第14話 加害者はだあれ?

 「――ふう。上手く掛かったみてェだな」


 術者であるディーバを中心にして、五メートル四方の空間が灰色に染まった。

 吹き付ける風が止み、足元で揺れる草花や空気中に舞う砂塵がピタリとその場で静止している。


 「わあっ! これも魔術ですか?」

 「いいえ。これは魔法といって、太古から生まれた奇跡の――あら?」


 全てが止まった空間の中で、舞依が呑気にはしゃいでいる。空中にある砂をつついてみたり、足元に生えている草を潰してみたり。

 だが、魔法が掛かった瞬間、昴は後ろに跳んで臨戦態勢を取った。と言っても、前傾姿勢になり、杖を剣に見立てて正眼に構えているだけだが。

 舞依の興奮に鼻を高くしていたメイコは、一気に殺気立つ昴に機敏に反応する。美しい碧眼で昴をじっと見つめ、怖がるものなど居ないのだと証明するかのように、剣の柄から手を放して自然体になる。


 (これ、あの時の変なヤツと同じだ! やっぱり、こいつ等が俺をこの世界に連れて行こうとしたのか!?)

 「お、お兄ちゃん。どうしたの?」


 ぎろりと二人を睨みつける昴に、舞依が怯えている。だが、本当に怯えているのは昴の方だった。

全てが停止した空間の中で、自身が味わったあの恐怖体験がフラッシュバックする。冷や汗が背筋を伝い、鳥肌が立つ。

 同じく昴の急激な変化に反応したディーバが、尻尾をだらりと下げて背中の刀に手を伸ばす。それをを手で制しながら、メイコは昴に優しく語りかける。


 「落ち着いてください。私達に、あなた達に危害を加えようという意思はありません」

 「嘘を吐くな! この魔法、空間を固定しているんだろう? こいつの所為で、俺は家族と離れ離れになる所だった!」

 「……? それは、どういう――」

 「知らないとは言わせない。玉虫色の紙きれを持った、全身黒ずくめの男だ。 これと同じ術を使って、俺をどこかに引きずり込もうとしたんだ」


 敵意を剥き出しにする昴に、ディーバとメイコは目を見開く。互いにアイコンタクトをすると、竜人は柄から手を放して、首を横に振った。


 「それは、俺らじゃねェ」

 「はあ!? そんな訳ないだろう。俺は今日、確かに体験したんだ」

 木の棒を握りしめながら言う昴に、二人はもう一度アイコンタクトを交わすと、何を思ったか剣を鞘ごと地面に放り捨てた。


 「嘘じゃねェさ。断じて、お前さんに危害を加えようとはしていない」

 「私も同じです。――勇敢なお兄さん、一つ、聞かせてくだい。あなたは、その全身黒ずくめの男からどうやって助かったのですか」

 「それは……。女の人の声が聞こえて、光の帯が男を縛って、それで――」


 思い出しながら体験した内容を話すと、メイコは合点したらしく、小さく頷いた。ディーバもまた、腕を腰に当てて大きく頷いた。心なしか、牙を見せるその口は笑っているように見えた。


 「まず、二つ事実を伝えておきます。貴方を襲ったのは、私達ではありません。同時に、貴方を救ったのも、私達ではありません」

 「え? なら、誰がお兄ちゃんを助けてくれたの?」


 疑問の声を上げる舞依に、メイコが静かな声で答えた。


 「”宇宙そらの揺りかご”でしょう」

 「そらの、なんだって?」

 「”宇宙そらの揺りかご”です。この宇宙の誕生直後から現在に至るまで、三次空間世界さんじくうかんせかいから幻想第四次世界げんそうだいよんじせかいまで存在する宇宙を観測し続けている、女神と呼ばれる存在です」

 「ええっ!? そんな神様いるの?」

 「俺は会った事はねェ。が、存在を認知できる奴は大勢いる。この世界にも、別の星にも」


 ディーバははそう言うと、人差し指をぴんと弾いた。すると、どうだろう。人差し指から細い虹色の光が灰色の結界へと伸びていく。結界は淡い光を放ち、より濃い灰色に染まった。

 昴はそれを、何かしらの手段を以て結界を補強したのだろうと思った。


 「? それで、姐さん。これからどうします?」

 「え? あ、ああ、そうですね。まずは、――」


二人の話を聞いて警戒心を緩めた昴を気に掛けながら、二人は軽いやり取りを交わす。

メイコの方はチラチラと昴を盗み見て気にかけているようだ。二人の会話の中には『保護』やら『治療』などの単語が聞こえてくる。


 (話の内容的に、今すぐどうにかされる可能性は低い、か? 回復だってしてくれたし、良い人たちなんだろうが、油断大敵だ。何かの罠かもしれない。舞依を連れて逃げ出すなら今がチャンスだけど……逃げ出せるわけないんだよなぁ)


 激しい脳内会議の末、昴が導き出した結論はその場でじっとしている事だった。

 どのみち抵抗しても碌な事にはならないだろうし、昴の元来持つ素直な性格が、二人が自分たちにした施しは信ずるに値するものだ、と結論付けたからだった。


 「――はい。じゃあ、その線で行きましょう。ディーバは付近の警戒をお願いしますね」

 「合点です」


 その場でじっと耐える事三分。話し終えた獣人は、曲刀を肩に担いで結界の外へと出ていく。だが、彼の耳は完全にこちら側を向いてしまっており、時折チラチラと振り返ってはまた周囲を見渡すという行為を繰り返していた。

 メイコはまず舞依に近寄ると、これからの予定を伝える。そして、いくつか質問をしているようだ。舞依が首を傾げているのを見るに、恐らく自分の事なのだろうと予想していた。

 二言三言交わし、やがてメイコが舞依に頭を下げた。舞依はぶんぶんと首を振ると、こちらに歩いて来る女騎士の後ろで昴を睨みつける。

 腰に手を当て、限界まで目を細めて口をパクパクと開けている。シスコンをこじらせている兄の共通技能である読唇術を使って解析した結果、こ・ろ・す・ぞ? という、妹から実の兄に対する死刑宣告であった。

 般若の表情で兄を睨みつける舞依にメイコは苦笑すると、今度は昴へと歩み寄る。


 「あの、ごめんなさい。私達が不快な思いをさせてしまったみたいで。私も彼も、そんなつもりはないんです」

 「うぇっ? いやあの、頭を上げてください。貴方たちが直接何かをしたってわけじゃ、ないって、分かったんで。多分」


 表情を強張らせる昴に、女騎士は二メートルほどの間隔で立ち止まり、そのまま真っ直ぐに頭を下げた。

 昴はびくびくと挙動不審になりながらも、そのまま土下座しそうな勢いのメイコを慌てて制止する。しかし、それでも腑に落ちない様子のメイコは、必ず犯人を突き止めると約束してくれた。女騎士曰く、玉虫色の紙きれは決して市場に出回る事の無い魔術師専用の呪術紙で間違いないという。だが、それがどの組織の、誰が使用したのかを突き止めるのには、時間が掛かるのだという事も。


 「……ごめんなさい。まさか、そんな事があったなんて。あなたには、不必要に怖がらせてしまいましたね」

 「あの、ええと、取り敢えず俺が助かったのも本当の事なので、もう大丈夫です。でも本当に誰が使ったか分からないんですか?」

「残念ですが、今は何とも言えません。でも、この魔法を使えるのは限られた人だけなんです。それこそ、魔法の扱いに長けた者ぐらいしか――」


 そこまで言ったところで、メイコは急にハッと顔を上げると、真後ろを振り返る。彼女の視線は細く鋭く、まるで彼方に居る誰かを睨みつけているかのようだった。


 「えっと、どうかしましたか?」

 「……」


 恐る恐る話しかける昴に構わず、女騎士は美しい金の髪をいじりながら一人黙考する。


 「……、いいえ。今はやめておきましょう、確証もありませんし」


 体感にして二、三分だろうか。メイコはふう、と小さなため息を吐くと、顔に掛かった髪を後ろに払い、昴の方に向き直る。その時にはもう、直前まで纏わせていた剣呑な雰囲気は綺麗さっぱり消え失せて、人当たりの良い笑みを浮かべていた。


 「さて、自己紹介の続きと行きましょうか。今、結界を張っている竜人の彼は、ディーバと言います。遠い異国の地から来た、私の数少ない友人の一人です。豪快な性格ですけど悪気はないので、許してやってください」

 「は、はい。ああいうタイプ、嫌いじゃないので」

 「お兄ちゃん、根暗だもんねー」

 「やかましいわ。張り倒すぞ」

 「きゃー、こわーい」


 仲のいい兄妹の姿を見て、メイコは微笑みを浮かべる。しかし、笑っているはずの表情が泣きそうに見えるのが、昴の目にはとても印象に残った。

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