第6話 平和な均衡
ふかふかの地面に座り、二人は蛍の光に包まれるままでいた。
蛍がどこかにいってしまっても、口を開くこともせずに座っている。
平和な均衡がいつまでも続けばいいと、お互いが思っている。あるいは種族間を越えて初めて芽生えた感情かもしれない。彼らはそれを持て余していた。
惜しんでいる。雄三は特に。
「俺も仕事でここに来たんだよ」
具体的な仕事内容はまだ知らなかったが、できるだけ自分の話をしておきたかった。
「どんな仕事シテますカ?」
「普段は……」
女が髪をかきあげた時に漂った香りと、青く澄んだ瞳を前にして、雄三は身分を偽った。
「工場で働いてる」
「職人さんデスネ」
嫌みではなく、心から感心しているらしい。ますます雄三は肩身を狭くした。嘘をつくのがこんなにも苦痛になるとは知らなかった。
「あんたは……、軍人なんだよな」
言外に人を殺すのかと訊ねているようなものだった。彼女の顔は再び髪に覆われる。
「軍属ではありますが、事務処理の担当デス。そもそもこの国に危害を加えに来たわけではありまセン」
雄三の不安を払拭したかったのか、女は丁寧に身分を証明しようと努めた。
「じゃあ何のために」
「機密デス」
そもそも国の政治など雄三には関係のない話だ。冷静になった今は、自分の身の安全だけ保証されれば十分なのである。嘘の口実を設けて退散することにした。
「あんまり、時間ないんだ。俺、もう行くから」
「あ、待ってくだサイ」
そのまま立ち去りたかたかったが、無視すると何をされるかわからない。緩みかけた空気が再び重苦しくなった。
「よければ一緒に行きませんカ」
どこまでとは聞けない。地獄までと言われたら取り返しがつかないのだ。
「俺、宿を探してるんだ。すぐそこだから一人でいいよ」
「やっぱり! 私も同じデス。ふれ合う袖も縁とイイマス」
「よく知ってるなあ、そんな言葉」
「私、日本の勉強しまシタ。どこに行っても恥ずかしくないように」
女は口を押さえた。機密に関わることだったのかもしれない。雄三は聞かなかったことにした。
「俺は雄三。あんたは?」
「私、メリッサ。雄三、よろしく」
メリッサは手をさしのべる。彼女には人間の流儀が染み着いているように思える。親近感がわかないわけがない。それも罠かもしれなかったが、雄三は彼女と握手を交わした。
二
雄三とレベッカは自己紹介の後、黙って歩いた。
レベッカが水を向けるのだが、雄三に上手い切り替えしがない。魔王軍であることの問題が一端解決を見て、今度は別の問題が浮上する。
女性との会話の経験が少ない雄三は、何を話していいのかわからない。将棋指しであることは隠していたし、自ずと会話の領域が狭まってしまう。
メリッサはメリッサで、機密に関わることは話せないので、おあいこだった。そもそも遊びに来たのではないのだからと、雄三は自分に言い聞かせた。既に物見湯山の気分は吹き飛んでいる。
「あ! あの建物ではないデスか」
「どこ?」
雄三の目は見当違いの方向を見ている。焦れったくなったメリッサが雄三の肩を肩で押す。押されても見えないので、手を引いて連れていってもらう。
メリッサの目が、常人より優れていると知ったのはこの時だった。
雄三には草の切れ目から、黒い大きな影がそびえていることだけしかわからない。メリッサの手の感触だけが今や頼りだ。
「とにかく、行こう」
息苦しさをごまかすように雄三は一歩踏み出した。手は繋いだままだ。あれほど嫌悪していたのに、相手のことがなくてはならない存在となっていた。
近づくにつれ、二階建て家屋の屋根がうっすら見えてきた。宿は民家を改築したもののようだ。
営業しなくなって久しいせいか、旅館の門前は荒れ果てている。石垣は崩れ、植物の残骸が転がっていた。ぴったりと雨戸が閉じられており、廃屋の趣が強い。本当に人が住んでいるのか、自信がもてなくなりそうだ。
表玄関には鍵がかかっていたので、裏の勝手口に回った。
「御免くださいー!」
しつこく戸を叩いていると、屋内に明かりが灯る。二人は同時に安堵のため息をついた。
戸を開けて出てきたのは、髪をほつれさせた若い女だった。紫の着物の襟を合わせながら、雄三を迷惑そうに見やった。
「どなた?」
雄三は汗の浮いた女の額にじっと目を注いでいる。言葉を忘れたみたいに、口を開けて突っ立っていた。
「ここは海明停ではありませんか」
不自然な間が空く前に、メリッサが取り次ぎの役を買って出る。
「そうだけど……もう、宿はやってないよ。仲居の子らも国に帰ったし。ははーん、あんたらそういう間柄か」
女は釣れない返事をしたばかりか、妙な目つきでメリッサの全身を眺め回した。雄三は我に返り談判を始める。
「俺! 今日からこちらでお世話になります。増田雄三です」
「ふぁ……」
女はあくびをして雄三に目もくれない。野太い声が荒れ野の空気を少しだけ振動させただけだ。
「ちょいとお姉さん、お連れさんは戦争の後遺症か何かかい? あたしには了見が飲み込めないんだけどね」
「えーと……」
メリッサも対応に苦慮している。雄三は自分が空回りしていることに気づいた。宿に話が通じていない。嫌な予感はしていたが、やはりあの軍人にからかわれただけだったのだ。ここにいる理由はもはやない。町に戻って、別の宿を探した方がよさそうである。
「ま、立ち話もなんだ。中に入んなよ。疲れたろう、大したもてなしはできないけど」
宿の女は一癖ありそうな笑みを浮かべて板の廊下を歩きだした。
メリッサは疑いを持たず、既に玄関でブーツを脱いでいる。
「あー、俺ここでいいや。大勢で押し掛けても迷惑だから」
「ここまで来て何言ってマスか。ご厚意に甘えまショう」
メリッサは躊躇なく力を行使し、宿に雄三を引きずりこんだ。
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