第16話 美少女提督
夕刻になっても雨が止む気配はなく、むしろ勢いを強めていた。
メリッサは宿から姿を消した。雄三達は近くを捜索したが、見つからない。
彼女の自責の念がそうさせたのか、それとも単に仕事に不都合が生じたのか。雄三たちは信じて待つしかなかった。
午後六時過ぎ、雨音に混じって戸を叩く気配があった。
雄三は真っ先に立ち上がり、戸に向けて走った。メリッサが帰ってきたのかもしれない。
「メリッサ、俺……!?」
勢いよく戸を開けた瞬間、雄三の期待は裏切られた。訪ねてきたのは別の人物だった。
「お出迎えご苦労様。でも次からはもう少し静かにお願いできるかしら。サプラズは好きじゃないの」
赤いマントを雨よけにした少女が、澄まし顔でそう言うと、雄三は冷水を浴びたかのように黙った。
「ねえ、聞いてるの? あなたが来いって言ったから来たんじゃない」
半ば呆然としていた雄三は、少女の正体にようやく気づいた。
「ザリガニ……」
「そうザリガニなんだけれどね、たくさん取れたから持ってきたの。ほら、見て!」
少女に呼応するように子供の一人が、バケツに満載したザリガニを雄三に突きつけた。雄三は蠢くザリガニを無感動に見つめた。
「ありがとう……、おいしく頂くよ」
「ちょっと! これはこの子達が食べる分よ。調理してくれるんでしょう? 旅館なんだし」
バケツを取り上げようとした雄三の手をはたき、少女は肩を怒らせた。
「ああ、ごめん。客か」
「あなた、ちょっとおかしいわよ。何かあった?」
「別に何もないよ。客だったな。ようこそ、えっと何人だったっけ」
「六人よ」
ずぶ濡れの子供たちが我先にと、上がり込んでくる。雄三の脇をすり抜け階段を上ってしまった。沈んでいた宿が、にわかに騒がしくなった。
「……、子供、増えてないか」
「気のせいよ。それだけ孤児が多いということだから嘆かわしいことね。この国を早くなんとかしないと」
マントを翻し、少女は靴を脱いだ。マントの刺繍されたGHQという文字が、否応でも目に飛び込んでくる。
「あんたが魔族の親玉か」
「便宜上というだけよ。名乗ってなかったわね」
少女のスミレ色の瞳が妖しく細められる。
「女王艦隊提督 アンネ=バルバロッサ=トリーヴァよ。よろしく番頭さん」
二
「俺は……、番頭じゃない」
雄三はそれだけ言うのがやっとだった。明を呼ばなければと焦るがアンネはそうさせてくれない。
「番頭じゃない? じゃあ丁稚? 丁稚なのね。そうなんでしょう。恥ずかしがらなくていいわ。誰でも最初は初心者よ。私も……」
「少しは俺の話を聞いてくれよ。あんたおかしいぞ。だいたい俺はここに来いなんて言った覚えはない。番頭でもないし丁稚でもない。今度変な事言ったら叩き出すぞ」
雄三は陽気な小娘のじゃれあいに辟易とした。突き放すような態度を取ったにも関わらず、アンネはこりるどころかますます勢いを増して、絡んでくる。
「何でもないのならあなたは何者なの? どうしてここにいるの?」
「何でって……」
雄三は言葉に詰まる。いつだってそうだ。雄三は身分を明かすものを何も持っていない。真剣師は正式な職業ではないし、単なるゴロツキという扱いを受けることがほとんどだ。ここにいる事すら許されない気がした。
「あなたはメリッサのなんなの? 教えてくれるまでここを離れないわ」
メリッサの名前が出た途端、雄三は顔色を変える。
「メリッサを知ってるのか? 今どこにいるのか」
アンネは腰を曲げ、にやりと笑った。
「知ーらない。それより質問に答えてよ。メリッサとどういう関係なの」
あくまで我を押し通そうとするアンネの態度に折れ、雄三は打ち明ける。口幅ったいのだが仕方ない。
「……、同志」
それを聞いたアンネの顔に赤みが差した。
「素敵! 時空を越えた美しい友愛ね。でもメリッサはお外にいるの。どうして?」
アンネの質問は子供じみているようで、痛い所をついてくる。雄三は言い逃れできない状況になった。
「同志だって思ってたのは俺だけだったのかもしれない。あいつは隠し事をしてた」
一方的な言い分に、アンネは納得していないようだ。小さく鼻を鳴らし、戸の方向を返り見た。
「嘘をつきたくてつく人はあまりいないわ。病的な嘘つきでない限り。私の知ってるメリッサは嘘つきじゃないもの。だったら沈黙するのも仕方ないと思うけど」
「身内を庇うのか?」
「庇って何が悪いの? 今あの子を庇えるのは私しかいないでしょう」
二人はにらみあったまま動かない。どちらも目をそらさないまま時間が過ぎる。
階上から子供泣き声がした。アンネは黒のストッキングに包まれたほっそりとした足を階段に載せた。
「すねてるのね、子供みたい。メリッサにそっぽを向かれるわけだわ」
雄三はメリッサが自棄を起こして、自分はそれに振り回されていると思っていた。だが、想像していのと真逆の意見をアンネに言われて自信が持てなくなった。自分が子供であることも確かだった。
アンネが一人の子供を抱えて戻ってきた。その子は下半身に何も身につけていなかった。
「粗相をしてしまったわ。申し訳ないわね」
「仕方ないよ。子供なんだから。それより寒かっただろ。温泉があるから暖まって来いよ」
アンネは小さく頷き、雄三の案内で別館に向かった。
「メリッサにも同じように接してあげて。あの子もまだまだ子供なんだから」
別れ際そう言われても、すぐに腑に落ちなかったが、何故か耳に残る言葉だった。
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