第十二章「蕾姫」
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少女たちの叫びに振り返れば、その視線の先にはグネギヴィットがいる――。
ということになりそうな、記憶に残る夕べである。新しいサリフォール女公爵の鮮烈な披露目は、デレス宮廷の社交界において、数年は語り種となるだろう。
「グネギヴィットはすっかりと、他の姫たちに取られてしまったようじゃのう……」
どうしたものかとぼやきながら、ハイエルラント四世はひょいと肩をすくめ、傍らに連れたままのアレグリットと瞳を合わせた。頼みにするはずのエスコート役を、早々になくしてしまったアレグリットだが、心細く取り乱した風もなく、緩やかに首を振る。
「わたくしの心配なら、ご無用です、陛下。みなさまへのご挨拶には、伯母のメルグリンデが付き添ってくれるでしょうから」
「そうかそうか。初登城の姫の後見人には、確かにテーラナイア夫人の方が適任かもしれないの」
王都住まいのメルグリンデはグネギヴィットよりも顔が広い。加えて今日のグネギヴィットでは、アレグリットが第一に知り合わねばならぬ公子たちを、ややもすれば敬遠させてしまうだろう。
「はい。それにわたくしがわがままを言って、お姉様を独り占めにしてしまっては、せっかくの盛り上がりに水を差してしまいます。
少し間違えれば道化にもなりかねぬところへ、王后陛下がご好意を示して下さり、他の方々も、男装のお姉様を受け入れて下さっておりますのに……。身内であるわたくしが、足を引くような真似をするわけには参りません」
それでもアレグリットには、姉の態度に無理が見えるなら、駄々の一つも盛大にこねて、大広間から引かせようという意気込みもあった。
しかしグネギヴィットは今の状況を、心の底から楽しんでいるようだ。幸いと言ってよいものかどうか、アレグリットには複雑なのだが。
「グネギヴィットはどうやら、そちにとってよき姉のようじゃな。姉というか……貴婦人というには、なんともはや、型破りじゃが」
「ええ。お姉様はお姉様で、時々素敵なお兄様――。わたくしの自慢の姉ですわ」
結局のところその答えに行きついて、アレグリットはにこりと笑った。
姉に芝居っ気が豊富なことは知っていたが、まさかここまでとは思わなかった。妹としてはやりすぎな姉の今後を危惧しないでもないが、奇抜に見えて優しさの詰まった彼女のやり方を、信じる気持ちも、誇る気持ちもそれ以上だ。
「さて、テーラナイア夫人は一体どこにおるのかのう? アレグリットや、はぐれんようにしっかりと、余の腕に掴まっているのじゃぞ」
「まあ陛下、伯母を捜すぐらい、わたくし一人で大丈夫です」
恐縮するアレグリットに、ハイエルラント四世はほくほくと笑みかけた。国王の優しげな瞳の奥には、遠くはない血縁を感じさせる情愛がある。
「遠慮はなしじゃよ、アレグリット。余を、若葉の姫を狼の群れのただなかに、放り出すような薄情者にさせんでおくれ。それに、そちは余の姉上の忘れ形見。可愛い姪の世話を焼きたいのは余も同じなんじゃ。懐かしいのう……、そちには若い頃の姉上の面影がある。目元が特にそっくりじゃな」
本来、叔父と姪との関係は、このように温かくあるべきなのだろう。サリフォール家の本家を乗っ取る道具にしようと、猫なで声を出す叔父たちとばかり接してきたアレグリットにとって、国王の親愛は純粋で嬉しかった。
「ありがとうございます。陛下のお目にもそう……なのでしょうか? 家人にも、このところ父よりも母に似てきたと言われるようになったのですが、残念ながらわたくし、母の姿を朧にも覚えておりませんの。城に肖像画があるのですが、隣の父を見る限り、正直に描いてあるとは思えなくて」
「先々代のサリフォール公は、決して不自由なご面相ではなかったと思うのだが、実物とどう違ったのかね?」
「まるっきりの別人ということはありませんけれど、どう贔屓目に見て差し上げても、お足の長さだけは絶対に嘘ですわ」
「……ありがちな話じゃの」
アレグリットの返答にハイエルラント四世は苦笑した。
人はどんな美人でも、多かれ少なかれ自分の容姿に劣等感を抱いているものだ。肖像の依頼主の中には、作製に逐一注文を付ける者があり、そうしてまた当代人気の肖像画家は、モデルの虚栄心を満たすような、微妙な修整を加えるのが得意である。宮殿や邸宅を飾る芸術作品という側面もあり、写実に描いた肖像画には、当世めったにお目にかかれないのが実情だ。
「おおそうじゃ、姉上の肖像ならば、とても出来の良いものがこの王宮にも飾ってある。姉上が成人された折のものなのじゃが、どうかね、見てみたいかね?」
「ええ、勿論です!」
国王からの問いかけに、アレグリットは瞳を輝かせた。十八歳の母の姿には大いに興味がある。仮にも王女を描いた絵であるので、アレグリットがよく見慣れた、三十代の公爵夫人の肖像よりも、さらに美化されている可能性は高いのだが。
「ふむ、それではアレグリットに、『硝子の鍵』を渡しておこうかの」
小さく声を潜めて、ハイエルラント四世はそう言った。秘め事めいた香りを嗅ぎ取って、答えるアレグリットの声もまた囁くようになる。
「『硝子の鍵』……? どこかのお部屋の鍵をお貸し下さるのですか?」
「そういうことになるかの。但し、使っていいのは今夜だけだけじゃぞ。それから、『硝子の鍵』のことは、グネギヴィットにもテーラナイア夫人にも秘密じゃよ。ずっと大広間におったところで疲れるじゃろうて、息抜きがてらにこっそりと抜け出してくるがよい」
「はい、陛下。何だかわたくし、わくわくしてきました」
「うむうむ」
悪戯を仕掛ける子供のような表情で、ハイエルラント四世はひそひそと内緒話を続けた。アレグリットの小さな手の中に、彼女の未来を開くことになる、『硝子の鍵』をそっと握らせて――。
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