第十八章「詩人」

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 気持ちの整理を付けられぬまま、容赦なく日は過ぎた。

 自分で自分に誓った通りに、グネギヴィットはあの夜以来、泣くことをぴたりと止めていたが、相惚れしているとわかったばかりの恋は、そう簡単に消えてはくれない。

 ザボージュが来る。来てしまう……! 自分で自分の首を絞めるとは、こういうことなのだろう。王都で交際の申し込みを受けた日には、こんな風になるなんて思ってもみなかった。


 裏切りを働いているようで、ひどく後ろめたい気持ちがするのは、ザボージュに対してか、それともルアンに対してなのだろうか……? 政略の邪魔になる、心など失くしてしまえればいいのにと、その時が迫るにつれグネギヴィットは憂鬱になる。家の為に自身をも、駒として扱うサリフォール家の当主が、心のままに生きることなどできはしないのだから。



*****



 ザボージュの到着当日、マイナールの空はあいにくの曇天だった。

 何かと張り合いたがる【南】サテラ州公の子息を、最高の状態で迎えたかった【北】エトワ州城の面々だが、天候ばかりは如何ともしがたい。

 エトワ州城の北棟の馬車回しで、グネギヴィットはシュドレーと並んでザボージュを出迎えた。本日のグネギヴィットは露草色のドレスを纏い、緩やかに髪を結い上げて、楚々とした貴婦人の出で立ちである。


 アンティフィント公爵に見栄を張らされて、仰々しい行列で来るかとグネギヴィットは予想していたのだが、意外や意外、ザボージュは荷物の量も随行者の数も、体面よりも身軽さ重視で最小限であった。

 なかなかに出来の良い『家付き』『役付き』の兄たちがいて、溺愛される妹がいて、放任されたと思しい『顔だけ』の三男は、父親との関係が希薄であるのかもしれない。



「グネギヴィット!」

 横付けされた馬車の中から、喜色を露わに飛び出してきたザボージュは、それでもやはりきらきらしかった。眩いばかりの黄金色の髪に、明るい表情が相まって、まるで金粉を撒いているのではないかという華やかさである。

「ようこそいらせられました、ザボージュ。お元気そうでいらっしゃいますね」

「あなたのお顔を見れば、旅の疲れも吹き飛ぶというものですよ、グネギヴィット。ああ、どれほど今日が待ち遠しかったことか……。本日も誠にお美しい」


 ザボージュはうっとりとそう言って、差し出されたグネギヴィットの手を取り、その甲に恭しく口付ける。瞬間身体を硬くしたグネギヴィットの脇で、微笑みながら睨みをきかせるシュドレーの手前か、ザボージュは今回のところは悪さをせずに済ませてくれた。


「叔父君にも、お久しぶりです。エトワ州立劇場で遊ばせて頂いた、いつぞや以来でしょうか」

「そうだね。劇場の方でも貴公にお楽しみ頂けるよう、催しを用意させてもらっているよ。エトワ州城へようこそ、ザボージュ殿」

 和やかに言葉を交わし、男二人は握手をする。相手の背後をちらりと眺めやって、シュドレーは続けた。

「ところでね、事前に伺っていたよりも、随行者が多いようだけれど、これは一体どういうことかな?」


 それはグネギヴィットの気にもなっていた。従僕と護衛で構成されているはずのザボージュの供の中に、そのどちらでもなさそうな身なりの青年が一人いて、ザボージュの馬車に同乗してきた彼は、他の者たちよりも前に出て畏まっていた。知人ではないのでうろ覚えだが、王都の社交の場で幾度か、見かけた顔のような気がグネギヴィットにはしている。


「ああそうでした。予定になかった悪友が、無理やり同行してきてしまいましてね。宿はマイナール市内に取らせましたが、挨拶だけさせろと言ってきかないので、よろしければ紹介させて頂きたく」

「どうしたものかね? ガヴィ」


 勿体を付けて、シュドレーはグネギヴィットに判断を仰いだ。もっとも、エトワ州城の城主としても、訪問を受けた当事者としても、グネギヴィットの口から答えるべき事柄ではあるのだが。


「挨拶くらいなら伺いましょう。わたくしもザボージュの交友を知っておきたく存じます」

「あなたに見知り置いて頂くほどの者でもないのですが……。おいで、レギーオ、グネギヴィットのお許しが出た」


 悪態じみた前置きをしてから、ザボージュは指先で友を招いた。レギーオと呼ばれたザボージュの悪友は、足早に彼の隣に並ぶと、グネギヴィットとシュドレーに向け、宮廷儀礼に則ったお辞儀をしてみせた。


「ご尊顔を拝し奉り、恐悦至極に存じます、サリフォール女公様、並びに叔父君様。図々しく押しかけまして申し訳ございません」

「ようこそ、と申し上げておきましょう。突然のお越しであっても、わたくしはザボージュのご友人を歓迎せぬものではありません」

「ありがたき幸せにございます、白百合の御方おんかた


 もう一段、深々と礼をしてから、レギーオは身を起こした。礼儀に適った挨拶ではあるが、招待どころか先触れも無く、サリフォール女公爵を訪ねて来られるだけの、ふてぶてしさを感じさせる面構えをしている。


「これなるは、レギーオ・ヴォ・ベサレジナと申します。私の詩集を発行しているデオリ社の者です。グネギヴィットの近くにあれば、大量に発生するであろう書き散らし文の回収をさせろと、強引について来てしまいまして」


 悪友を紹介しながらザボージュは苦笑した。

 デオリ社は王都クルプワに本社を置く、アンティフィント家が資本の五割以上を出資している出版社である。そして、ヴォ・ベサレジナ――ベサレジナ伯爵家は、【中央】マルト州内のいずれかの領を治める領伯の家系であった筈だ。

 なるほどレギーオは、王都に知的職業と縁故を求めて上った、地方貴族の次男以降の公子といったところだろうか。出版社に勤められる才があるならば、さぞやザボージュと馬が合うことだろう。


「ザボージュはその時その時に、上手く詩を書ければそれだけで満足で、集めれば本にできるような原稿まで、うっかりすると捨ててしまうものですから。締め切りなんてろくに守ってくれませんし、ふらりと姿を晦ましてしまうことも度々で、編集者は苦労させられ通しなのですよ」


 レギーオはしみじみと、仕事付き合いもある悪友らしい暴露話をしてくれる。詩作によって食い扶持を稼ぐ必要のない、公爵家のお坊ちゃま詩人は、グネギヴィットの想像を超えた自由人であるらしい。


「縁談の足を引っ張りに来た悪友が何か申しておりますが、勝手にこなたの州城から抜け出すことは致しませんよ、グネギヴィット。せっかく愛しいあなたのお傍におれますのに、時間を無駄にするなどもったいない」

 それは今夏、浮気なんてしませんよ、という、ザボージュの宣言と受け止めてよいのだろうか? グネギヴィットは曖昧に微笑した。


「そういうご事情なのでしたら、レギーオ様も、最初からザボージュの同行人としてお越し下さればよろしかったものを。お仕事でおいでになったならば、ザボージュの滞在予定と合わせて、マイナールに逗留されるおつもりなのでしょう?」

「はい、まあ。そうしたかったのはやまやまなのですが、何しろこちらの大先生が、出版社の人間に張り付かれていては、たとえ女神が傍にいようとも、創作意欲が家出したまま迷子になるとのたまいますもので……。そういった訳で、サリフォール女公様には、時々ザボージュを訪ねてエトワ州城へ寄せて頂くのをお許し願いたいのです。この先長いお付き合いになるかとも存じますし」


 今後レギーオと付き合いを持つかどうかはまだわからないが、グネギヴィットはザボージュの詩人活動を妨げるつもりはない。編集者との縁というのは必須だろう。

「左様でございますか。それだけでよろしいのなら――」

「ああ、思い出した!」

 客人の応対をグネギヴィットに任せ、しばらく何やら考え込んでいたシュドレーが、彼女の言質を遮るようにして大きな声を上げた。


「シュドレー叔父上……?」

「いや、失礼。レギーオ・ヴォ・べサレジナ、というのは、いつか何かで記憶した覚えのある名だと思ってね……。思い出した、レギーオ殿、貴公の本業は、ザボージュ殿の担当編集者ではなくて、『【笛吹き小僧】フィアルノ新聞』の宮廷記者だろう? あれも確かデオリ社の刊行物だ」


 シュドレーの指摘に、グネギヴィットはぎくりとした。

 フィアルノというのは、デレスの民話において、笛を吹いて人を集め、あることないことを面白めかして吹聴する、小僧姿の悪戯妖精の名前である。しゃらくさいその名を付けた『フィアルノ新聞』は、国内外の扇情的な事件や醜聞を、嘘を取り混ぜ大げさに取り扱う娯楽誌だ。

 半分は作り話と思って読めば、情報源としてそれなりに優秀だが、何度となくネタにされたグネギヴィットには、正直あまり覚えのめでたくない新聞である。当然その記者に対しても、良い感情は持てない。


「叔父君様には、ご存知でしたか。デオリ社は慢性的な人手不足で、宮廷記者の私が、文芸部の編集者を兼ねざるを得ない有様でして……」

 ばつの悪い顔つきをしながら、レギーオはなまじ嘘でもない言い訳をした。一筋縄では行かないザボージュの担当編集者が、かなり人を選ぶ職務であることは事実である。


「その慢性人手不足の状態で、巻頭を飾る記事を書けるような優れた記者殿が、王太子妃選びで盛り上がる王都から離れ、マイナールくんだりまで来られていてもよいものかねえ? デオリ社の大株主は、記事にする内容から人事に至るまで、相当な発言権を持っていると見える。『フィアルノ新聞』は王都住まいの姉に頼んで、購読させてもらっているよ。偏向と脚色があまりにも酷いから」

「いや、これは、手厳しいですなあ」


 冷や汗を噴くレギーオに向けて、シュドレーは笑わぬ目をしてにこやかに言う。

「レギーオ殿、貴公のお相手は私がしよう。姪の私生活は売ってやれないけれど、デオリ社の記者兼編集者にも、ザボージュ殿の悪友にも、伺ってみたいことはたんとある。ガヴィ、一門のみなが集まるまで、ザボージュ殿の応接は一人でできるね?」

「はい。わたくしはいつもの客間を使いますので、叔父上は当主の客間をご使用になって下さいませ。ソリアートン、こちらにはマリカたちを付かせる。お前は叔父上の御用をお伺いして」

「畏まりました」


 自分の意志の確認もなく、とんとんと進められてゆく話に、レギーオは慌てて断りを入れた。

「いっ、いえいえいえいえ、今日のところは、私はこれにて――」

「私の誘いを固辞するなら、二度とエトワ州城に出入りはさせないよ、レギーオ殿。姪はこれでも箱入りでね、世間というものにまだまだ疎いところがある。親代わりの私から逃げ出すような御仁とは、誼を通じさせてやれないからね」


 シュドレーに追い詰められ、レギーオは仕方なしに降参した。アンティフィント家の間者としては、エトワ州城への出入り禁止を食らわされるか、サリフォール家の道化師に情報を絞り取られるかの究極の二択で、後者を選ばざるを得なかったというところだろう。

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