12-6

 ユーディスディランがキュべリエールと大広間に戻り付いてみると、そこは異様な興奮に満ちていた。今度は一体何が起きているのかは気になるところだが、たいして注意を払われることもなく、舞踏会の会場に復帰できたのは幸いだ。


「うっ……」

 主君のために人垣を分けたキュべリエールが、一足先に原因を突き止めて呻いた。柄にもなくたじろいで、後ずさった腹心の肩に、ユーディスディランは背後から手を置く。


「どうした?」

「殿下……、私は今、決して間違ってはいない光景を見たはずなんです。けど、見てはいけないものを、見てしまった気がするのは何故でしょう……?」

 青くなるべきか赤くなるべきか、判じかねているような顔色でユーディスディランに訴えかけてから、キュべリエールはよろよろと人海を逆行し、両手を壁に突き当てると口汚く罵った。

「ったく……、あの馬鹿弟はっ、見境ってもんがないのか……!」


 馬鹿弟……、キュべリエールに弟は一人しかいない。ということは、放蕩詩人のザボージュが、何かやらかしているというわけか?

 そのままキュべリエールをほうっておくのは冷淡な気がしたが、彼が退いたことで、ユーディスディランの前方は開けた。好奇心に負けたユーディスディランは、視線を前に廻らせたところであんぐりと顎を落とした。



 衆目を集めていたのは一組の男女。みな競う気を失くして引いたものらしく、他に踊る者がいなくなった大広間の中央部で、二人が大きくターンするのに従って、煌めかしい金髪と艶やかな黒髪が弧を描く。

 踊り手はどちらも、名立たる社交界の花形だ。光と闇を対比させたような、正反対の個性はぶつかり合っているが、互いの魅力を際立たせ、霞ませないという点で、似合いの一対であるといえなくもない。

 洗練された姿も踊りも美しいが、人々の足をもつれさせ、ごくりと息を詰めさせている理由の第一はそれではない。大広間を満たしている、このどうしようもない背徳感は、二人がけしからぬ関係の、男同士に見えてしまうことに起因しているのだろう。


 情感豊かな手で、相手の腰をどきりとするほど近く引き寄せている、金髪の青年は案の定ザボージュ。女性の側もここまでくれば言わずもがなであろう、黒髪の女公爵グネギヴィットというわけある。

 凛々しすぎるグネギヴィットにユーディスディランの気持ちは萎んだが、男装の女公爵という女傑の顔に、どうやらザボージュは煽られたらしい。公衆の面前でおじけた風もなく、その瞳を熱く見つめてみたり、わざわざ耳元に唇を寄せ、何事かを囁きかけたりしている。対するグネギヴィットは別段に流されてはいない様子だが、ザボージュの吐息にくすぐられたのか、色っぽく肩をよじり、こそばゆそうに眉を顰める。

 それは口説き口説かれている男と女の図で、キュべリエールが言うように間違ってはいない。間違ってはいないのだが――。


 自分、には、とても、無理だ。


 グネギヴィットにか? それともザボージュにか? あるいはその双方に、ユーディスディランは眩暈のような敗北感を覚えていた。身を焼くようであった恋を否定はしないが、グネギヴィットは常人である自分の手に余る。彼女の器を見極めることもなく、早まった結婚をしなくてよかったかもしれないと、いっそさっぱりとした心持ちで身を立て直したところで、ユーディスディランの目はアレグリットを捉えた。


 この会場の、不健全な空気に中てられでもしたのだろう。夜会用のドレスから覗かせた、白い膚の隅々までを真っ赤にしながら、アレグリットは既にヘルヴォンではなくなっている、同伴の男に支えられている。

 その男の手がやけにべたべたと、アレグリットに触れているのがユーディスディランの気に障った。手の内にある蕾姫に鼻の下を伸ばしたその男には、それこそ少女嗜好のがあったのではなかったか……?


 男が何か提案をしたのだろう、アレグリットは断るように首を振った。しかし男は諦めずに、狼の笑顔を浮かべたかと思うと、アレグリットの華奢な胴にがっちりと腕を回して、ユーディスディランの視線に気付くこともなく、腰の引けた彼女をその場から拉致したのだ。


「殿下――」

 一人で佇むユーディスディランを見付けて、蝶のように着飾った令嬢たちが、鱗粉の代わりに脂粉の香りを撒きながら寄ってくる。しかし彼女たちには一瞥もくれず、ひょいと肩透かしを食わせるような格好で、ユーディスディランは動き出していた。男がアレグリットを連れ出そうとしている、行方を見越して先回りする。



*****



「休憩でもするのかな? 舞踏会に飽いたのなら、ぜひともお相手を譲って欲しいね」

 テラスへ、さらには庭園へと、続く戸口を王太子に塞がれて、アレグリットを抱えた男は目に見えて焦り出した。一体何を企んでいたものか? 疾しさが窺い知れるというものだ。


「ななっ何をおっしゃいます、お愉しみはこれからではありませんか。たとえ殿下といえども割り込みは――」

「ところがそちらの姫君とは、かねてよりの約束があってね。私はここにいる誰よりも先に、『マイナールの蕾姫』にダンスを申し込んだ自信がある。違ったかな? アレグリット。嘘はいらない。真実を答えるだけでいい」


 ユーディスディランの冴えた眼差しが、アレグリットの瞳を捉え心までも射抜いた。状況に混乱し、抑えの利かぬ想いに動揺しながらも、アレグリットは選択を誤らなかった。この不快な男を増長させたくないならば、この場はユーディスディランに頼むべきだと。


「違いません。最初にお申し込みを下さったのはユーディスディラン殿下です。今から数えて、一年以上昔に――」

「ええっ!?」

 アレグリットの発言に男が慌てる。そんなずるい抜け駆けに、誰も敵うはずがないではないか!


「ということだから、悪しからず。私には今宵、私の望んだ時に、蕾姫の手を取る権利がある」

 高飛車な笑みを残して、ユーディスディランは男の腕からアレグリットを奪い去った。アレグリットの立場にしてみれば、正真正銘の王子様に、窮地を救われたと言い換えることができるだろう。



 アレグリットの身柄を確保し、男から遠く引き離したところで、ユーディスディランは彼女の顔を覗き込んでその気色を窺った。理論武装はしたつもりだが、アレグリットの守護者気取りで、強引に連れて来てしまったことにかわりはない。


「野暮なことをしたかな? だけど見て見ぬふりはできなくてね。あなたの意思を確かめずに失礼をした」

「そんなことは……! こんなことを言ってはいけないのでしょうけれど、あの方、その……、怖くて……。お助け下さり、ありがとうございます」


 戸惑いと感謝に瞳を潤ませ、薔薇色に頬を染めながらのアレグリットの返答に、ユーディスディランは満足した。彼女に自覚がある通り、淑女としては未熟な言葉で、世間知らずな隙もあったのかもしれないが、貞操観念がしっかりとしているのは結構なことだ。なにより素直でたいへんよろしい。


「その返礼に、というのもなんだけれどね、このまま次の一曲を私とご一緒して下さるよう、所望してもよろしいかな? アレグリット、白百合の香気かざを継がれた『マイナールの蕾姫』、我々の再会と、あなたの社交界への門出を祝して」

「……はい」


 アレグリットの小さな手に、ユーディスディランはしなやかに口付けを落とした。儀礼というには僅かに長く、愛を請うには短く。微かに震えた指は、思いの外、甘かった。

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