第13話 それは、予期せぬ邂逅
「気分が落ち着いてきたみたいですね、良かった」
そう言って胸を撫で下ろす彼女の笑みがあまりにも綺麗で、昴の心臓がドキリと大きく撥ねた。
急に赤くなって縮こまってしまった兄をジト目で睨みつけながら、舞依は心の中で大きくため息を吐く。
なぜ、兄はこうも女性に対して免疫がないのか、と。その一端は、事あるごとに兄に引っ付いて甘える舞依にも原因は在ったりするのだが。
舞依は返事の出来ない兄に代わってお礼の言葉を口にした。だが、女剣士はゆるりと首を横に振る。
「お礼には及びません。困った人を助けるのも、我々の仕事の一つですから」
「そうだな。寧ろ、これが出来なくちゃあ、この仕事は務まらねェからなァ」
女騎士の言葉に、獣人も大きく頷く。
《仕事》と言うからには、何らかの職業に就いている事は間違いない。恐らく、ギルドか街の治安に携わっているか。借りてきた猫のように大人しくなってしまった舞依を横目に見ながら、昴はそんな事を考えていた。
「……でも、助けて頂いた事は事実ですし。そこはお礼を言わせてください。妹も言いましたけど、有難うございます」
流石に、二人の素性が明らかでないうえに妹の安全も確保されているわけではない。だが、『どんな相手であれ、せめて最低限の礼儀をもって接しろ』と、そう祖父に仕込まれいる昴は律儀に頭を下げる。
同じように頭を下げた舞依が、女騎士の表情を盗み見る。彼女は大きく目を見開いて固まっていた。
だがそれも一瞬の事で、次第に口元が緩んで笑みを形作る。頬が紅潮し、瞳には星屑の輝きが灯った。ぱあっと花開くように喜色満面になると、今度は一転して慈愛の籠った表情になった。
「……可愛い」
「か?」
「わ?」
「いい?」
舞依が思わず漏らした一言に、昴・獣人・女騎士の順番で反応する。ややあって言葉の意味を理解した女騎士の顔が、今度は羞恥で真っ赤になった。
脳内で舞依の言葉を反芻しているようで、女騎士は金の髪を振り乱しうー、とかあー、とか小さく唸る。
「うー……。えへへ、改めて言われると、照れます。そうだ、自己紹介をしていませんでしたね! 私はメイコ。コバヤカワ、メイコと言います」
獣人と兄弟の生暖かい目に気付いた女騎士はコホンと咳ばらいを吐くと、照れ笑いを浮かべた。まだ完全には回復しきっていないのか、耳朶が赤いままだ。
誤魔化すように自己紹介を始めた女騎士の名を聞いた昴と舞依は、その聞き慣れた響きに飛び上がらんばかりに驚いた。
「ええっ!」
「に、日本人なんですか!?」
「え? ええっと、そうでは――って、きゃあ!」
後に続けようとした言葉は、駆け寄った舞依によって遮られる。
「あ、あのあの」
「コバヤカワさんって、日本人なんですよね? 私達、急にこの世界に来ちゃったんですけど、帰る方法って分かりますか? コバヤカワさんもこの世界に来ちゃったんですか?」
「舞依、ちょっと落ち着け。コバヤカワさん困ってる」
メイコが若干引いている事すら気にせず、なりふり構わずに舞依が詰め寄る。
彼女の苗字と名は、昴達日本人にとっては、とても馴染みのある音だった。
鼻息荒くにじり寄る美少女(妹)に、ドン引きする金髪の美少女という構図は、傍から見れば真昼間から嫌がる女性を無理やりナンパしているように見えなくもない。――ここが荒野の中でなければ、の話だが。
「お兄さんの言う通りですよっ。ちょっとだけ、落ち着いてくれると助かるかなーって……」
「いやいや、これが落ち着いていられますかァ! あのあのえっと。私、今どうしてここに居るのか分からなくて。混乱しててですね?」
「分かります。分かりますよ、私もそうでしたから。ですから、今は落ち着いて、現状の把握をしましょう? 事態はもう、動き出してしまった後なんですから」
何故か顔を赤らめてもじもじとしているメイコに、舞依は自分がメイコの手をぎゅっと握りしめてしまっている事に気が付き、慌てて手を放す。
故意ではないとはいえ、見ず知らずの女性に対しての軽挙に舞依は顔を青ざめた。これでは、ヤバい女と見られてもおかしくないではないか。
だが、メイコはふう、と気分を落ち着かせるように大きく深呼吸をすると、真剣な表情で舞依の頭を撫でる。
その撫で方があまりにも優しくて、舞依は既に亡き母の事を思い出していた。撫でてくれたのなら、こんな感じだっただろうか、と。
(ふわあ……! しゅごい。なんかよく分からないけど、物凄く落ち着いてきた。ハッ! これがまさしく、バブみってやつ?)
(お前何言ってんの? 馬鹿なの?)
(お兄ちゃんは黙っててっ!)
一気に蕩けた顔になる舞依に、昴が心の中で突っ込む。が、舞依は昴の反応を読んでいたかのように目で訴えかける。
「むぅ~。お二人とも、何か余計な事を考えていますね?」
兄妹は疑惑の眼差しを向けるメイコに、脳内で繰り広げていたバトルを中断すると、揃って仲良く首を横に振る。
と、三人のやり取りに我関せずを貫いていた獣人が話しかけてきた。
「それよりも、だ。お前ら!
「うえっ? あ、あーず?」
目を爛々と輝かせ、深緑色の鱗に覆われた尻尾をぶんぶんと振りながら昴に趣旨の掴めない質問をぶつけてきた。竜人の意図が分からない昴は曖昧な返事しか返すことが出来ず、助けを求めるように女騎士を見る。
女騎士は小さく頷くと、未だ興奮冷めやらぬ獣人を咎める。
「こら、ディーバさん。失礼ですよ? 彼らはまだ、この世界の事について何も知らないんですから。ここは私に任せて、貴方は人払いの結界をお願いします」
「へえ、すいません姐さん。お前さんも、すまねェな」
メイコからディーバと呼ばれた獣人は、女騎士の言葉に素直に引き下がると、昴と舞依に向けて頭を下げる。昴が口を開く前に舞依が気にしてないよと笑顔で伝えると、ディーバはニヤリと笑って尻尾を一振りすると、三人から少し離れて背を向ける。
獣人は剣を大地に突き刺すと、大きく息を吐いて目を瞑る。そして、古より伝わる呪文の詠唱を始めた。紡がれる言の葉には、誰かを咎めるような、それでいて楽しませるような響きがあった。
《――狭間に潜みし灰の玉よ。我は復讐を誓うもの。平穏の時は終わりを告げて、堕落と悦楽の夜へと誘われる。汝、我の
刹那。三人を中心に、灰色の世界が広がった。
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