15-2

 ソリアートンが色鮮やかに淹れた紅茶の白磁に、マリカが愛想という名の甘味を添えてくるくると配って回る。「茶請けは王都の土産話」というのは、グネギヴィットの言葉の綾で、卓上の銀盆に並べられているのは、紅茶に浮かべても楽しめる柑橘風味のマシュマロと、歯触りのよい巴旦杏はたんきょう入りのビスケット。それから、きんと冷やした切子の器に飾られた、目にも涼しい水蜜桃の冷菓である。


 その珍しい嗜好品が全員の手に行き渡り、談議を生む喉をたっぷりと潤したところで、すっかりと好物の茶に釣られ、機嫌を直したバークレイルがおもむろに切り出した。


「してグネギヴィット、わかっておろう? 今一番のわしらの関心事が、アレグリットの披露目の成否であると。なれど姿が見えぬようだが、あれはまた夏風邪でもひいておるのかね?」

「いいえ」

 食べかけの冷菓が乗った切子を置いて、グネギヴィットはレースの扇をぱらりと開いた。


「アレグリットは、わたくしに不行き届きがありましたお詫びにと、王后陛下へ人質に差し出して参りました」

「なんと!」

 ざわめく一座。当然の反応である。グネギヴィットは涼しい顔を作って言葉を続けた。

「但しそれは、表向きの話。内実にはアレグリットを、王太子妃候補の一人として、他家の姫たちと競わせるべく王都に残して参りました。アレグリットはただいま、メルグリンデ伯母上の後見と監督もと、勉励しながら王宮へ伺候しております」


「王、太子妃、候補、とな……?」

「はい」

「王都よりそなたの持ち帰った、美味なる話というのはそれか?」

「ええ。思いも寄らぬ朗報にございましょう?」

 我ながら厚顔なはったり――。扇の下に、胃の腑の締まるような内心を隠しながら、グネギヴィットはバークレイルに笑みを向けた。


「おっ、思いも寄らなすぎて冷や汗が吹いたわっ! グネギヴィット、そなたの倫理観は、一体全体どうなっておるっ!?」

 ちゃぷりと音を立てそうな茶腹を揺らして、バークレイルは声を荒げた。妻がそうっと差し出してくれた手巾ハンカチを奪い、じっとりと不快に湿った額を忙しなく押さえる。


「至って健全、なつもりですが? バークレイル叔父上におかれては、わたくしがいつまでも王太子殿下に執心し、妹に嫉妬して、この機をふいにしてしまうのが正しいと?」

「そうは言っておらん。だがグネギヴィット、そなたそんな、恥知らずな……! いかに終わったこととはいえ、世間はそなたとユーディスディラン殿下との恋仲を、なかったことにしてはくれんのだぞ。かねて殿下を袖にしたそなたが、妹を代替えにという浅ましい色気を見せては、他家からは非難ごうごうであろうに!」

「ですからこそ、甘んじて受け入れた罰であり、人質扱いというわけではありませんか。わたくしは王后陛下にあがないを迫られて、泣く泣くそれに従ったまで。そしられる謂われはございません」


 それは全くの事実であったので、グネギヴィットは扇を下して強気に返した。たとえ不満に感じる者がいたとしても、王后の決定にけちはつけられない。ドロティーリアから罰を受けた『おかげ』で――王后もおそらくは、その効用を見越した上で、自身の発言力を行使したものと思われる――、表面的に誹謗の声は抑えられていた。


「……何をした?」

「はい?」

「何をして参った? グネギヴィット? いかに若輩の女公爵であろうとも、サリフォール家は権門盛家。さらにそなたは、国王陛下の姪でもある。当主の妹を人質に取られるほどの因縁など、そうそう付けられてなるものか」


 バークレイルのもっともな追及に、グネギヴィットは答え渋った。白状せずに済ませられると思ってはいなかったが、意図してその告白を、先延ばしにしていたわけで。


「別段に……、たいしたことではございません。王后陛下からはまず、早めの暇乞いを責められまして、その上で、わたくしが他のお妃候補の姫君方を誘惑し、マイナールへ連れ去ろうとしたなどと、あらぬ嫌疑をかけられただけです」


 グネギヴィットの口から、『誘惑』という単語が飛び出したところで、下から二番目の叔父、エクタムーシュが派手に茶を吹いた。

 呆れる者あり、嘆く者あり、笑い出す者――これは言わずと知れたシュドレー、それにこっそりとだがローゼンワートもだ――ありで、一座はまた騒然とする。


「じゅっ、十分たいしたことであろうて! グネギヴィット、そなたはっ、女の身でありながら、何たる咎めを受けて参るのだ!! いかれた男の姿と一緒に、かかなくてもよい恥までも、王都で晒してきおってからに……!」

 目を白黒させてバークレイルは、男装の女公爵として再披露目を果たしてきた、グネギヴィットの無謀を今さらながらに嘆じた。エクタムーシュも、その背をさすってくれる妻と一緒に、ごほごほと咳き込みながら頷いている。


「わたくしとて、行き過ぎた反省はしております。ですから今日はこのように」

 飼い慣らした猫を被り、繊細なフリルの胸に両手を重ねて、グネギヴィットはしおらしく科を作った。しかし。

「今さら、遅いわっ」

「そうおっしゃられましても」


 もともとが、一門を相手取っては通用しない技である。特にバークレイルは、口を開いては女のくせにと小言ばかりを言うわりに、グネギヴィットをろくすっぽ女扱いしてくれないのでなおさらだ。


「まあまあまあ、兄さんたち、義姉さんたちも、王后陛下におかれては、可愛さ余ってのお怒りのようだから、そう悲観したものではないさ。いやあ、それにしたって、さぞかしいい男っぷりだったんだろうねえ、ガヴィ」

「本当に。王太子殿下を脅かす人気で、もててきたわけねえ、ガヴィは」


 面白がって感服をするシュドレーの意見に、そう同調してくれたのは、今現在のサリフォール家で最長老の大叔母セルジュアである。年功で一座をひとまず抑えてくれたのはありがたかったが、不敬な内容にグネギヴィットは慌てて首を振った。


「まさかそんな。姫たちがわたくしを好きだというのは、流行りの役者に騒ぐようなもので、殿下をお慕いする気持ちとは、根本的に違っておりましょう」

「あらまあまあ、ご謙遜ねえ」

「謙遜も何も、女ですから、わたくしは」

「どこで何を間違えたか、な」

 バークレイルが嫌みを言い、これみよがしな溜め息をこぼした。それにシュドレーが意見した。


「バーリー兄さんがそれを言うのかい? 今のガヴィがあるのは、他の何よりも、兄さんの飽くなき意地悪があってのものだろうに。

 まあ、それはそれとして、王后陛下に引っ張り出されてしまったからには、アレットには殿下のお妃選びを、大いに盛り上げてもらいたいと私は思うね。ガヴィが被るはずだった王太子妃の宝冠を、【南】サテラの猪娘のきんきら頭に、あっさり譲ってやるのはしゃくだしね」


「まあ!」

「なにっ?」

「シュドレー叔父上、もうご存知で……?」

 その情報と早耳とで、一座を軽く驚かせてから、シュドレーは悠然と席を立った。


「私の劇場はこの夏も、王都で遊び飽いた紳士淑女で盛況でね。たまにはガヴィも、仮面を付けて微行しておいで。さて、私は、アンティフィント出のお妃なんぞに、膝を折らされるのは嫌なのだけれど、みなはどうだろうね?」


 大きく手ぶりを交え、靴音を響かせながらやってきたシュドレーは、グネギヴィットの背後にまわると、その椅子の背もたれの上に肘を重ねて賛意を計った。

 芝居がかった彼の動作に、眼差しを誘導された一門からの回答は、自ずと当主グネギヴィットへ向けられたものになる。


「答えるまでもなかろう」

「さよう。ただでさえ暑苦しいアンティフィント公に、さらに大きな顔をされるようになるのも鬱陶しい」

「グネギヴィット、どうしてそんな大事なことを、先に言わないの?」

「申し訳ありません」


 常にはあべこべな方向を向いて、グネギヴィットの内憂となってくれる一門が、アンティフィント家という外患を敵に回して結託してゆく。州公の首座とそれを狙う次席として、伝統的に張り合ってきた両家には、それだけ強い対抗意識が根付いているのだ。


「ミュゲ、は? せっかく親族会議に出席できるようになったんだから、迷いがあるなら発言してみたらどうだい?」

「僕は……」

 シュドレーに水を向けられて、集まる視線に萎縮しながら声をつぼませたのは、先月十八になったばかりのバークレイルの長男である。父親とは似ても似つかない気弱さ漂う風貌で、名前はミュガリエ。略してミュゲ、だ。


「僕の意見は、父と同じということにさせて下さい。何にしたってアレットには、おかしなことをやらされて具合を悪くしたり、変にすれたりしないで欲しい……」

 勿体ぶって賛同を渋っている、バークレイルの表情を窺いつつ、ミュガリエはぼそぼとそう言った。言葉尻は強くなかったが、その若い眉目には、まだ世間ずれをしていない青年らしい反発が浮かんでいる。


「ははあ、アレットを、将来もらう気満々だった若人には色々と複雑かあ。だけどミュゲ、ガヴィの指図はアレットにとって絶対だろうし、バーリー兄さんだって今回ばかりは、とりあえず反対しとけってわけにはいかないだろうさ。もしもミュゲが、バーリー兄さんに親孝行してやりたいっていうんなら、アレットのことはさっさと諦めて、手っ取り早くガヴィに乗り換えればいいのに」


「そっ、それは無理! 絶対に無理! グネギヴィットなんかの婿になったら、尻にも足にも椅子の下にも、ぎゅうぎゅうに敷かれそうだから無理っ!!」

 シュドレーのあけすけな提案に、ミュガリエは真っ青になってあとずさった。グネギヴィット本人を目の前にして、失言もいいところである。


「そんなに無理無理言わなくとも、わたくしにだって一応は、婿の来手くらいある。それから、いくらなんでも婿のことを、足や椅子では敷かない」

 不愉快を通り越してグネギヴィットは、不甲斐ない従弟に向けて呆れ気味にそう返した。

 もっとも、これがありきたりな男の反応で、自分の男装に熱を高めたザボージュは、やはり相当な変わり者であるのだとも思う。


「尻には敷くわけね?」

「ええ。サリフォール家に連なる以上は、当主であるわたくしに従って頂きます」

 茶々を入れるセルジュアにそう答えて、それはあなた方にも同様なのだとほのめかし――、グネギヴィットはゆっくりと一門を見渡した。


「折よく婿の話が出ましたので、もう一つご報告をしておきます。メルグリンデ伯母上の仲立ちにより、わたくしはさる御方と交際を始めて参りました。今夏をこの州城で、ご一緒して頂くようお招きしていますので、みなさまにもかの方の、歓待のご協力をよろしくお願い申し上げます」

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