14.1933夏 伝説 2

 10回、11回、12回、13回。試合はどちらのチームも点を取れぬまま進んでいった。先にチャンスをつかんだのは明石中。延長14回、永尾が内野安打で出塁。その後吉田が暴投し、二進。さらに続く嘉藤が四球を選んだ際に永尾が三盗に成功するがオーバーランしてしまい、結局三本間に挟まれてしまう。さらに15回。二死ながら9番の峰本、1番の山田にこの日初の連続ヒットが出て、続く横内が四球。満塁の場面で楠本に打席が回る。観客席が沸き立つが、吉田は動揺せず。楠本が低めには強いが高めには弱いという弱点を突いて、高め一辺倒。最後は2ストライク2ボールから高めの速球を投げ込み、楠本は三振に倒れた。2回続けての得点のチャンスだったが結局明石中は点を奪えぬまま、回は進んでいった。一方の中京商も中田の前に9回の吉田の内野安打以来、安打を放てないままでいた。当然、チャンスを作ることができず、次に安打を放てたのは実に延長17回。このころになると観客も疲労で声が出なくなり、甲子園は静まり返っていた。田中がセンター前に運び二死ながら一二塁。しかし中田が踏ん張り続く神谷が中飛。この回の0表示はとうとうスコアボードを超え、竹で大工が作った急ごしらえの枠にはめていくことになった。19回裏、杉浦のこの日8回目の打席が右飛に終わり、1926(大正15)年の静岡中対前橋中の延長19回を抜き、ついに大会史上最長の延長20回に突入した。20回ともなると審判団の中でももう終わらせてもよいのではという考えが出てきていた。球審であった水上義信はこのとき、「記録としては静岡中対前橋中を超えたことだし、いかに練習を積んだとはいえまだ中学生だし、雲一つない盛夏の炎天下にこれ以上はかわいそう」と審判委員長と相談をしていた。そこで両校へ試合中断を打診したが返答はともに「相手がやめるといわない限り、やめない。」結局、ルールに中止させるべき条件もないため、試合は続行となった。


 試合はついに3時間を超え、試合前にあまり食事をとらない明石中のナインは腹が減ってきていた。明石中は試合前にはおかゆをのみを食べるのが習慣であった。十分な食事をとるとどうしても動きが鈍くなるので、腹にたまらないおかゆが一番いいという竹山部長の判断からであった。しかし、当時としては想定外の3時間超え。試合中もやかんに入った砂糖水だけで食料は全くない。一方の中京商のベンチにはゲームの途中からレモンとジュースが運ばれ、吉田はベンチに帰るとレモンをしゃぶっている。「腹が減って。回を追うごとに目が回るようだった。ジュースを飲む中京商のベンチがうらやましかった。」とは明石中の峯本の談。


 そんな中でも試合は続く。そして延長21回表、明石中横内が先頭でライト前に安打を放った。11回表以来、久々の先頭打者安打である。しかも暴投も絡み一気に無死二塁。打席には3番の楠本。ここで明石中監督の高田勝生は定石通りに行ってもラチがあかないと、バントではなく、楠本に思い切って振り回せと命じた。楠本は張り切ってネクストバッターズサークルで素振りを始める。しかし、バット拾いに出ていた補欠の田口の顔に楠本の素振りしたバットが当たってしまった。田口は昏倒し、顔面は血まみれ。楠本の家は貧しく、田口の家は楠本の父親の主人筋にあたる家だった。「どうや、どうや」と田口に呼びかける楠本の顔色はみるみる変わっていき、声も上ずっている。この出来事で監督の高田の考えも変わり、「ていねいに遅れ、田口の傷はたいしたことがない。落ち着いて行け。」と結果定石通りバントをさせることにした。楠本は吉田の球をうまくバントし、三塁線へ転がしたが、フィールディングがうまい吉田は素早いダッシュでボールを拾い上げると、何の躊躇もなく三塁へ。ショートバウンドの送球とはなったものの三塁手の大野木がうまくさばきタッチアウト。無死二塁の大チャンスが一瞬にして一死一塁。続く4番中田の盗塁でなんとか二死二塁までは持って行けたものの、続く永尾が二ゴロ。明石中の勝機は霧のように消えてしまった。


 延長も20回を超えると両投手とも疲れが見え始め、球威が鈍り、ボールも多くなってきた。吉田は


「20回頃までは抑えてやるという気持ちだったが、それを過ぎると疲れから、投球は惰性になった。もう早く終わってほしいという気持ちだった。」


 中田も


「20回ぐらいまでは球も思うように投げられたがそれ以後は手がしびれて感覚がなくなり、勝ち負けよりも試合が終わってくれればよいと思った。」


 と両投手ともに同じような心情を後年語っている。このころ、楠本は中田の援護をしようと投球練習をはじめた。しかし監督の高田に「相手投手一人に対して二人がかりとは何事か」と止められたという。


 21回裏、野口のヒットと鬼頭の犠打。大野木の進塁打で二死三塁。続く福谷は三ゴロ。22回裏、杉浦がレフト前にヒットを放ち、その後盗塁。二塁手嘉藤が捕手の福島の送球を後逸している間に三塁を狙うがタッチアウト。23回裏、野口内野安打、鬼頭ライト前ヒット、大野木三ゴロ野戦で二死満塁も福谷三振。24回裏、吉田死球が出塁。このとき、吉田は出塁した際、「牽制球を投げるな。俺は走らん。余分なエネルギーを使っちゃだめだ。」と中田に向かって叫んだという。続く杉浦は犠打、田中遊ゴロで二死三塁。一打サヨナラのチャンスであったが神谷は遊ゴロ。吉田を打ち崩せず凡打の山を築く明石中。疲れた中田を責め立てるがぎりぎりのところで抑えこまれる中京商。


 一投一捕、興奮も、感激も、陶酔も、すべてを通り越した異様な緊張感が場内を漂う。ラジオ中継(JOAK・現NHK)の放送アナウンサー高野国本だけが、声をからしながら戦況をマイクに向けてしゃべり続けている。


「両軍の投手も選手も、クタクタになっています。が、最後の力、人間以上のエネルギーを搾って戦って居ります。アンパイアも2万の観衆も、場内はスッカリ精も根も尽き果ててヘトヘトになって居ります……」


 しかしその高野も疲れのせいか、回数表示のない急造のスコアボードの0の羅列を見ても


「多分、只今は23回の裏と存じますが……」


 と回数を読み取ることができなかった。


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