9-2

 ローゼンワートにはぎくりぎくりとさせられたが、急を要する無理難題が持ち込まれてくることも、招かざる客人に攪乱かくらんされることもなく、グネギヴィットはその日の政務を定刻通りに終えることができた。


 己が城の中とはいえ、貴婦人が一人歩きをしたいと言えば多分に眉を顰められるものだが、男装をしている間のグネギヴィットはすっかりとその限りではなくなっている。

 何を知っている筈もないが、訳知り顔の侍女に厳重な防寒対策を施され、衛兵に門を開かせ足を踏み入れると、閑散とした中庭は一面の銀世界。見上げた空にはひたひたと黄昏の足音が迫り来て、抜けるようであった蒼穹は、次第次第に茜色を帯び始めていた。


 真冬の太陽は落ち急ぐ。急きたてられるようにして、グネギヴィットの心も逸る。丁寧に除雪されてはいるものの、凍てついた雪道は歩きにくくもどかしい。

『次に空が晴れた日には、兄上が愛でた椿の花を観に行くことにしよう』


 だから、ルアン。会いに来なさい、わたくしに――。


 と。

 グネギヴィットは褒美の言葉にかこつけて、遠回しにそう伝えさせたつもりでいる。正直なところ歯痒さは否めなかったが、庭師長や侍女たちを不審がらせずに、託す言辞としては精一杯だった。

 はてさてルアンは、来てくれているのだろうか? いないのだろうか? シモンリールが愛でた椿――【冬男神の椿】オルディンタリジンの花咲く園に。


 椿園へ近付くに従って、グネギヴィットの気持ちは昂っていった。一足ごとに楽観と悲観が行き来する。会える。会えない。会える。会えない。会える。会えない。会える。会えない……と。

 ……馬鹿馬鹿しい。

 ふと我に立ち戻って、グネギヴィットは自嘲した。

 この先に待ち受けているのは、たかだか庭師に会えるか会えないか、それだけのことではないか。何をこうも期待して、浮ついている必要があるのだろう?


 だから――、グネギヴィットは喜ばないことにした。

 今日は長い木の竿を使い、椿の木に積もった雪をせっせと払い落している、大きな背中を見つけても。

 帽子からはみ出した胡桃色の癖毛が、どうやらものぐさをしたらしく、以前よりも伸びていることに気付いても。

「ルアン」

 のんびりと振り返った鳶色の瞳が、グネギヴィットの姿を映し出して、喜色を浮かべ綻んでも。


「お久しぶりです、公爵様。ええと、この場合の挨拶なんですけど、『新年おめでとうございます』でいいんでしょうか?」

 ルアンは手にした竿を雪面へざくりと突き刺すと、律義に帽子を取ってそんなことを言った。真面目な質問らしいので、グネギヴィットも面倒がらずに答えてやる。

「いいよ。わたくしがお前と顔を合わせるのは、今年初めてなのだから」

「なるほど。それじゃあ改めまして、新年おめでとうございます」

「ああ、おめでとう」


 グネギヴィットが取り澄まして挨拶を返すと、ルアンは楽しげにぷっと吹き出した。礼義をわきまえぬその態度に、グネギヴィットは苛々と食ってかかる。

「お前は一体、わたくしの何が可笑しくてそうやって笑うんだ? 今日は絶対にごまかされてやらないぞ!」

「すみませんっ……、公爵様がこれっぽっちもめでたくないぞって顔をしていなさるもんでっ……。今年も早速ご機嫌斜めみたいですけどどうしたんです?」

 謝る間もルアンは、堪え切れない様子でずっと肩を振るって笑っている。問い返されてグネギヴィットはどきりとした。表情は多少硬かったかもしれないが、自分ではそれほどまでに渋面でいたつもりはない。


「何故って……、理由は、そうだな……。わたくしはお前に、それほど会いたかったわけではないから」

「はあ、そうですか。何だかよくわかりませんけど、それじゃあ俺は公爵様の、椿見物のお邪魔にならないようにあっちへ行ってます。雪は外側の木から除けときましたから、お好きなだけご覧になって行って下さい」

 言いながら帽子を被り直して竿を担ぎ、さっさと庭仕事に戻ろうとしたルアンを、グネギヴィットは慌てて引き止めた。


「待ちなさい! わたくしはルアンに、面と向かってどうしても言いたかったことがあるの。仕事なんて後でいいから、わたくしの話をきちんと聞いてからにしなさい!」

「何ですか? 俺に言いたいことって」

 きょとんとした目でルアンは、グネギヴィットの瞳を覗き込んでくる。ルアンが物怖じすることなく、眼差しを真っ直ぐに向けてくるようになったのはいつからだったろう?


「元日の、ことだけど……」

 心がざわざわとして落ち着かず、グネギヴィットの声はつぼんだ。頬に朱が上っているのは、きっと寒さのせいに違いない。

「はい」

 素直に相槌を打つルアンの目に、他者を圧するような傲慢さはない。強引に媚びを売りつけてくる図々しさもない。

 けれどもグネギヴィットは、負かされそうになっている自分に気付く。気弱さを愚かさを焦燥を癇癪を、心のままにぶつけてしまっても、最後にはすっぽりとくるみ込んでくれるような寛容さに。


「オルディンタリジンの花を……、どうもありがとう……、ルアン」

「いえ、そんな……。喜んで頂けたならよかったです」

 視線を外しながらもグネギヴィットが不器用に礼を述べると、ルアンは照れた時の癖で帽子の上から頭を掻いた。

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