邪険にできるような父も兄もおりませんから。頼もしいご家族に囲まれていらして、お幸せですね、ケリートルーゼは」
ごねることも無くザボージュが、自然な流れで話題を転じてくれたので、グネギヴィットもそれに乗った。父のことはさておき、シモンリールを邪険にするような自分は想像もつかないが。
「ケリートにも、ぜひともそのありがたみをわかって欲しいところです。キュールは普段王宮に詰めておりますから、父やジオの焼きもちが、全てこちらに回ってきますもので面倒なのですよ。二人とも妻帯者なのだから、ケリートにでれでれしていないで、自分の妻を可愛がっていればよいのに」
「仲がよろしいのですね、ケリートルーゼと」
これまで、煩わしい政敵としか意識したことのなかったアンティフィント公爵家の、人間臭い家庭の様子が伝わって、グネギヴィットもつられて笑んだ。社交界で、薔薇のように人目を集める華やかさそのままに、一人娘のケリートルーゼが家族の中心なのだろう。
「似ていますからね、ケリートと私は。顔の作りもそうですが、自分が好きなところまで。我々の
きらきらと輝く笑顔を浮かべ、ザボージュはそんなことを言う。呼吸をするように簡単に紡がれるザボージュの『好き』は、薄っぺらく聞こえて恐ろしく本気であるのだと、彼の詩集を読了したグネギヴィットには伝わってくる。
「……ものすごく好きだと言って頂いた気分ですね。あなたはわたくしの外見が、そんなにお好きなのですか?」
「好きですとも、グネギヴィット。美しいものが私は好きです。そしてあなたは誰よりも美しい。一目見て忘れられなくなったのは、後にも先にもあなただけです」
「先のことは、まだわからぬのではありませんか? それに、今は美しく見える花であっても、いつかは萎んで枯れてしまうもの。見るに耐えなくなってしまいましたら、後は捨てるだけにございますか?」
ザボージュの恋慕の理由は非常にわかりやすい。それだけに、醒める理由も想像がつきやすい。辛辣に問うグネギヴィットに、ザボージュは詠うように答えた。
「花はいつしか散りゆくもの。
「ええ、私の前は母のものでした。母の前は祖母が、その前は曽祖母がと、代々の当主夫人が受け継いで、サロンを開いてきた客間です。今日はシュドレーに譲った当主の客間より、家具調度も、庭の眺めも、居心地も、わたくしはこちらの方がずっと気に入っていますので、主に使っているのですが……。何故、ご存知なのですか?」
「それはグネギヴィット、子供時代に一度だけですが、私がこなたの城へ伺ったことがあるからですよ。あなたの母君を訪ねる母に連れられて」
「そう……なのですか?」
グネギヴィットにはまるで覚えが無い。それもそのはずで、王都で披露目を済ませるまでグネギヴィットは、年の近い異性には、従兄弟にすらたまにしか会うこと無く深窓に育てられた。
アンティフィント公爵夫人ともなれば相当な賓客だが、称号を等しくしていても、王家の出であるマルグリットの方がやはり格上。子供とはいえ、縁談を考慮に入れねばならない身の上の男子と、教育方針を捻じ曲げて、引き合わされることはなかったということだろう。
「あなたの知らない、昔話を致しましょう、グネギヴィット。あなたの私室に立ち入るのは、今日のところは諦めます。代わりに庭を見せて頂けませんか?」
「庭を、ですか? 空模様はあまり芳しくありませんが……」
天気のことはもちろんだが、そこがルアンの仕事場であるということが、グネギヴィットを渋らせた。うっかりと彼の姿を目に留めてしまって、ザボージュの前で、なんとか平常に保って見せている心を、乱してしまいたくは無い。
やんわりと断ろうとするグネギヴィットに、けれどもザボージュは、懇願するように食い下がった。
「それでも是非に。おぼろげな記憶を辿って歩いてみたいのです。子供の足で行けるところまでですから、ここからそう遠くにはならないでしょう」
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