第十六章「露見」

16-1

 一体ルアンは、どうしているというのだろう?

 グネギヴィットが王都から帰り着いた日の別れ際、次の目印に――とルアンが指定したのは姫向日葵という花だった。

 それはいわゆる日輪草よりも、ずっと丈の低い小さな品種の向日葵で、州城の庭に初めて植えた花だから、是非とも見に来て欲しいのだとルアンは語った。

 そのようにルアンが、熱さを見せてくれるのは珍しいことであり、なかなかにグネギヴィットの胸を弾ませてくれる、積極的な約束であった筈だ。


 連日の落胆を味合わされながら、グネギヴィットは可愛らしい向日葵が咲く花壇の前に、しぶとく毎日通い詰めていた。ひょっとして、場所を聞き間違えてしまったのかもしれないと、同じ花がどこかに植わっていないか探してもみた。

 そうしてずっとルアンに会えぬまま、グネギヴィットは、とうとうシュドレーが州城入りをする日を迎えてしまった。


 残念なこと極まりなかった。

 シュドレーは夕食の時刻に合わせて、【北】エトワ州城を訪れる予定である。

 加えてローゼンワートも、シュドレーと一緒に今日の仕事終わりから、北棟へ家移りをすることが決まっていた。荷物は既に運び込ませているらしいので、あとはローゼンワート自身を、一緒に働くグネギヴィットが連れ帰るのが妥当だろう。



 鬱々とするグネギヴィットの気持ちを反映したものか、この日の政務は遅々として捗らなかった。

 とある事業の予算繰りにつまずき手こずり、グネギヴィットが苛々としていると、終業の鐘が鳴り響くやいなや、ローゼンワートがその手の内から見積書の束を取り上げた。


「何をする」

「先に北棟へお帰り下さい、グネギヴィット様。夕食前にお召し替えの時間が必要でしょう」

 ぱらぱらとそれらを捲り、削れる個所を探しながら、ローゼンワートはそう言った。

「残業を肩代わりして差し上げる埋め合わせは、綺麗に飾ったグネギヴィット様のお姿で結構です。私は鏡の前で襟を正す程度で済みますから」

「……悪いね」


 ローゼンワートの申し出を、グネギヴィットは素直に受けることにした。今夜の夕食は、シュドレーを迎えローゼンワートを同席させての晩餐となる。ローゼンワートの言う通りに、グネギヴィットは今の男装を、貴婦人の装いに改めて臨むのが正解だろう。

 それに何よりも、今から出れば、一人きりで中庭を散策してゆく時間がとれる。ザボージュが来る前に、ルアンと『気晴らし』ができるかもしれない、これが最後の機会だった。


「わたくしの馬車を、御者と一緒に置いてゆくから来る時に使いなさい。仕事を片してもらえるのはありがたいけれど、シュドレー叔父上をお待たせしないよう気をつけて」

「承知しました」


 ローゼンワートに後を託して執務室を離れると、グネギヴィットは兄の形見の黒衣に合わせた、黒い日傘を開いて中庭に出た。たとえ男装をしていようとも、白肌は焼いたりしないのが貴婦人の鉄則だ。それはグネギヴィットの、政務終わりに行う夏の散策の必需品であった。



*****



 あとの予定を考えれば、あまり悠長にしてはいられない。何度も足を運んだ、姫向日葵の植わった場所には最短距離でゆく。今日もルアンはいないのだろうか……? そこにも、ここにも、あそこにも……、――いた!!

 きょろきょろと辺りを捜し、がっかりしかけたグネギヴィットの視線の先で、ルアンは庭にしゃがみ込み、ぶちぶちと草をむしっていた。特徴的な胡桃色の癖毛は、今日も帽子代わりの手ぬぐいで覆われている。


「ルアン」

 その小さく丸められた大きな背中に、自分の影を落としながら呼びかけると、ルアンは何か観念したような顔つきで、肩越しにグネギヴィットを振り返った。

「いらっしゃい、公爵様」

「不自然にして目立っていろ、とは言わない。だけどどうしてそんな、見つけにくい上に、誰だかよくわからないような状態で待っているの? 今のわたくしでなかったら、ルアンだって見抜けなかったかもしれないぞ」


 もしも一年前のグネギヴィットであったなら、それがルアンだという確証を持てずに、近づくことなく素通りをしてしまったかもしれない。会いたくて会いたくて会いたくて……、ようやく会えたというのにだ。


「どうしてもこうしても、公爵様。花木が育つこの季節には、雑草はさらに強く逞しく育っちまうんですよ。油断してるとどえらいことになっちまうんです」

 グネギヴィットに答えながら、ルアンは何だかいじけているような体勢のまま、彼女から視線を逸らし草むしりに戻った。その傍らには、引っこ抜かれた雑草が、既に山となっている。


「それはまあ、ぼさぼさと雑草のはびこる庭なんて、見られたものではないものね」

「そうでしょう」

「だけどルアン、それは抜いてはいけない花ではないの?」

「あ」

 その時ルアンの手は、姫向日葵と一緒に花壇を飾る、橙色の万寿菊を引っこ抜こうとしていた。慌ててそれから手を放し、花を痛めていないか確かめる。


「何だか様子がおかしいね。何かあった?」

「何か、は……」

 ルアンは『何か』を言いかけ、けれど打ち消すように首を振った。そうして諦めたように立ち上がると、襟元に挟みこんだ手ぬぐいで汗を拭き、グネギヴィットに向き直った。


「何かあったのは俺じゃなくて、公爵様の方じゃあありませんか。いきなりに、お婿候補の人を、州城にお誘いして来られるとか」

「確かにそうだ」

 グネギヴィットは薄く笑い、腰を据えてルアンと話すため、近くの木陰に入って日傘を畳んだ。日傘は自分の身体に並べて、その幹に立てかける。

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