17.1933夏 史上唯一の達成

 8月20日、伝説となった延長25回の翌日にも、中京商には試合が残っていた。第19回、全国中等学校優勝野球大会決勝戦である。対戦相手は京都の平安中(現・龍谷大平安)。初出場となった27夏の大会以来、毎年出場しており、28夏には準優勝、30春夏ベスト4と好成績を残している強豪である。最上級生の岡村俊昭(後に南海・44年首位打者)、波利熊雄、光林俊盛らはこの大会で史上最多、9回目の甲子園の土を踏んでいる。このころの平安中は台湾出身の選手が多く上記の3人も台湾人である。投手の高木正雄は北海中・郡山中・松山中といずれも1失点以下に抑えており、カーブのコントロールの良い投手。

 試合は初回、いきなり大野木が一二塁間を破るヒットを放つと、平安中守備陣が動揺からかエラーを連発。中京商は早くも2点を先取。しかしエースの吉田はコントロールが乱れに乱れ、ストライクが入らない。前日の疲れで肩が全くいうことをきかず、「ボールに行方を聞いてくれ」という調子だった。この試合で出した四球は10。延長25回で出した四球の数と同じである。しかし平安打線がこの吉田を打ち崩せない。5回にはなんとかスクイズで一点を取り返したものの、最後まで吉田を打ち崩せず。放った安打は2本。試合終了。中京商は空前絶後、夏の三連覇を達成した。



 宝塚で一泊し、在阪愛知県人会の手でなごやかな祝勝会が大阪ビルで開催された後、8月22日の午後に中京商のメンバーは名古屋駅に凱旋した。凱旋の様子を当時の新聞記事が下記のように伝えている。


「三度輝く緋の大旗、未曾有の観衆、歓呼の沿道、凱歌高く中商帰る―ー未曾有の群衆をひきつけ、騎馬巡査の整理も何のその、二十二日中商の郷土入り。三年連覇の未曾有のレコードを作った中商ナインにむけて全名古屋市民の歓迎は溶鉱炉のごとく熱騰した。名古屋駅前の大群衆、それは昨年、一昨年にも増して天文学的数字だ。講演会、学校、先輩等がスクラムを組んだ歓迎、林立するのぼり旗、「大」の字と「名」の字と「覇業」と「征覇」のカクテルだ。午後三時十三分左眉の創痕を包む名投手吉田の手に、しっかりと三度大旗ビクトリプスパルマエが握られて列車はホームへ入り、破裂する万才、殺到する肉体のダッシュ、整理警官の汗、中商ないんは英雄の上を行くもののごとく、熱狂したファンの歓迎だ。いつものごとく広小路を栄町で左に折れて熱田神宮へ戦勝の報告に上る。沿道を包む二条の人堤の中を、長蛇のごとき自動車行進団、大神の神前にぬかずくこと数分、三度連勝の栄華極まるの気概、壮にして粛然たり、今村部長を先頭に、一行は帰路直ちに御器所、北山の前梅村校長宅を訪れ、故人にして育ての親清光先生の霊前に、謹んで涙の報告をし、静かに煙る香煙につつまれて、涙に光る恩師への敬慕、なみいる人々の目に涙涙――永く伝えらるべき野球が生んだエレージの一コマである。かくて母校に帰ったが、制覇三年のレコードに酔う。二十二日の祝賀のよろこびは夜更けるまで市街を、巷間を賑わした。」



 以下は中京商初優勝時の監督だった山岡嘉次が三連覇達成後に語った言葉である。


「昭和六年の甲子園大会に出場する前までの中京商業には、球歴というものはほとんどなかった。なにしろ学校創立なお日浅く、地元の予選では愛知一中、愛知商業、名古屋商業、明倫中学などの強豪ぞろいで、わたしたちは歯が立たなかった。当時の愛知県の野球熱というものは全国でも上位で、この地方の予選に勝ち抜くというのは並大抵のことでなかった。中商は昭和六年の春はじめて選抜大会に出場した。

 勝運に恵まれ、とんとん拍子で決勝戦まで行き、広島商業に2-0で負けた。これが非常に刺激になり、大会というものはこんなものだということが、よく選手の頭に飲み込めたようだ。その後は藤井寺、京都などから日曜日の対抗試合にしばしば招待されるようになり、各チームの伝統とか、技量とか、迫力とかいうものを味わった。そして試合前の研究よりも試合後の研究に重点を置き、その勝因や敗因を検討した。

 三年も連続制覇を遂げると、中京商業は野球ばかりやっているように世間から誤解されやすいが、選手は教室と野球場を同じ程度に考えている。学生としての自分の生活の中で学業と野球とを本当にぴったり一緒にやっている。こんな点がわたくしたちの強味で杉浦や、吉田、桜井など上級学校志望者は、土曜の晩から列車で遠征するときには、教科書や参考書を持っていった。

 第一回目のときは、伝統のないチームはどこまでも精神的指導を主としてやらねばならぬと思った。第二回目のときは、細かい点、いわゆる科学的技術を研究させた。第三回目のときはある程度選手は自身を持っていたから、お前たちは先輩の踏んだものを守って行けと教えた。」



最後に、吉田が後年に語った言葉である。


「最初は歴史が浅かっただけに、優勝なんて全く考えていなかった。甲子園へ出るだけで満足していたのに、とんとん拍子に勝ち進んであれよあれよという間にゴールへ。正直言って思いがけないことだった。二年目はチームが最も充実していた。三年目がやはり一番苦しかった。」


 31春の初出場から33夏の決勝までに残した吉田正男の甲子園での通算成績は23勝(春9勝、夏14勝)3敗(春3敗(広島商・松山商・明石中)、夏0敗)。マウンドを譲ったのはわずかに2度。この間の中京商の勝敗は全て吉田一人についた。中京商の残した夏3連覇、延長25回、そして吉田の残した通算23勝。これらは不滅の大記録として大会史に今でも残っている。

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