第十四章「帰城」

14-1

 熱くも冷めた、噛み合わない見合いの日から一夜が明けて、グネギヴィットはいよいよ、王都で最後の朝を迎えていた。

「それではね」

 瀟洒な意匠の、四頭立ての箱馬車を背にグネギヴィットは振り返り、見送りに立つ妹の前に軽く屈んで視線を合わせた。


「アレット、伯母上のおっしゃることをよく聞いて、王后陛下に誠心誠意お仕えをするのだよ」

「はい」

「主治医の言い付けもちゃんと守ること」

「はい」

「外へ出かける時には帽子を被って、日傘も忘れずに持って行くの。王都はマイナールよりぐっと暑くなるから、油断をしては駄目」

「はい」

「それから――」

「過保護ですよ、ガヴィ。アレットももう、披露目を終えた姫なのだから、せめて半人前の淑女ぐらいには扱っておあげなさいな」


 そのままにしておけばえんえんと、細かな訓示を垂れそうなグネギヴィットに呆れ果て、脇からメルグリンデが口を挟んだ。苦言を呈されてグネギヴィットは、決まり悪く身体を起こす。


「そう、ですね……。アレット、とにかく元気で、いい子でね」

「はい、お姉様。わたくし、お姉様や伯母様にご心配をかけるような行動は、慎むことを誓いますわ。簡単にへばっておりましたら、他でどれだけ頑張っても、王后陛下に見限られてしまいますもの」


 姉の不安を拭うように、アレグリットはしっかりと宣誓した。グネギヴィットは頷いて、風に流れるアレグリットの髪に優しく触れる。


「うん……。だけどアレット、姉としての心配ぐらいは、わたくしの気が済むだけさせて欲しいな。伯母上、ご迷惑をおかけしますが、アレットのこと、どうぞよろしくお願い申し上げます。次はおそらく秋まで、お目にかかれぬと存じますが、伯母上もどうかご壮健で」


「ええ。アレットのことは、責任持ってお預かりを致しましてよ。引き続き生活に張り合いがあって嬉しいですわ。それよりもガヴィ、あなたこそ、マイナールでなすべきことがございますでしょう? 急かしてどうなるものでもありませんし、必ずしもと強制するつもりもありませんが、アンティフィント家のザボージュ様が、あなたの婿に最善な殿方であることは事実です。幸いにして先様は、かねてよりあなたにご執心なのですし、朗報が聞けることを、心待ちにしていますよ」


「はい。心しておきます」

 メルグリンデに答えて、グネギヴィットは神妙にお辞儀をした。

 昨日本人にも明言した通りに、ザボージュは個人の魅力ではなく家門で選んだような婿候補だが、男装もまたよしと惚れ込んでくれる詩人の好事を、グネギヴィットは奇矯を通り越して貴重だと思っている。なのでメルグリンデに諭されるまでもなく、ザボージュとの関係を一夏の遊戯に終わらせてしわまぬよう、前向きに彼と向き合って、口説かれてみるつもりでいた。


「では、ごきげんよう」

 アレグリットとメルグリンデ、それに伯母の執事以下、邸の使用人一同に向けて、グネギヴィットは綺麗に微笑した。女性用の旅装束に身を包んだ、若く美しい女公爵を、人々は名残惜しく見納める。


「お姉様!」

 アレグリットは鋭く叫び、踵を返しかけたグネギヴィットを引き止めた。ぶつかるようにして抱き付いてきた妹に、困った顔を見せつつもグネギヴィットは、溢れ出す愛しさを隠し切れない。


「どうしたの? せっかく半人前でも淑女だと認めて下さっているのに、みなの前で幼い子供のようなことをしていては、伯母上に笑われてしまうぞ」

「明日からは改めることにしますわ。あの、お姉様」

「何?」

「メル伯母様はあのようにおっしゃっておいででしたが、お姉様のご結婚は何よりも、お姉様にとってよろしいように――。お家のことより、ましてわたくしなどのことよりも、どうかお姉様ご自身のお気持ちを、ご大切になさって下さいませ」


 アレグリットはグネギヴィットの耳元に、唇を寄せてそう願った。そうしてメルグリンデには聞かせられない内緒事の仕上げに、含みという名の衣をたっぷりとまぶした、とある人物の名前を持ち出してきた。

「『ソリアートン』に、よしなに」

「……!」


 とっさのことで、グネギヴィットは返す言葉に詰まった。

 マイナールにいる『ソリアートン』は、決してそのような対象ではありえないのだと――、思い違いを正してやる前に、にこりと笑ったアレグリットに身体を離されて、グネギヴィットは永久にその機会を失ってしまった。

「道中、お気をつけて。旅の安全を祈願しておりますわ、お姉様」

「ありがとう」



 かくしてグネギヴィットは、思いもよらぬ不覚の念を抱えたまま、城への帰途につくこととなった。

 アレグリットの言う『ソリアートン』が、つまるところは庭師のルアンが、待ってくれているかもしれない【北】エトワ州城への。

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