第15話 秘密
大人数から解放されたメリッサは力が抜け、腰を下ろしてしまった。先ほどまで満員だった会場は、雄三とメリッサをのぞいて誰もいない。
メリッサが暴徒になりかけた町人に囲まれていた時、雄三が宿に到着した。着物だったのは明に着替えさせられたからで、体に芯が入ったようにしっかりとした姿勢で対決に臨んだ。
気が立っている男達を宥めるのは雄三としても難しく、一色触発の空気が延々と続いた。
雄三は袋叩きになることを覚悟した。敵と見なされたメリッサをかばったことで、雄三も排除の対象になったのだ。
が、結局そうはなっていない。雄三の胆力が押し返したというより、彼らの課題が他に映ったというほうが適切であった。
雄三は明が、町人の何人かに新聞のようなものを見せていたのを目撃した。そこから騒ぎが大きくなり、彼らは蜘蛛の子を散らすようにいなくなってしまった。
「お前、馬鹿すぎ」
雄三はあきれ混じりにメリッサの頭をはたく。
「話し合ってどうにかなるとは限らないだろ」
「雄三はどうにかなりまシタ」
与しやすいと言われているようで、雄三は腹が立った。事実であるだけになおさらだ。
「いろんな奴がいるんだよ。俺が来なかったらどうなってたか……」
恩に着せるつもりはなかったが、メリッサの軽率さを諫める。心配していたとは素直に言えない。
「はい……、こわかった」
メリッサが雄三の背中に額をつける。心細さにずっと耐えていたのだ。これでは説教する気も起きない。雄三はメリッサの頑張りに報いるように背中を貸していた。
「でも、雄三の将棋のおかげで逃げずにすみまシタ」
「俺の? そうか……」
急場を凌げるのが役だったのが、嬉しくて笑いを堪えた。今度からは本腰を入れて教えた方がよさそうだと思った。
階段を上がってくる音がしても、二人は体を寄せあったままだった。
「邪魔するよ」
支えあう二人の様子を見ても、明は平然としていた。メリッサの疲労を鑑みての事だったのかもしれない。
今の自分達がどう見えるか気にしだした雄三は、照れ隠しのように早口で訊ねる。
「あの連中は帰ったんですか」
「ああ、それどころじゃなくなったみたいだよ」
明は眉間に皺を寄せ、新聞の号外を投げてよこした。一面の見出しに下田に基地建設と書かれている。
メリッサは雄三の体に回していた腕に力を込めた。
二
下田は、伊豆半島の南東にある都市だ。
江戸末期、アメリカのペリー提督が来航し、開国を迫ったのは有名な話である。
そして今現在、下田は歴史上、二度目の嵐にさらされている。
政府は、日本に駐留する魔王軍の機関、GHQ(General Horn Queen)の要請に応じ、下田の基地建設を決定した。
GHQは、戦後日本の政策決定に重要な影響を及ぼした。日本は敗北したわけではないのだから、従う必要はないのだが、弱腰の政府は唯々諾々とその指示に従っているように見える。
日本は戦争に負けなかったという事実は一部の人間の意識に根強く残っている。
戦況は絶望的なまでに行き詰まっていたのに、仲裁により命拾いした。その事実に目を伏せ、大日本帝国の再起を狙うものは後を絶たない。そういった勢力に力を与えないために、政府は面従腹背しているという見方もある。果たしてどれが真実か。
いずれにしろ、海を埋め立て基地を作ることに賛成するものはいないだろう。いくら防衛力の観点から必要と言っても、それは日本国の持ち物にはならないのだから。
「知ってたのか、基地のこと」
雄三は、新聞を握りしめたままメリッサに訊ねる。いつの間にか非難する語調になっている。メリッサにとっては何百人の見知らぬ人間の敵意より、雄三の失望の方が堪えていた。
「……、はい」
「お前の言ってた仕事はそれ関係か?」
メリッサは前髪を垂らし、口を閉ざす。急かしたところで、事実は揺るがない。それなのに雄三はメリッサの真意を知りたがった。
「もうそのくらいにしときなよ。メリッサは上からの指示に従ってるだけだ。そうだろ?」
明が、メリッサの打ちひしがれた様子を見かねて、割って入った。
何故弁解もしないのか。自分は信用に値しなかったのか。煮えきらない態度は雄三を激しい感情に駆り立てた。
メリッサは説明を放棄し、逃げるように部屋を出ていった。
明はその背を見送った後、雄三に哀れむようなまなざしを向けた。
「あんたも野暮な男だね」
「何がですか」
「メリッサにとってあんたは唯一の拠り所だったんじゃないのかい? 察しておあげよ、隠し事の一つや二つ」
言われるまでもなく雄三にもわかっていた。それでも同志なのだからという甘えがお互いにあったのかもしれない。苛立ちは収まらない。
今更、魔族と人間との距離を感じてしまう。遅すぎる気づきは、雄三を臆病にした。
激しく琴をかきならすような勢いで雨が降り出した。明は洗濯ものを取り込みに走ったが、雄三は座って畳をにらんでいた。将棋で良い筋を探す時の癖だったが、その実何も考えていなかった。
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