第5話 蛍の光

宵闇の道を雄三は一人歩いていた。辺りは草が生い茂り、ちくちくと肌を刺してくる。


背囊を担ぎ直した。子供に詰め将棋の本をあげたので少し軽くなっている。


親子と別れてから三十分ほど歩いているが、人家は一件もない。町外れに向かって道が逸れており、不安が募る。そればかりか、先ほどの親父の言葉が気になっていた。


「出るんですよ、あの辺は」


雄三の今晩の宿にして、新たな職場についての不穏な噂を聞いた。


目的の宿の経営者夫婦が八年前に、立て続けて亡くなった。その後、娘が後をついで細々と営業していたが、人手が足りなくなり、今は看板を下ろしているという。


宿の周りは過去の火事で無人の荒野のようになっており、うら寂しい場所になっていた。近くに墓地もあり、あの親父が雄三を脅かしたのも理解できる。


雄三を負かした軍人は何故そのような場所を指定したのだろう。単に担がれただけならいいが、嫌な予感がする。


わずかな月明かりを頼りに歩き続けると、土手に出た。川に沿って歩けばすぐだと言われている。


とはいえ、目の前に道があるのかわからないほどの暗闇である。歩みを早める気にはなれない。水筒を取ろうと、背囊に手をかけた時、草を踏みしめる音が背後から聞こえた。


獣の類、野盗、考えられる可能性が一瞬のうちに閃いた。雄三の武器は、所詮はったりだけだ。命は惜しい。水筒の代わりに財布を取り出した。


足音はまっすぐ、雄三に向かってきている。うねるような息づかいまでもが間近に迫ってくるような気がする。


自分から声をかければ、相手を刺激する恐れがあった。雄三は黙って相手の到来を待たねばならない。


「……」


相手も足を止め、雄三の出方をうかがっている。我慢比べになりそうだ。


(来るなら早く来いってんだ)


雄三は薄い財布を握りしめ、相手への憤りを紛らわせる。大人しく財布をくれてやるのはやめた。相手が向かってきたら、突き飛ばして川に落としてやろうと決めた。


雄三の力みが伝わったのか、相手が急に動き出した。予期せぬ素早い動きに雄三は慌てる。両手を上げて自分を大きくしようと試みた。


草がかきわけられ、黒い影がいよいよ躍り出た。


雄三は狂ったように荒い呼吸になっていた。普段は狭客を気取るくせに小心者で、すぐに表に出る。もはや逆襲の気概は煙のごとく失せており、逆に自分が足を滑らせた。背後には川。間抜けな最期がちらついた。


「危ない!」


雄三を救ったのは、今まさに出現した影そのものであった。その正体に、雄三はさらに驚かされることになる。




雄三の腕を掴んだのは、金髪の女だった。雄三は心の臟が凍るような思いをした。忘れもしない。列車で出会った魔王軍の女だった。


命ばかりはと、口から出かかって雄三は顔を赤く染めた。まがりなりにも勝負師なのだ。何故こうも命が惜しいのだ。


「大丈夫ですカ」


女は片言の日本語で雄三の身を案じた。雄三は、すぐさま腕を振り払い、距離を取る。


噂をすれば影だ。あの親父の言ったことが本当になってしまった。女はこう見えて、この世のものではないのかもしれないのだ。


「俺の後をつけてきたのか」


雄三は敵意を露わに女を見据えた。野盗よりもある意味危険度は高いと感じている。


女も雄三に負けず劣らず緊張しているようだったが、どこか怯えている様子だった。


雄三の恐怖が伝染したのか、だんだん女の息もうるさくなってきた。


脅したらどうだろか。雄三に誘惑の虫に飛びつきそうになる。首が取れるだけで、本性は気弱そうな女に過ぎないのではないか。


(やい)


と、すごもうとしてやめた。


喧嘩腰で挑もうとした雄三は急にやる気がなくなり、肩を垂らした。煮るなり焼くなり好きにしてくれという投げやりな心境になった。どうせ自分など、あがく価値もないではないか。刹那を懸命に生きるのが勝負師だが、彼はその点でも中途半端な男であった。


「お、落ち着きましたカ?」


女は雄三から三メートルほど離れて、動静を伺っている。危害を加えるつもりはないと言うつもりか、その距離は固く守られている。


「俺の後をつけてきたのか……?」


どうか予想と違っていて欲しい。雄三はそう願うように再び疑問を口にした。


「いいえ」


女の即答のなんと心強かったことか。


安堵のため息を隠すように、雄三は腕を口にまで持っていった。


「じゃあ何でこんな人気のない所に居るんだ」


「用がありまシて。仕事デス」


女の口はやはり重い。話がなかなか進まない。日本語が不自由なせいもあろうが、元々口数が多いほうではないようだ。


「そうか……、俺もこの近くに用があって……」


女の顔が明るく照らし出された。ほのかに肌が光っては闇に溶けて、明滅著しい。一部しか見えないからこそ、女の顔形を観察するゆとりができた。輪郭から首筋、汗をかいていることまで手に取るようにわかる。 


「蛍デスね」


「知ってるのか」


「ひょっとして馬鹿にしてマスか」


女はむっとしたような声を出した。緊張が走る。雄三はぶんぶんと首を振った。女は蒸し返そうとはせず、土手にしゃがんだ。


「蛍は淀みのない場所にしか居られまセン。我々も同じデス」


女の人差し指に蛍が止まる。


それも一瞬のことで、仄暗い夜は女の姿を隠してしまう。


もっと見ていたい。雄三も隣に座って蛍を鑑賞した。

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