ココル起動

 その日の夕方。唐栗からくりロボット研究所にはたくさんの人が集まり、ちょっとしたお祭りさわぎになっていた。


「あのカラクリ天才夫婦が十年かけて開発したロボットが、今日起動するらしい!」


「しかも、そのロボットは、今までにない人工知能を持った世界最高のロボットらしい!」


 などというウワサを聞きつけたマスコミたちが研究所に押し寄せていたのだ。世界最高のロボット「ココル」が起動する瞬間をカメラにおさめ、いち早くネットニュースで配信はいしんしようとみんなが躍起やっきになっていた。


信人のぶと博士はかせ。ココルというロボットは、そんなにも高性能なAIを持っているのですか?」


 研究室内にまねかれた記者たちの中の一人が口早に質問した。AIとは、人工知能のことだ。


 信人は、無精ぶしょうひげをなでながら「そうですなぁ~」ともったいぶっている。


(お父さん……。いくらカッコつけても、そのぼさぼさヘアーと無精ひげじゃ、ぜんぜんカッコよくないよぉ~……)


 信人のとなりで大人しくしている愛菜あいなは、心の中でそうツッコミを入れ、ため息をついた。


 一年の三分の二は研究室にこもりっきりな信人は、頭はぼさぼさ、ひげも愛菜に注意されないとらず、いつもよれよれの白衣はくいを着ている。かなりだらしない中年オヤジだ。


 研究室にこもりっきりなのは母のこころも同じだったけれど、若いころから美人ロボット研究家として有名だったこころは、身だしなみはキチンとしていた。


「ココルの一番すごいところは、『ココル・ハート・システム』という学習機能がくしゅうきのうを持っていることです」


「ココル・ハート・システム? それは、いったい何ですか?」


「人と会話し、ふれあうことで、自ら感情を学び取っていくのですよ。そうすることでココルの心は成長し、人間に近づいていくのです」


「つまり、人間とほとんど変わらない心を手に入れるということですか? す、すごい!」


「そうですな。ココルの知能は、AIというより、それをはるかに超えた新しい人工知能『AGI』と呼ぶべきでしょう。わっはっはっはっ!」


「AGIですって⁉ これは本当に歴史的な大発明になるかも知れない……!」


 記者たちはおどろき、どよめきの声をあげた。


 AGI(汎用はんよう人工知能)とは、人間とほとんど同じ知能ちのうを持った人工知能のことである。その人工知能を持ったロボットは、作った人間の想像すらはるかに上回る成長をし、人間のあらゆる感情を理解できるようになるという。


 今のところ、AGIを持ったロボットは、過去に一度も誕生していない。もしも、ココルが本当にAGIを持つロボットなら、これは歴史的な大事件だといえる。


(お、お父さんったら、そこまで言っちゃっていいの? 普段は気が弱いくせに、マスコミに注目されて調子に乗っているんじゃ……)


 愛菜は、だんだん不安になってきた。


 感情をみずから学ぶ人工知能というのは、たしかにすごい。人間にあたえられた感情しか理解できない今までのロボットとは、まったくちがう。


 でも、そこまで大口をたたいて、もしもココルの人工知能が期待したほどではなかったら……信人は「ウソつき博士」とマスコミからたたかれてしまうだろう。


(勇治がいてくれたら、お父さんに冷静なツッコミを入れて、ちょっとは大人しくさせてくれるんだけれどなぁ~……)


 勇治は研究所からすぐ近くの距離きょりにある自宅でバトラーと留守番中だ。あれから何度もさそったのだけれど、結局、勇治はココルの起動に立ち会おうとはしてくれなかった。


(ココルのことも心配だわ。目覚めた時にこんなにもたくさんの記者たちがいて、ビックリしたりおびえたりしないかしら?)


 愛菜は心配事がいっぱいで、お腹が痛くなってきた。







 同じころ、唐栗ロボット研究所から少しはなれた道路に一台のトラックがとまっていた。


「サーペント団本部からの情報によると、この研究所で、今日、人間と同じ知能を持ったロボットが起動するらしい。今回のオレたちのミッションは、そのロボットを強奪ごうだつすることだ」


 国際犯罪組織こくさいはんざいそしきサーペント団の幹部かんぶの一人であるアケディアは、トラックから降りると、手下の熊坂くまさか長太ちょうたねこねこにそう告げた。


「ボスぅ~。おいら、腹が減って働きたくないよぉ~。晩ご飯を食べてからにしようよぉ~」


 体が大きくて食いしん坊な熊坂は、スナック菓子をボリボリ食べながら、そう言った。


 スナック菓子だけでは物足りない。レストランにでも行って肉をがつがつ食べたい。この男は、そんなふうに食事のことだけを考えているのだ。


「あ……アケディアさん。本当にこんなにも大きなロボット研究所に侵入しんにゅうするんですか? きっとセキュリティも厳重げんじゅうだろうし、研究所の中には警備けいびロボットがうようよいるはずですよ? あたしたち、絶対ぜったいつかまっちゃいますよぉ~……」


 サーペント団に入ったばかりのねこは、ビクビクしながら涙目で言った。


 ねこは、サーペント団のメンバーでは最年少の十五歳で、十三歳の愛菜と同じくらいの身長しかない小柄こがらな少女である。


「チッ。おまえら、ぎゃあぎゃあうるさいぞ。オレだって、こんな任務にんむめんどくさいんだ。オレは、金になる銀行強盗ごうとうの任務とかのほうがいいのに……。上からの命令だから、しょうがねぇだろ。ぐたぐだ言っていないで、ミッションを開始するぞ。ああ、めんどくせぇ」


 アケディアはペッとツバをくと、ズボンのポケットからある物を取り出した。


「うげげっ⁉ ぼ、ボスぅ~。なんで手にゴキブリなんか持ってるんだよぉ~! お菓子を食べている時にそんなの見せないでくれよぉ~!」


「馬鹿野郎、大声をだすな。よく見ろ、これはゴキブリじゃない」


 アケディアは手のひらの小さな物体を熊坂に見せようとしたが、熊坂は「うひゃぁ~!」と叫びながら巨体をすってトラックの反対側はんたいがわに逃げた。


「あっ、これは昆虫こんちゅうロボットですね。昔、ロシアの科学者が開発した、ゴキブリ型の偵察用ていさつようロボット……」


 ロボットにくわしいねこが、アケディアの手のひらをのぞき、ポツリとそう言う。ねこは臆病おくびょうな女の子だが、虫とかはわりと平気なタイプなので、ゴキブリっぽい見た目のロボットを見てもだいじょうぶなのだ。


「そうだ。これを先に侵入させ、研究所を停電ていでんさせる。そして、研究所の中のヤツらがパニックになっている間にオレたちが侵入し、ロボットを強奪する。どうだ、完璧かんぺきな作戦だろ」


 この昆虫サイズのロボットは、とにかく素早い。そして、体が小さいから、厳重なセキュリティ対策たいさくがされている施設しせつにも簡単かんたんに侵入できる。だから、サーペント団はこの昆虫ロボットをスパイロボットとして悪用しているのだ。


「昆虫ロボットよ、さあ行け! 唐栗ロボット研究所のどこかにあるメインコンピューターを探して中に入りこみ、そこで自爆じばくするんだ」


 アケディアは三体の昆虫ロボットたちにそう指示をあたえると、ロボットを解き放った。


 小さなロボットたちはゴキブリそっくりな不気味ぶきみな動きをして、研究所に侵入していく。


 メインコンピューターが故障こしょうしたら、研究所は全施設が停電するだろう。そうなったら、研究所のセキュリティはいっきに弱体化するはずだ。


「熊、ねこ。今のうちにロボットスーツを着ておけ。研究所が停電したら、突入とつにゅうするぞ」


「腹減ったぁ~……」


「に、にゃあ……」


(チッ。なんでオレの部下は、こんな頼りないヤツらばかりなんだよ。ああ、めんどくせぇ)


 根っからのなまけ者のアケディアだが、手下がこのていたらくでは仕事をサボることもできない。アケディアはイライラしながら、研究所で異変が起きるのを待った。







 場面はもどって、唐栗ロボット研究所。


「おお~! この子が、ココルちゃんですかぁ~! 可愛い!」


「髪の毛が水色じゃなかったら、人間の女の子と見まちがえそうだ!」


「人間そっくりだが、人間よりもずっと美しい! そうだ、アイドル活動をさせよう!」


 研究員の若い女性が起動前のココルをおんぶして研究室に運んで来ると、記者たちはココルの天使のように愛らしい顔に感動して口々にそう言った。


(ココルは、見世物みせものじゃないのになぁ……)


 愛菜はさわがしい記者たちをちょっと邪魔だなぁと思っていた。


 マスコミが来ると聞いて、自分のお気に入りの白いワンピースをココルに着せておめかしさせてあげたけれど、生まれたてのココルがおおぜいの記者たちにパシャパシャと写真をられてビックリしたらかわいそうだ。


 できたら、自分たち家族と開発にかかわった研究員の人たちだけで、静かにココルの誕生を見守ってあげたかった。


「では、これから、オレとこころの愛の結晶けっしょうである、世界最高のロボット『ココル』を目覚めさせます!」


 すっかり調子に乗っているのか、信人はそう言うと、えへん、えへんともったいぶったせきばらいをし、


「ココルをそこのイスにすわらせてくれ」


 と、ココルをおんぶしている研究員に指示した。


 研究員の女性は「はい」と言い、研究室の奥のイスにココルをそっと優しく座らせた。


 この特別製のイスは複数のケーブルで研究所のメインコンピューターとつながっている。今から、このイスを通じてココルに大きなエネルギーを流しこみ、ココルの電子頭脳でんしずのう刺激しげきをあたえて彼女を目覚めさせるのだ。


「ど、ドキドキ……。お父さん、ココルはちゃんと目覚めるかな?」


 だんだん緊張きんちょうしてきた愛菜が、信人のよれよれの白衣をギュッとつかんでそう言った。


 信人は「だ、だいじょうぶ! たぶん、きっと、おそらく!」と答える。


 何それ、どうして自信なさげなの? と愛菜は、最初はまゆをひそめたが、お父さんも本当は不安なんだなとすぐに気づいた。


 ココルは、こころが人工知能をおも担当たんとうし、信人がボディなどその他を担当して作った。共同開発者であり、人生のパートナーだったこころがそばにいなくて、信人も「ちゃんと目覚めてくれるだろうか……」と不安でしかたないのだろう。


「だいじょうぶだよ、お父さん。ココルはお父さんとお母さんの愛の結晶なんでしょ? わたしにとっては妹みたいな存在そんざいだもん。わたしたち家族が愛情をこめて見守ってあげたら、きっと目覚めてくれるわ!」


「そ、そうだな! よし! ココルにエネルギーを流しこむぞ!」


 娘にはげまされて元気を取りもどした信人は、手に持つリモコンのスイッチを押した。


 ビ……ビビビ……ビビビ……。


 眠り姫のようにまぶたを閉じているココルに、エネルギーが流しこまれていき、その体はほのかな青い光につつまれる。


(お母さん。ココルが無事に目覚められるように、見守っていてあげてね)


 愛菜は心の中で天国の母に呼びかけ、いのるようなまなざしで光り輝くココルを見つめる。信人もごくりとツバを飲みこみながら、ココルが目を開く時を待っていた。


 記者たちは、自分が一番にココル誕生の瞬間を撮ってやろうと考えて前に出ようとし、研究員たちに「危ないからもっと下がってください!」と叱られている。


 期待と緊張に満ちた研究室が突然とつぜん暗闇くらやみになったのは、そんな時だった。


「な、何だ⁉ 停電か⁉」


 信人がおどろきの声をあげた。愛菜は何が起きているかわからず、恐くて信人にしがみつく。その直後、研究所内を巡回していた警備ロボットの車輪しゃりん移動タイプがキュイーンと高速で走って来て、信人におどろくべき報告をした。


 ついさきほど、研究所のメインコンピューターがある部屋で小さな爆発ばくはつが発生、メインコンピューターは故障。ロボットたちがコンピューター内を調べたところ、昆虫ロボットと思われる残骸ざんがいを発見した、とのことだった。


「だれかが研究所を停電させたというのか⁉ くそっ、何ということだ! 起動途中とちゅうで停電してしまったら、ココルの電子頭脳に悪影響あくえいきょうがあるかも知れない!」


「えっ⁉ そ……そんな! ココルはだいじょうぶなの⁉」


 愛菜はココルが心配で、まだイスで眠っているはずのココルのもとへ行こうとした。


「待ちなさい、愛菜。暗闇の中で歩くのは危険だ。今、予備電気に切り替える」


 信人はリモコンを操作し、研究室の電気は復旧した。室内はパッと明るくなり、ざわざわと騒いでいた記者たちもホッと胸をなでおろす。ところが――。


「う、うわっ⁉ だれだ、君たちは!」


 研究員の一人が悲鳴に近い声でさけんだ。


 いつからそこにいたのか、黒いスーツを着た中年の男と熊みたいな大男、そして、気弱そうな少女が、イスに座るココルを囲むようにして立っていたのである。


「おっと、予想よりも早く電気が復旧したみたいだな。……オレがだれかって? フン、そこにいる記者たちなら指名手配中のこのオレの顔を知っていると思うんだがねぇ」


「あ……。こ、こいつは国際犯罪組織サーペント団の幹部の一人、アケディアだ!」


 記者の一人が震える手でアケディアを指差す。それを聞いた他の記者たちはおどろき、


「た、大変だ! 凶悪犯のアケディアだぁ~!」


「新型ロボットの取材どころじゃない! に、逃げろー!」


 と、口々にわめきながら、取材道具を放り投げて脱兎だっとのごとく逃げ出していった。


 パニックになった記者たちは、逃げる時、信人と研究員たちにぶつかり、信人をふくめた数人が転倒てんとうしてケガをしてしまった。


「国際犯罪組織が、うちのロボット研究所に何の用なのよ!」


 愛菜は、右足を負傷ふしょうした信人に肩をして助け起こしながら、アケディアをにらんだ。


「おじょうちゃん、知らないのか? オレたちサーペント団は、盗んだロボットで悪事を働くんだ。今日は、カラクリ天才夫婦が開発した最新型アンドロイドをいただきに参上さんじょうしたのさ」


「ココルを誘拐ゆうかいするっていうの⁉ そんなことさせないわ! うちの研究所には警備ロボットがいっぱいいるんだから!」


 愛菜がそう言った直後、たくさんの警備ロボットたちが研究室にけつけ、アケディアたちをぐるりと包囲ほういした。


「ピピー! ピピー! 緊急事態発生きんきゅうじたいはっせい! 緊急事態発生! 侵入者を捕獲ほかくせよ! 侵入者を捕獲せよ!」


 ドラムかんみたいな見た目に反した高速走行で不審者を追いかける、車輪移動型ロボット「チェイサー追跡者」。


 チェイサーに比べたら鈍足どんそくだが、二足歩行でパワーが強い、銀色のボディのロボット「キーパー番人」。


 この二種類が、唐栗ロボット研究所を守る警備ロボットである。


 アケディアたち悪党三人を包囲したのは、チェイサー六体とキーパー五体。研究所内にはもっと警備ロボットがいたはずだが、数がっている。もしかしたら、停電した時に、侵入者のアケディアたちに不意ふいかれてこわされたのかも知れない。


「侵入者を捕獲せよ! 侵入者を捕獲せよ!」


 警備ロボットたちは、いっせいにアケディアたちにおそいかかった。


「熊! ねこ! こんなガラクタ、ぶっ壊しちまえ!」


 アケディアは凶悪な笑みを浮かべながら手下二人に命令する。熊坂とねこは、「腹減ったぁ~」「に、にゃあ……」と相変わらずのたよりない返事で、ロボットたちと戦闘を始めた。


(アケディアは恐ろしい指名手配犯らしいが、手下二人はたいしたことなさそうだな)


 信人は、最初、そう思った。しかし、予想外なことに、この手下二人は警備ロボットを相手に思わぬ力を発揮はっきしたのである。


 六体のチェイサーたちは、マイペースな熊坂が「腹減ったぁ~」とまだブツブツ言っている間に、得意の高速移動で彼を取りかこんだ。そして、四方八方から伸縮自在しんしゅくじざいの四本の腕をそれぞれギュイーンと伸ばし、大きな二本の指で熊坂の体をガシッと拘束こうそくした。


 両手や両足、首根っこなど、いたるところをロボットの腕によって拘束された熊坂は、


「腹減って死にそうだぁ~。……こんな仕事は早く終わらせて、飯を食いに行くかぁ~」


 と、やっぱり食べ物のことしか考えていないけれど、ようやく本気を出してみようと思ったようである。


「ウオーーーっ!」


 熊坂は、ケモノみたいな雄叫おたけびをあげながら両手両足を乱暴にふりまわし始めた。この大男は、プロレスラーや相撲取りなみにパワーがある。さらに、筋力が数倍パワーアップするロボットスーツを着ているため、今の熊坂には金属製きんぞくせいの重いロボットでも簡単に吹っ飛ばせる程度ていどのパワーがあった。


 熊坂を腕で拘束していたチェイサーたちは、信じられない馬鹿力にふりまわされ、仲間同士でゴツン、ゴツーン! と衝突しょうとつしてしまった。


「な、なんてことだ……。チェイサーがみんな行動不能こうどうふのうに……。量産型りょうさんがたの警備ロボットだからといって開発費かいはつひをケチらず、もっとパワーのあるロボットにしておけばよかった……」


 信人がそんな愚痴ぐちを言っている間にも、今度はキーパーたちが全滅ぜんまつしかけていた。


「に、にゃあ~! こっちに来ないでぇ~!」


 ねこは、ガシャン、ガシャンと重い足音とともにせまってくる二足歩行型のキーパーたちにおびえながらも、確実かくじつに一体ずつ行動不能にしていたのである。


(ええと、ええと……。あのロボット、かなり旧式みたい。大昔のロボットは二足歩行が苦手だったらしいから、転ばしたら起き上がれないかも……)


 ロボットの知識が豊富なねこは、ひいひい泣きつつ、心の中で冷静にそう判断はんだんした。


 ロボットの歴史において、人間と同じように歩いたり走ったりできるようになるのには、かなりの時間と研究者たちの努力が必要だった。ロボットには、人間が無意識にやっている「体のバランスをとって歩く」ことがむずかしく、歩けたとしてもとても鈍足だったのだ。


「こ、ころんでくださぁ~い!」


 本物のネコみたいにすばしっこくて体がやわらかいねこは、自分を捕まえようとするキーパーの大きな手をかわし、スライディングしてキーパーのまたをくぐった。


「侵入者を捕獲せよ! 侵入者を捕獲せよ! 侵入者はボクの股の下!」


 キーパーはこしをかがめて、両手を自分の股にばした。すると、


 ぐらり……バターン!


 体のバランスをとることに失敗したキーパーは頭から転倒てんとうしてしまったのである。ジタバタとあがいているが、しばらくの間は起き上がれそうにない。


「ごめんなさい! ごめんなさい! 転んで痛いかも知れないけど、許してぇ~!」


 ねこは、同じ要領ようりょうで、キーパーたちから逃げ回りながら、バターン! バターン! と転倒させていった。


「く、くそ~! ココルの開発でお金を使いすぎたから、激安の骨董品こっとうひんロボットを人工知能だけ新しくして警備ロボットにしたのが失敗だったぁ~!」


「お父さん……。いくらお金がないからって、警備ロボットにはお金をかけてよーっ!」


 あっという間に、警備ロボットたちは行動不能にさせられてしまった。


 もう、ココルを守ってくれるロボットは一体もいない。


 手下たちが戦っている間、卑怯ひきょうにもはなれた場所に避難ひなんしていたアケディアは、「これで邪魔者はいなくなったな」とニヤリと笑い、イスに眠っているココルをヘビのような目で見た。


「ダメ! その子を……ココルを連れて行かないで!」


 アケディアは愛菜の悲痛ひつうな叫び声を無視して、「熊、ねこ。このロボットをさっさと運び出せ!」と手下たちに命令する。


「や、やめろ! オレとこころが十年かけて作った愛の結晶にきたない手でさわるな!」


 信人も必死に叫ぶが、右足を負傷しているせいで動けない。


 わたしがお母さんの形見のココルを守らなきゃ、と思った愛菜は勇気をふりしぼり、全力疾走ぜんりょくしっそうでアケディアたちに立ち向かっていった。


「ココルは人間の友達になるロボットなのよ! 悪いことに使ったらダメ!」


 実はこの時、ココルの電子頭脳はすでに起動を開始していたのである。


「こんな可愛い子を悪いことに使うなんて、気が引けるなぁ……」


 ねこの「悲しみ」がこもった言葉。


「オレとこころが十年かけて作った愛の結晶に汚い手でさわるな!」


 信人の「怒り」に満ちた言葉。


「お嬢ちゃん、邪魔だ。ケガをしたくなかったら、どきな」


 アケディアの弱い者をいたぶってやろうというどす黒い「喜び」がこもった言葉。


「ココル! お願い、目を覚まして!」


 ココルへの「愛」がこめられた、愛菜の呼びかけの言葉。


 ココルの耳の聴覚ちょうかくセンサーは、全ての言葉を聞いていた。


 「ココル・ハート・システム」は、彼らの感情を全て受信じゅしんしていた。


 人間たちが発する感情と言葉がココルの電子頭脳を刺激し、そして――。


「チッ……。生意気なまいきなガキめ」


「お……お母さん! 助けて!」


 ココルは目を閉じたまま、イスから立ちあがり、声が聞こえる方向に手を伸ばした。


「な……何だと⁉」


 アケディアは、愛菜をなぐろうとしてふりおろしたこぶしをココルに受け止められ、おどろきの声をあげた。


 ココルは無意識にアケディアの手首をにぎる。そして、うっすらとまぶたを開き、ふわぁ~とあくびをしながら思いきり手足を伸ばした。


 アケディアの体が、ちゅうく。


「う、うわぁぁぁ!」


 ブーーーンッ‼


 アケディアは、伸びをした瞬間にココルに手を放され、研究室のかべたたきつけられた。小さな体で、信じられない怪力かいりきである。


「こ……ココル?」


 愛菜が、ふりかえる。ココルと愛菜――ついに対面したロボットの少女と人間の少女は、ちょうど同じくらいの身長だった。


 チェリーピンクのココルのひとみと涙にうるむ愛菜の薄茶色うすちゃいろの瞳が、おたがいの姿すがたうつす。


「ココル、やっと目覚めて……」


「泣かないで、愛菜ちゃん」


 ココルは、天使のような笑みでそう言った。


 ハチミツと砂糖さとうをたっぷりぜ合わせたような甘く可愛らしい声だ。


 ちょこんと小首をかしげると、パステル・ブルーの長い髪がサラサラと揺れる。


(ココルが、しゃべっている。わたしのことを心配してくれている。どことなく、しゃべりかたがお母さんにているかも。ああ、うれしいなぁ……)


 愛菜は感動してまた涙をぼろぼろと流した。でも、あわてて手でぬぐい、ニコッとほほ笑む。


「ココル。ちゃんと生まれてきてくれて、ありがとうね!」


「泣カナイデ、愛菜チャン」


「うん。もう泣いていないから、だいじょうぶだよ」


「泣カナイデ、愛菜チャン」


「だから、もう泣いていな……」


「泣カナイデ、愛菜チャン。泣カナイデ、愛菜チャン。泣カナイデ、愛菜チャン」


「……ココル?」


 何だか様子がおかしいと愛菜が思い始めた時、ココルはさらなる異常行動いじょうこうどうを取り始めた。


「泣カナイデ、愛菜チャン。泣カナイデ、愛菜チャン。泣カナイデ、愛菜チャン」


「お、おいらは愛菜っていう名前じゃねぇよぉ~! ていうか、男だしぃ~!」


「泣カナイデ、愛菜チャン。泣カナイデ、愛菜チャン。泣カナイデ、愛菜チャン」


「わたしの名前は猫矢ねこですぅ~!」


「泣カナイデ、愛菜チャン。泣カナイデ、愛菜チャン。泣カナイデ、愛菜チャン」


「ココル、しっかりしろ! オレはおまえを作った唐栗信人博士だぞ⁉」


 ココルは研究室の中をパタパタと走り回り、たまにケタケタと笑いながら、熊坂やねこ、信人に「泣カナイデ、愛菜チャン」と話しかけたのである。


「な……なんだ、こいつ? 電子頭脳がくるっているのか?」


 ココルに吹っ飛ばされてしばらく起き上がることができなかったアケディアが、よろよろと立ち上がり、そうつぶやいた。


(でも、電子頭脳が狂っていようが、関係ない。ぬすんだら、どうせウイルスで電子頭脳を狂わせて、悪事の手伝いをさせるんだからな)


 アケディアは「熊! ねこ! その頭がいかれたロボットを捕まえろ!」と命令した。


 いくらすごい怪力を持っていても、電子頭脳が狂っているのなら、自分の身を守ることなんてできないだろうと考えたのだ。


「命令ばかりしていないで、自分もちょっとは働いてくれよぉ~。腹減ったぁ~……」


 熊坂はお腹をグーグー鳴らしながら文句を言い、こっちにトテトテ歩いて来たココルの華奢きゃしゃな肩を野太い手でガシリとつかんだ。


 ココルは、捕まったのにニコニコ笑ったままで、今度は別のセリフを言い始めた。


「信人サン、オヒゲロウネ! 信人サン、オヒゲ剃ロウネ! 信人サン、オヒゲ剃ロウネ!」


「あっはっはっは。おいら、信人っていう名前じゃないし、ひげなんて生やしてないぞぉ~? こいつ、やっぱり頭がこわれてるなぁ~」


「勇治クン、転ンジャッタノ? 痛イノ痛イノ飛ンデケ~!」


「勇治くん? だれだ、そいつ……ごふぅぅぅーーーっ⁉」


 ココルは「痛イノ痛イノ飛ンデケ~!」と歌うように言いながら、両手をパーにして前に突き出した。


 突き飛ばされた熊坂の巨体は空気がぬけた風船ふうせんみたいに軽々と宙を飛び、壁際かべぎわにいたアケディアと衝突しょうとつした。


「ぐえぇ~! お、重い~! 熊、早くどけ~!」


 熊坂の下敷きになったアケディアが情けない声をあげて叫ぶ。しかし、熊坂は目を回していて当分起き上がれそうにない。


「くそ! 世話の焼けるヤツだ!」


 アケディアはぐいーっと両手で熊坂の巨体を持ち上げ、何とかぬけ出した。


 普通なら相撲すもう取りよりも重たい熊坂を持ち上げることなんて不可能である。でも、ロボットスーツを着ていたおかげで、助かった。


「ちくしょう! なんてロボットだ! こいつは、電子頭脳が狂っていても、オレたちだけでは捕獲は無理そうだな。このロボットに対抗できるような強いロボットが必要だ。ねこ! 逃げるぞ!」


「あっ! ま、待ってくださいよ、アケディアさ~ん!」


 アケディアとねこは、気絶している熊坂を二人で神輿みこしみたいにかつぎあげると、えっほ、えっほ、とかけ声をかけながら研究室から逃げ出した。ロボットスーツで筋力がパワーアップしているだけあって、逃げ足は素早い。


「悪党どもめ! ま、待てーっ!」


 信人は追いかけようとしたが、ケガをした右足が痛み、ドタンとたおれてしまった。


「お父さん!」


 愛菜や研究員たちが信人を助け起こしている間に、アケディアたちは研究所の外に出て、近くにとめてあった自動運転トラックに乗りこんで逃走していたのである。


「泣カナイデ、愛菜チャン! 信人サン、オヒゲ剃ロウネ! 痛イノ痛イノ飛ンデケ~!」


 あらしがすぎさった研究室には、でたらめな言葉をならべ立てるココルの舌足らずな声だけがむなしくひびいていた……。


(ココルは、いったいどうなっちゃったの? 本当に壊れているの……?)

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