13-3

 アレグリットに、想う人がいる――?

 見た目が、そして言動が、日増しに女らしく大人びてきていても、まだまだ自らの翼の下にある、小さな雛鳥だと思っていたのに……。グネギヴィットの知らないところでアレグリットは恋をして、しかもその想いに苦しんでいる……。


 普段は政務に当主の役割にと忙しく、寂しがらせていた隙間を埋めるように、王都で流れる時間の多くをグネギヴィットは妹と一緒に過ごしてきた。

 頼みにする父母と兄を亡くして、悲しみを分ち合い、支え合って生きてきた二人きりの姉妹。誰よりも近くにいたはずなのに、気付いてやることすらできなかった。アレグリットに拒絶されてしまったこともまた、グネギヴィットの胸にずしりと応えた。


「何一つ聞かせてもらえないなんて……。あの子の姉、失格ですね、わたくしは。人の心を見る目もない……、未熟者に過ぎます」


 メルグリンデは見抜いていたのにと思うにつけていたたまれず、長椅子の肘に伏せるようにしてグネギヴィットはいじけた。睫を濡らして、居間から駆け出していったアレグリットのことが気にかかるが、安易に追ってみたところでかける言葉がみつからない。それどころか、何もわかっていない今のままの自分では、よけいに傷つけてしまう気がする。


「それは違いましてよ、ガヴィ」

 メルグリンデはグネギヴィットと同じ長椅子に移り、励ますように優しくそう言った。一縷の光明にすがる気持ちで、グネギヴィットは伯母を見上げる。


「アレットはあなたにだけは、決して気取られぬよう振る舞っていましたもの。あの子を思い煩わせている、お相手の方が方ですからね」

「それは……、その方というのは、一体に誰なのでしょう? わたくしにはまるで、見当もつかないのですが」


 どうにも鈍いグネギヴィットに、メルグリンデは苦笑する。今は長い髪を下ろして、柔らかな色味の部屋着を寛げているせいも相まってか、普段は凛々しくしゃっきりとした姪が、やけに心許なくなよやかに見えた。


「相変わらずと申しますか……ねえ、男女の枠や因習に囚われない、柔軟な頭を持っているくせに、ガヴィは本当に色恋には疎いこと。アレットがあなたに答えかねると言った、その理由をようく考えてみなさいな。無理やりに名を聞き出すような無粋をしなくとも、アレットがあなたに打ち明けられぬ御方は、唯お一人に限られるとわたくしは思います」

「……え?」


 メルグリンデが与えてくれた手掛かりに、ようやくグネギヴィットにも、その人の名が思い至った。同時に、アレグリットの小さな胸を苛ませている要因が、他でもない自分であることに気付く。


「ひょっとして、殿下……? アレットが想いを寄せている御方は、ユーディスディラン殿下というわけですか? あの子は、わたくしがあの方の恋人だったから――」

「そう考えるのが妥当でしょうね」

「ああ……」


 グネギヴィットは大きく嘆息をついた。心の整理が付いている証拠だろう、姉妹で同じ人に惹かれたのだというほろ苦さよりも、妹に対する憐憫れんびんの方が勝った。

 きっとアレグリットには、初めての恋だろう。なのにそれは、過去の自分が影を落としているばかりに、喜びよりも悲しみを味わわせる類のもので……。


「ですが全ては、終わったこと。殿下との決別は、そもそもわたくし自身が決めたことです。殿下が殿下でいらっしゃることをやめられないように、わたくしは公爵として生きる意志を曲げることができなかった。殿下も世間も納得をしているのに、あの子は何故、そんなことに、いつまでもこだわっているのでしょう?」

「そうですわね。アレットにはおそらく、あなたに対して負い目があるのでしょう」

「負い目? どうしてそんなものを、覚える必要があるのです?」

 合点がゆかず、グネギヴィットは眉をしかめた。根本的なところでアレグリットとの間には、大きな齟齬が生じているのかもしれない。


「仕様のない子たちだこと……」

 メルグリンデはそう漏らして、歯痒く行き違った姉妹の心を結ぶため、腰を入れてグネギヴィットに向き合ってくれた。



「ガヴィ、あなたは先ほど、公爵として生きる意志を曲げることができなかったと言いました。けれどそれ以前の問題として、シモンは遺言で、サリフォール本家の相続をあなたの意思に委ねていましたね? 全ての権利をアレットなりバークレイルなりに譲渡して、殿下の求婚をお受けすることもできましたのに、ガヴィは何故、家を継ごうと決心しました? 何故、サリフォール女公爵としてここにいるのです?」


「それはもちろん、家のためにです。あの時、他の誰に家督を譲っていたとしても、一門は間違いなく割れていたでしょう。悩むまでもなく、親族会議による承認の下、総領の座についていたわたくしが、そのまま当主となるのが最も穏便な方策でした。それを承知しておいでで兄上は……、けれど、わたくしのために心痛をなさって、あのように遺言されたのだと受け止めています」


 今さらな質問、返すまでもない答え――。その先にあるものをグネギヴィットは考える。必要な言葉を引き出そうと、メルグリンデは誘導してくれる。


「ええ。そうしてあなたは、骨肉相食む争いを防ぎましたわね。残されたのが自分一人であれば、殿下の御手を取って飛び出して行けたでしょうに……。ガヴィはアレットを庇護したくて、公爵になったのだとわたくしは思っています。違いますか?」


「……違いません。ですが突き詰めれば、わたくしの自尊なのです。苦しくて切なくてたまらなくても、殿下の御心に傷を負わせてしまうとわかっていても、わたくしはあの子を置き去りにして、自分だけがぬくぬくと、あの方の腕に逃げ込むなど絶対に許せなかった。

 どれだけ人を騙せても、己だけはどうしても、騙し切ることができぬのです……。大切な存在の犠牲の上に成り立つものを、果たして本物の幸福と呼べましょうか?」


 求めていたグネギヴィットの心の吐露に、メルグリンデは一つ息を吐き出した。

「ならば察しておあげなさいな、あの子もまた、あなたと、同じ気持ちでいるのかもしれないと。あの子には、あなたの恋を壊してしまった、拭っても拭いきれない罪悪感があるのだと」

「!!」

 それはグネギヴィットには、予想もしていなかった衝撃であった。鈍痛に胸がつかえて、絞らねば出せない声がわななく。


「伯母、上……」

「何ですか? 聞いて差し上げましてよ」

「十三歳、だったのですよ、アレットは……。兄上がお亡くなりになった時、家督相続の争点と目されながら、一言の発言も許されない、無力な子供だったのです……。だから、あの子を、稚い妹を、姉のわたくしが守るのは当然の義務ではありませんか。あの子がいてくれたから、わたくしは、責を投げることなく踏み止まってこられたのです。殿下とのお別れを、あの子のせいだと、恨んだことなど、一度も……!」


「あなたが責めぬからこそ、アレットは自責の念に駆られているのでしょう。あの子には可哀想なことですが、不道義者と後ろ指をさされても、仕方のない懸想だとわたくしも思います。アレットを楽にしてあげられるのは、あなただけでしてよ、ガヴィ」


 深い母性を感じる手付きで、メルグリンデはグネギヴィットのこめかみ付近の髪を梳いた。そうしていながらグネギヴィットの立ち直りを待たずして、がらりと話題を振り替えた。


「王太子殿下のお気持ちはいざ知らず、現時点で、王后陛下のお心にある王太子妃の大本命は、アンティフィント公爵令嬢ケリートルーゼ嬢です」

「――ええ」


【南】サテラ州公アンティフィント公爵は、驕奢きょうしゃで覇気の荒い猪公。跡取りの長男も、父親をそっくりに写したような野心家です。加えて公の次男坊は、現在ユーディスディラン殿下の第一側近で、近衛二番隊隊長。彼は国王付きの一番隊隊長を経て、ゆくゆくは近衛兵団団長といったところでしょうか……」


 メルグリンデの評に異存はなく、グネギヴィットは首肯で答えた。淡々と語る伯母の声に、グネギヴィットの意識は鎮まり冴え渡ってゆく。


「一方で我がサリフォール家は、王姉マルグリット様が当主夫人であられた時代も今は昔。さらには王太子殿下から、厚くご信頼を頂いていたシモンリールを喪いました。殿下とあなたの縁談は流れ、お二人が新しい関係を築き直すには、いささか時間を要しましょう。

 このままゆけば、アンティフィント家は、王家の代替わりと前後して、エトワ、サテラ、【東】ミルズ【西】エシラと永年並び続けてきた州公の席次を覆し、当家の凋落を狙うやもしれません。当主グネギヴィット、この危機に、サリフォール家はどう立ち向かいます?」


 それは当主への意向伺いというよりも、明白な英断を迫るような問いかけであった。居住まいを正し、ゆっくりと瞬きをした後に、グネギヴィットは取り戻した理知の輝きを黒い瞳に閃かせ、昂然と口の端を上げる。


「決まっているではありませんか。盤は既に置かれております。サリフォールには最強の駒があるとわかりましたのに、ここで動かさずしてどこで使いましょう」

「そうこなくては」

 我が意を得たりといったところだろう。メルグリンデもにんまりと笑った。


「お腹を括ってくれたならば、あなた自身のことも検討してもらわなければ。世間はとかく、物事の順序に煩いもの。サリフォールは盛りの百合をあだに咲かせて、蕾の売り出しに必死かと、陰口を叩かせるのも下らぬことですからね」

 いそいそとメルグリンデに膝を乗り出されて、グネギヴィットはぎくりと引いた。政略の延長であるとわかってはいるが、心の準備というものがある。

「伯母上……。それはわたくしに、結婚をしろと? そういうことですか……?」


 グネギヴィットの問いに、メルグリンデはしっかりと真顔で頷いた。

「そうです。これはあなた方姉妹の、名誉のためだけに言っているのではありません。アレットをお妃候補に立てて、あなたがいつまでも独り身でいては、サリフォール家の総領をどうするかという揉め事が、近い未来に必ず起こりましょう。

 お家騒動を未然に防ぐには、ガヴィが早く婿を取り、世子を儲けてしまうのが一番です。ましてあなたは、女――。婿は胤を撒くだけで、産んでくれるわけではないのですから、懐妊出産による危険を考慮しても、あまり先に延ばすのは得策ではありませんわ」


 恋の苦楽は知っているが、男女の契りは経験していない、清らかな乙女の身体である。露骨な話に及ばれてしまって、グネギヴィットは赤面した。


「伯母上のおっしゃることはよくわかります。ですが、結婚というのは、相手なくして始まらないものではありませんか。さかりのついた犬猫ではないのですから、急に婿に来いと誘いをかけてみたところで、ほいほいと付いてくるような御仁は――」

「それにつきましては、わたくしに何名か心当たりがございます。肖像と釣り書きを用意して参りますから、そうですね……。ガヴィはアレットと、きちんと話をつけてらっしゃいな」


 ……いつの間に。

 メルグリンデはどうやら、グネギヴィット本人の与り知らぬところで、着々と当主の婿取り準備を進めていたものらしい。その手回しの良さ、そして婿入りを希望する公子たちがいることに、グネギヴィットは唖然とした。


「王都では、さんざんに男のふりをして参りましたのに、このようなわたくしの婿になろうとは、一体どこの物好きです?」

「ほほほほっ、あなたの男装には、余計な縁談をふるい落とす効用がありましてよ。手間が省けて大いに助かりました。ガヴィがいかに男ぶってみせようとも、真心からあなたを望まれる殿方には、常に女と見えているものです。あなたは若くて、こんなにも美しいのですから、卑下せず自信を持ちなさいな。そうそう、あなたの人生に彩りがあれば、アレットも大手を振って、殿下の攻略に挑めるというものですわ――、ね」


 さあさあ、とメルグリンデは、グネギヴィットの尻を叩いた。その顔がやけに張り切って見えたのは、きっと気のせいではないだろう。

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