13-4

 メルグリンデに追い立てられてグネギヴィットは居間を出た。婿選びという、面倒な雑事が急にできてしまって、正直なところやれやれといった気分だ。まるでその気のなかったグネギヴィット自身に、これといって思い当たる顔はないが、伯母の機嫌を鑑みるに、持ち込まれている縁談の相手には、それなりの家門の子弟が揃っているのだろう。


 自分の伴侶には、そういえば、王太子以外を想定したことがなかったと、廊下を歩きながらグネギヴィットは苦笑する。その逞しいともおこがましいともいえる意識の出所は、ユーディスディランとの恋の思い出が半分、兄による感化が半分だ。


 ――グネギヴィットは王太子妃に。アレグリットはエトワ州公となる兄の補佐役に。


 二人の妹に望む将来設計を、在りし日のシモンリールが明かしたことがある。王都の土産話にと、ユーディスディランの容姿や人となりを、おそらくはグネギヴィットに興味を抱かせるつもりで、語って聞かせた後のことだ。


 披露目前であったグネギヴィットは、たとえ王太子でも知らない男に嫁ぐより、ずっと兄の傍にいたいと拗ねた。

 小さなアレグリットは頬を赤らめて、それでは自分が王子様の花嫁になってもいいと、こましゃくれた提案をした。

 シモンリールは自慢の妹たちを左右に抱き寄せて、そうだね逆でもかまわないと。ひょっとしたらその方が、二人それぞれに合っているかもしれないと、そう答えて笑った。


 ずっと兄の傍に――。グネギヴィットのその願いは、悲しく歪んだ形で現実となっている。今となっては切なさすら覚える、遠い遠い思い出だ。



*****



 どこへ行ったかと捜すまでもなく、使用人たちの証言を辿ると、アレグリットは案の定、自分の寝室に閉じこもっていた。居間で何事があったかと、気を揉む妹の乳母を気強い笑みで落ち着かせ、グネギヴィットは部屋の扉を開かせる。

「アレット、入るよ」

「……」


 グネギヴィットの断りに無言で答えたのは、アレグリットのせめてもの抵抗だろう。

 グネギヴィットは姉で、保護者で、その上に当主で――だから。甘える気持ちを省いてしまえば、アレグリットに逆らえる権限は何一つとして残らない。抱えた大きな羽根枕にぎゅっと頬を埋め直して、アレグリットは寝台にうつ伏せたまま姉を迎えた。


 こうしているとやはり、若いというよりも幼い、子供でしかないと思うのに――。グネギヴィットは寝台のへりに腰を落として、寂しく優しく妹を見下ろした。

 髪と枕で隠して、顔を見せてくれないのは泣いていたからだろう。一言も返してくれないのは、声がまだ濡れているからだろう……。宥めるようにその背に手を置いて、惜しみない姉妹の情を与えながら、けれどグネギヴィットは冷厳に言い渡す。


「わたくしの腹は決まった、アレグリット、そのままでいいから心して聞きなさい。王后陛下のご上意に従い、お前を陛下の人質に差し上げる。陛下のご真意を汲み取っているならば、サリフォール家のため、わたくしのために、至高の座を勝ち得る努力をしなさい。取るに足らない感傷を言い訳にして、己の役割を怠るような真似は、当主であるこのわたくしが許さない」


 グネギヴィットがそう言い終えると、アレグリットはそろそろと顔を上げ、痛々しいまでに泣き腫らした、怯んだような面持ちで姉を振り仰いだ。

「……お姉様……」

「否やは受け付けない。これはサリフォール家の当主としての命令だ。従ってもらうよ、アレット」


 厳とした気振りを貫き、グネギヴィットはきつい口調で下命した。けれどその裏に秘められた寛大な赦しに、アレグリットの涙腺がみるみると緩み出す。


「お姉様……!」

 はねるように起き上がったアレグリットは、大粒の涙をはらはらと零しながら、感極まった気色けしきでグネギヴィットの首に齧りついた。


「ご、めんなさいっ……! ごめんなさい、お姉様。お姉様、わたくしっ……」

「馬鹿だね、何を、謝るの……? わたくしはお前に、わたくしの失敗の尻拭いをしろと、おまけにサリフォール家の政略の駒になれと命じているのだよ。だから詫びねばならぬとしたら、それはきっと、わたくしの方」


 グネギヴィットは言葉以上のものを伝えようと、アレグリットの華奢な身体をしっかりと抱き止めた。そうしながら逆に気付いたことがある。必要のない謝罪とグネギヴィットは思っているけれど、アレグリットはずっと、謝りたかったのではないだろうか? 何よりもそれが一番に、苦しかったのではないだろうか?


「だって……、お姉様は……、王后陛下のご機嫌を損ねても、早く王都から離れておしまいになりたいのでしょう……? 平気なふりをなさって、本当は……、今でも王太子殿下に、お心を残していらっしゃるからではないのですか……?」

 泣きじゃくりながらアレグリットは、切れ切れにそう尋ねた。恋はどうして人の目を、こんなにも容易く眩ませてしまうのだろう……?


「あのね、アレット」

 グネギヴィットは吐息をつきながら、まだるい気持ちで頭を振った。ユーディスディランを好きか嫌いかと問われれば、間違いなく好きに決まっている。けれどもそれは、もうとっくに、グネギヴィットの中で、恋を失くした時のままの、切なる気持ちではなくなっているのに。


「お前は大きな誤解をしている。わたくしの帰城に、殿下のことは何一つとして係わりがないのだよ。わたくしは王都にいるのが嫌なのではなくて、マイナールに帰りたいの。帰ると心に決めてしまったものだから、一日も早く、帰りたくて帰りたくてたまらないの」


 瞳を合わせて、アレグリットに嘘がないことを読み込ませながら、グネギヴィットは駄々っ子のように帰りたいと繰り返した。その表情は意図せぬものまでをも雄弁に語り、目から鱗が落ちた様子で、アレグリットは睫を激しくしばたかせた。


「それは……、お姉様には、もしかして――。マイナールにはどなたか、お姉様のお帰りを、待っていらっしゃる方がおいでなのですか……?」

「秘密」

「お姉様っ……」


 思わせぶりにしておいてそれはないだろうと、軽く非難をするようにアレグリットは唇をすぼめた。驚きに涙を止めた妹の目尻を拭ってやり、心の余裕を見せてグネギヴィットは柔らかに微笑む。


「わたくしの質問に、アレットは何も答えてくれなかっただろう。だから、これでおあいこ」

「ですけれど、わたくしの気持ちなんて、お姉様はもうわかっていらっしゃるのでしょう……? お姉様だけ、秘密だなんてずるいですわ」


 今さらながらに、懸想の相手がばれてしまったことを恥じ入るようにしながら、アレグリットは小さく拗ねた。その様子が可愛らしくて、グネギヴィットの笑みは広がる。


「そう、ずるくていいの。それが姉の特権だから。それに――」

 ――待ってくれているのだろうか? ルアンは。

 グネギヴィットはふと、いいようのない不安に駆られた。鬼の居ぬ間の何とやらで、もしかしなくてもルアンは、主人の不在を気楽に思っているかもしれない。邪魔が入らず仕事が捗ることを、少しは寂しく感じてくれているのだろうか……?


「お姉様……?」

 不意にグネギヴィットが、言葉を途切らせてしまったので気に掛ったのだろう、アレグリットは訝しげに呼んだ。


「ううん、何でもない……。何でもないのだけれど、待ってくれていたら、嬉しいな……」

 心を裸にしている妹を前に、グネギヴィットは思わず、気弱な本音を漏らしてしまった。そうしてから、はたと気付いた。これではマイナールに、特別な誰かがいると認めてしまったも同然だ。


「……わたくしが言っているのは、ソリアートンのことだよ」

「でしたら間違いなく、まだかまだかと待ち侘びておりましょう」

 苦し紛れにグネギヴィットが老執事の名を上げると、仕方なしにアレグリットはごまかされてくれた。


「とにかくね、アレット、わたくしの中で、過去はもう十分に清算されている。王都に来て、ユーディスディラン殿下とお会いして、それがようくわかったよ……。わたくしが資格を失した以上は、アレグリット、お前こそが、一門の期待を負った后がねの姫だ。誰あろうこのわたくしが、お前の働きを一番に心当てにし、その恩恵に浴したく願っているのだと忘れるな」

「……はい」


 アレグリットが尻込みをしていられないような理由を付けて、グネギヴィットは妹の背中を押した。政略に絡めた応援を正確に受け止めてくれたものらしく、姿勢と気構えを正してアレグリットはしっかりと諾った。


「それがお姉様の本意であらせますなら、どなた様にも、もはや遠慮は申し上げません。お家のため、お姉様のため、そしてわたくし自身のために、他の方々に負けませぬよう手を尽くします」

「その意気」


 ユーディスディランへの恋、そして、后がねの姫君としての自我は、アレグリットをいかように開花させてゆくだろう……? 固い決心のもとに綻び始めた百合の蕾を、グネギヴィットは目映く見つめた。


「ユーディスディラン殿下を捉えるにはね、追うよりも、追わせることだ。他者と足を引き合い、色目の使い方を覚える暇があるならば、誰もが称える最高の淑女になることを目指しなさい」

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