5-4

 豪華な正餐を心ゆくまで楽しんだ後、アレグリットを自室に見送ると、グネギヴィットはユーディスディランを、自分専用の庭に面した小振りな客間に招いた。

 酒肴を運ばせて人を払い、長椅子に並んで月光に濡れる庭を眺めながら、共に過ごした王都での出来事や、シモンリールの思い出話に花を咲かせた。

 貴重な時は、指の間から零れるように流れゆき、ふと会話を途切らせると、夜半の静寂しじまが二人を包んで、無情に刻限を告げていた。


「遅くまでお引き止めをしてしまいました。よろしければ今宵はこのまま、州城でお休みになってゆかれますか?」

 胸に満ちるのは、別れがたい思い。社交辞令としてではなく、グネギヴィットは尋ねた。

「あなたの寝室にお泊め頂けるなら、喜んで誘いをお受けしよう」

 緩やかに酒盃を傾けながら、ユーディスディランは鈍く光るような眼差しを寄越した。直情的な誘惑に、グネギヴィットは一瞬、返答に詰まる。


「……ご冗談を。酔っておいでですか?」

「本気なのだけれどね。その気になれば私は、あなたの身体から喪服を剥いで、婚礼衣裳に着せ替えることもできる」

 それはユーディスディランには珍しい、暴君のような言葉だった。本人は否定しているが、酒精がその背を押しているのかもしれない。


「人の噂とは、面白おかしく語られてゆくものだ。シモンリールがいた頃とは状況が違う。私があなたに懸想しているのは有名な話だからね。私がここに宿泊してゆけば、未婚のあなたに不名誉な瑕をつけることになるだろう」

「それは酷く、侮辱的な想像です」

 グネギヴィットは頬に朱をのぼらせて、潔癖に眉を顰めた。ユーディスディランは戒めるように言い諭す。


「ならば不用意に、男を誘うような言葉をかけてはいけない」

「そのようなつもりは――」

「あなたにその気はなくとも、私にはそう聞こえた。淡い期待を持たされたままでいるからね」

「期待、ですか?」

「そうだ」


 飲み差していた酒を一息にあおり、酒杯をことりと卓上に置くと、ユーディスディランは膝をつき合わせて、困惑するグネギヴィットに迫った。

「グネギヴィット、返事をまだ、もらっていない。それがいかなるものであっても、あなたには答える義務がある」

「あ……」

 求婚に対する返事を、ずっと保留したままにしていたことを、グネギヴィットは今更のように思い出した。

「庭に……出ませんか?」

 ユーディスディランの熱情から逃れるようにして、グネギヴィットは長椅子から腰を浮かせた。

「夜風に当たっていれば、不要な熱は醒めるでしょう」



 両開きの扉を開放して、グネギヴィットは一足早く客間の外へと躍り出る。青ざめた月光に、黒髪と対をなすような白い膚が照り映えた。

「不要な熱、なのだろうか?」

 背後からそっと身を寄せるように近づいて、グネギヴィットの痩せた手首を、ユーディスディランは素早く捉えた。

「私のあなたへの想いは、あなたにとって邪魔なものだと?」

 あっと思う間もなくグネギヴィットは、回廊の柱を背にするかたちで、ユーディスディランに追い込まれていた。


 真剣に愛を乞うユーディスディランの眼差しに、決心が揺らいでしまいそうになる。切なく軋む胸の奥で、グネギヴィットは妹を思った。

 王太子妃となることは、国の女性にとって最高の栄誉だ。婚約を報告すれば、アレグリットは心から祝福をしてくれるに違いない。けれども自分だけが幸福を得るために、グネギヴィットが爵位を譲れば、アレグリットは家督を廻る争いの中に、一人取り残されてしまうことになってしまうだろう。


 そんな、ことは、できない――。


 グネギヴィットはためらいを隠して声を絞り出す。

「殿下のお気持ちは畏れ多く……、勿体無く思っております。ですが今のわたくしには、もはやお応えすることはできません。おわかりでしょう?」

 だからこそ、あえて男の姿を見せたのだ。男装はグネギヴィットの鎧であり、無言の決意表明でもあった。エトワ州公である自分を、兄の跡を継ぎ、ユーディスディランの臣下となる道を、選んだ自分を明らかにする為の。

「ああ、わかっている。だが、わかりたくないと思っている。グネギヴィット、この狂うような気持ちをどうすればいい……?」

「ユーディ……」


 救いを求めるように抱き締められ、偽りの心を覆そうとするかのように唇を塞がれた。

 抗うことを許さない、王となる者の傲慢さに、心の中の弱い部分が押し流されてゆく。

 目の眩むような恋の陶酔に、何もかも忘れて溺れてしまえば、どれほど楽になれるだろうか?


「これ以上は……、駄目です、ユーディ」

 震える手でグネギヴィットは、首筋を辿り鎖骨の窪みに押し当てられた男の唇を止めた。

 このままなし崩し的に、ユーディスディランに愛されてしまうことを、心は求めている。身体も求めている。それでも糸のように張り詰めて、公爵としてのグネギヴィットを保たせている理性と矜持は、決してそれを承諾しなかった。



「一つだけ、聞いておきたいことがある」

 頑なに拒絶するグネギヴィットに溜め息を零して、ユーディスディランはやるせなく腕の力を緩めた。

「それは?」

「もしもの話だ。シモンリールの容態が快方に向かっていたならば、あなたは私の求婚を、受け入れてくれていただろうか?」

「ユーディ、いえ、ユーディスディラン殿下」


 しっかり顔を上げなさいと、グネギヴィットは自分自身を叱咤した。彼の未来に贈れる唯一つを、嘘にしてしまわないように――。

「人生にもしもはありません。わたくしのことは、どうか……、僅かな道草であったと、お忘れ下さればと思います」

 恋の形見を所望するユーディスディランに、グネギヴィットは毅然と告げた。いつか思い出に変わる日が来るならば、自分は早く、色褪せてしまった方が良い。


「……そうか」

 ユーディスディランの暗紫色の瞳が、鋭い傷を負って細められた。清かなる月の光の下、影が解けて二つになる。

「おいとまするとしよう。見送りはいらない」

「はい……」

「さようなら、グネギヴィット。次にお会いする時は、サリフォール公とお呼びしよう」


 潔い決別の言葉を残して、ユーディスディランはその場を立ち去ってゆく。まだ、彼の温もりが冷めやらぬ自分自身を抱きながら、遠ざかる恋の足音を、グネギヴィットは背中で聞いていた。

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