11-5

 悄然とした息子を尻目に、グネギヴィットと踊りながら、ドロティーリアは既視感に駆られていた。

「……兄君を思い出しますわね、サリフォール公」

 目線の高さが違う。年齢が違う。性別が違う。それでも。

「あなたの手も、身体も、柔らかな女性のものですけれど……。シモンリールと踊っているよう」


 グネギヴィットのリードは柔軟で踊りやすい。自分は僅かに引いて相手に花を持たせる、女の虚栄を満たすような踊らせ方がシモンリールと似ているのだ。ダンスの名手であることは、社交界の華の条件だが、グネギヴィットは男の振り付けには素人なはずである。付け焼刃とは思えない巧みさに、ドロティーリアは舌を巻いた。


「兄はわたくしの手本ですから。これから先も、おそらくは永遠に――」

 胸の奥に刻まれた、シモンリールの面影をなぞるようにして、グネギヴィットはまどらかに微笑む。敬慕する兄のようだと称されることは、グネギヴィットにとって、最高の褒め言葉であるのかもしれなかった。


「そう。あなたの中で、シモンリールはいつまでも生き続けてゆくのですね。けれどもそれでは、グネギヴィットは一体どこへ行ってしまったのかしら? あたくしのお気に入りの綺麗な綺麗なお友達、『マイナールの白百合』は」


 シモンリールの生前からグネギヴィットに、男装の習慣があったことをドロティーリアは知らない。淑女であった記憶ばかりが鮮明なだけに、ドロティーリアは懸念していた。グネギヴィットがただ、喪われた兄に成り代ろうとしているならば、一人の女性の生き様として悲しくはないかと――。


「ここにおります、王后陛下。わたくしは決して、女であることを捨てたつもりはございません。今はみなさまをたばかった格好でおりますが、陛下がご所望下さるならば、次の機会には、ドレスに着替えお目見え致しましょう」

 ドロティーリアの深憂をありがたく受け取って、屈託なく拭い去りながらグネギヴィットはいらえた。女に生まれた自分をグネギヴィットは、卑下する気もなければ、否定するつもりもなかった。


 淑女の姿に戻れば、グネギヴィットは今の凛々しさも残しながら、かねてよりも清艶さの増した白百合に変わることだろう――。

 黒い瞳の奥に、確かな女の薫香を嗅ぎ取って、ドロティーリアもにこりと笑んだ。


「それでは明日は、愛らしい妹姫も連れてあたくしのお茶会へいらっしゃい。今日のあなたも素敵ですけれど、女同士にはまた別の面白さがありますからね。姉妹揃って目の保養をさせてくれると嬉しいわ」

「畏まりました。ご招待ありがたくお請け致します」



*****



 やがて曲が終わり、二人は互いに向かってお辞儀をした。顔を上げたドロティーリアは上機嫌で、グネギヴィットの手並みを絶賛した。

「とても楽しめましてよ、サリフォール公、本物の殿方顔負けのリードでしたわね。あなたが本当は女性なのだということを、あたくしついぞ忘れてしまいそうになりました」

「わたくしの方こそ、陛下のおかげさまで無用な固さが解れたようです。手引きをどうもありがとうございました」


 同性とわかっていてもグネギヴィットには、女心を惑わすような色気がある。恋に恋する少女たちの熱視線が、彼女の上に集まっているのに気付いて、ドロティーリアは朗らかに声を張り、グネギヴィットにさらなる座興を促した。


「多くの姫君たちが、あなたに誘ってもらいたくて待ちくたびれているようね。さあ、今宵は無礼講です。真実の恋は語れなくとも、円舞曲の調べに乗せて、一夜限りの夢を見せておあげなさい」

「はい」


 他ならぬ王后が弾みをつけてくれたのである、ここで乗らなければ、社交界の花形の名折れというものだろう。ドロティーリアと別れたグネギヴィットは、遠巻きに自分を見つめている姫君たちの一群に向けて、誘惑的な流し目を送った。

「次にわたくしと、踊って下さるのはどなたですか?」


 声を掛けられた姫君たちがきゃっと悲鳴を上げて、もじもじと恥じらい牽制をし合う中、ふわふわとした亜麻色の巻き毛と、薄茶色の目をした一人の令嬢が、はにかみながらもそっと手を上げた。

「あ、あのっ……あたくしっ、お願いしてもよろしいでしょうか?」

「ええ」

 答えてグネギヴィットは、勇気ある淑女に歩み寄った。思い切って抜け駆けをしてみたものの、注目と嫉妬を一身に浴びることになり、小さな令嬢はびくびくとして縮こまっている。


「初めてお会いしますね、可愛らしい方、あなたのお名前は?」

 グネギヴィットは令嬢の緊張を解そうと、微笑みながら会釈をし、うるうると自分を見上げてくるつぶらな瞳を覗き込んだ。

「エ……、エイトルーデ侯爵家のマイネリアと申しますわ。サリフォール公爵様」

「マイネリア――。金糸雀カナリヤのようなあなたにとてもよくお似合いの、可憐なお名前ですね。それではマイネリア嬢、これよりどうかわたくしのお相手を」


 近くで見ればグネギヴィットは、背丈こそそこそこにあるものの、実際の男性よりもぐっと骨細で、美しい女性なのだと違えようもない。

 けれども物慣れた男装は艶やかに風雅で、生来から低めの声は、ぞくぞくするほど蠱惑的だ。えも言われぬ芳香と、甘く酔わせるような誘い文句に、マイネリアはくらくらとして真っ赤にのぼせ上った。

「はいっ……!」


 差し出されたグネギヴィットの手を、マイネリアはどきどきと取った。ドレスの裾を捌ききれずに、歩き出す足がもつれそうになる。

 よろめきかけたマイネリアの腰をふわりと引き寄せて、グネギヴィットはその耳元で囁いた。

「わたくしも女なのですから、はしたなく思われる心配はありません。足が震えておいでならば、寄りかかって下さっても結構ですよ」

「は、はい……、そうさせて頂きます。お手柔らかにお願いしますわ、公爵様」

「ええ」


 マイネリアの『お手柔らかに』の意味を正確に解することもなく、余計に足元が覚束なくなった彼女をさりげなく支えてやりながら、グネギヴィットは大広間の中央へと戻ろうとした。

 その背中を、迷いを捨てた姫君たちが、我先にと引き留める。


「公爵様! マイネリア様の次は、是非ともわたくしと踊って下さいませねっ」

「いいえ、次はあたくしです!」

「あら、わたくしが先ですわよね? グネギヴィット様」

 せきを切ったようにかしましく騒ぎ始めた姫君たちを、グネギヴィットはくるりと振り返り、困ったような顔つきをして嗜めた。


「このめでたく美しい新緑祭の日に、いがみ合っておられると幸福にそっぽを向かれますよ。わたくしが原因で、魅力的な姫君方がご不幸になられるのは悲しいことです。お一人ずつ順に踊って差し上げますので、楽しくくじでも引きながら、仲良くお待ちになって頂けると嬉しい」


 グネギヴィットの言葉を受けて、きゃーっとまた黄色い声が上がった。男に化けたグネギヴィットには、どうやら女たらしの素質があるようである。

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