17-2

 一方その頃。

 同じエトワ州城の中庭の別の場所で、ルアンはせっせと箒を動かし、落ち葉掃除をしていた。

 昨日、散々な別れ方をしてしまって、当然の如くグネギヴィットとの約束は無い。


 ルアンはずっとひた隠しにしてきた本心を、肝心な言葉を省いて明かしてしまったことを悔やみ、そして、迂闊にも彼女の親族と接触してしまったことで、グネギヴィットに何か不都合を与えていないかと気に病んでいた。

 グネギヴィットの忘れ物の日傘を、彼女の専用庭の目立つ場所に置いておこう、という愚かな考えを起こさずに、まずは庭師長に渡して順送りに本人へ、届けてもらえばよかったのだとルアンが気付いたのは、シュドレーに咎められた後のことである。


 この先もう、今までのように、会えることはないのかもしれない――。


 あれからグネギヴィットの身に何が起こり、彼女が何を決断していたのか、ルアンには知る由もなかったが、なんとなくそうなる予感はしていた。何しろ自分は、使用人の分際で、主人に邪な気持ちを抱くような『大馬鹿者』なのだから。それを知ってしまった上で、縁談を進めようとしている女公爵が、近寄らせたい存在ではないだろう。

 そんな風に思っていながら、州府の終業の鐘の音を聴くと、そわそわとしてしまう自分がいる。


 ああ馬鹿だ。本当に馬鹿だ。大馬鹿者で間違いない……。


 ルアンは心の内で自分自身を罵りながら、あるはずのない期待を打ち消すようにじゃかじゃかと庭を掃く。できるだけグネギヴィットのことを考えずにいるためには、とにかく仕事に没頭するより外なかった。



 そんなルアンの背後に、そっと忍びよるようにして、人の気配が立った。

「ご精が出ますね」

 聞き付けない女声にルアンが驚いて振り返ると、見覚えのある若い侍女が、ルアンのびっくり眼を捉えてにこりと笑った。

「こんにちは。お久しぶりです、ルアンさん」

「こんにちは。ええと……、ミリアさん、じゃなくて、マリアさん、でしたっけ……? 公爵様の侍女さんじゃないですか、どうしたんです?」


 おぼろげにそれらしい名を覚えていただけでも、ルアンにしては上出来であったのだが、その残念な内容に、侍女はむうと膨れ面をした。

「あらひどい。ミリアでもマリアでもなくて、私の名前はマリカですよ。マ、リ、カ」

「すみません、マリカさん。マリカさん、マリカさん……と、今度こそ覚えました」


 多分。とルアンは心の中で付け加えておく。マリカとの初対面は数カ月も前のこと。話しかけられたのは今回で二度目だ。普通にしていれば、限りなく接点の低い侍女の顔と名前を、いつまでも一致させておく自信なんて無い。


「もう。その調子だとルアンさん、私がまた声を掛けますねって言っておいたことも、私と一緒に遊びに行きませんかってお誘いしたことも、すっかりお忘れになっています?」

「えーと、それは、覚えています、はい。ありましたねそういうこと……」


 そのおかげで、王都へ旅立つ前のグネギヴィットにわけのわからない拗ね方をされてしまって、機嫌を直してもらうのに苦労した記憶がルアンには鮮明に残っている。マリカに誘われたことよりもそちらの方が、何倍も何十倍も思い出深い。


「それじゃあどうするかは、考えて下さいました? そうそう、私の次のお休みはですね――」

「ち、ちょーっとばかし待って下さい、マリカさん!」

 畳みかけるようにして話を進めようとするマリカを、ルアンは慌てて遮った。最初に誘われたその時には、ぽかんと見送ってしまったが、悩むまでもなくルアンの返事は決まっていた。


「駄目ですよ、そういうのは、本気で好いたお人とじゃないと。嫁入り前の娘さんが、よく知りもしない男と、二人で出掛けるなんていうのはよくないです」

 ルアンの説教臭い断り文句に、マリカはしばしあっけにとられた。実にお堅いというか古風な思考である――悪くないが。


「真面目なんですね、ルアンさんて」

「真面目っていうか、そういうもんじゃないんですか?」

 少なくとも、ルアンの中にある、男女交際についての常識ではそうなのだ。そしてマリカの常識とは、いささか食い違っていたらしい。


「確かにルアンさんは、まだ私の好きな人ではないですけれど、好きになれそうな人だからではいけません? ルアンさんのこと、よく知らないから私、もっとよくお知り合いになりたくてお誘いしているんですけれど。それに、真面目な考えをお持ちのルアンさんですもの、嫁入り前の私と出掛けても、おかしなことにはなりませんよね?」


 自分より、ずっと小作りなマリカに上目使いで見上げられ、じりじりと迫られてルアンは困った。マリカと自分の間に箒を突き立てて、しどろもどろになりながら、己の心に正直に、なんとかかんとか返答する。

「ええとだから……、せっかくマリカさんにそう言ってもらっても、俺の方でどうしたって駄目なんです。 俺にはその……、すごく好きな、好きでしょうがない人がいるもんで……。本当にすみませんごめんなさい」


 他人はきっと呆れ返るだろう。

 けれども、決して手の届かないグネギヴィットであっても、彼女への大きな想いを抱えたまま、ルアンはマリカの誘惑に乗る気にはなれなかった。少しも気持ちを動かされていないのに応えてしまうのは、マリカに対しても失礼だと思う。


「そう、ですか」

 弱腰な姿勢ではあるが、一本気なルアンの答えに、マリカは媚びるような表情をすっと消した。かと思うと、それまでとは全く違う燃えるような眼差しで、きっとルアンを睨みつけてきた。


「マリカさん……?」

「ああもうっ! どうしてそんな理由で断っちゃうんですか!? そんなこと聞かされてしまったら、私ルアンさんに、意地悪したくてもできないじゃないですか!」

「はい?」


 呆然とするルアンを前に、マリカはぴしりと佇まいを正した。公爵令嬢時代からの、グネギヴィットの側仕えとして、多くの賓客に応対してきた、秀でた侍女の顔つきで厳かに告げる。


「公爵様から、ご伝言です」

「え?」

「『もういいよ、ありがとう』と……、グネギヴィット様は、庭師のルアンさんに、それだけ伝えて欲しいと仰せられました」

「『もういい』、ですか……」


 途端に、無気力と寂寥感がルアンを襲った。

 はっきりとそう言われるまでもなく、マリカをこうして自分のもとへ遣わせたことこそが、グネギヴィットの意思表示なのだとルアンは感じた。秘密はもう、二人だけのものでは、なくなってしまったということだ……。


 それがどんな紆余曲折を経て、マリカの口から今自分に伝えられることになったのかわからない。しかし、きっかけを作ってしまったのは、昨日の自分に違いないとルアンは思った。

 あんなにも怒らせて、さらには、途方もなく驚かせてしまったのに、『ありがとう』と……。最後にグネギヴィットが、感謝の気持ちを添えてくれたことを、せめてもの喜びとしてルアンは胸に仕舞った。

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