10.1933春 世代交代の季節 下

 コントロールと投球術の吉田か、剛球の楠本か。第10回選抜中等学校野球大会準決勝。大会屈指の好カードとなった一戦は当然のように投手戦となった。吉田が0を並べ続ければ楠本も当然のように0を並べる。どちらの打線も点を奪えぬまま試合は進んだ。ところが7回裏、吉田が突如乱れる。満塁のピンチを作ると、8番打者の福島に初球まさかのデッドボール。「いまだかつて中等界の投手にこれだけの制球力のあった投手はあるまい」と評された吉田が制球ミスによって押し出しの一点を献上した。楠本にとっては1点があれば十分。そのまま中京商は立ちはだかる楠本を攻略できず3安打12奪三振。痛恨の敗退を喫した。「体力と速球で楠本に一歩を譲るが投球のミックスとコントロールにかけては楠本以上の功味をみせる吉田は、その巧さがたたってついに尊い1点を許した。同様の七回とはいえ常の如く弱打者とみれば1球を肩辺に通してつり気味に投げ、しかるのち細工をするその第1球が死球となったのであるから恐ろしい1球であると同時に口惜しい1球でもあった」と評された一戦であった。


 反対の山では29夏・30夏・31春と大会を制覇した広島商と初出場の岐阜商が決勝への切符を争っていた。広島商は2年前の春決勝で最後のゴロを処理した鶴岡一人(のちに南海・野球殿堂入り)がエースへと成長しており、横浜商・一宮中・和歌山商と破ってのベスト4であった。対する岐阜商はこの大会が2度目の出場。前年に初出場を果たした時には初戦で松山商に8対0と大敗している。その後「日本一のチームになるには日本一の練習に泣け」と猛練習を積み二年連続の選抜出場にこぎつけたチームである。初戦の静岡中戦で6得点16安打、続く鳥取一中から5得点8安打、準々決勝のからは3得点ながら12安打と打線が好調であった。試合は岐阜商打線が鶴岡を打ち崩し10安打4得点。エースの広江が広島商打線を3安打に抑え完封。初めての決勝に進出した。


 決勝は岐阜商と明石中の争いとなった。大会随一の打線が勝つか、剛球楠本が悲願の初優勝となるか。岐阜商打線が超中等級の楠本をどれだけ打ち込むかに注目が集まった。試合は初回、連投の疲れからか、楠本の制球が乱れ、先頭の村瀬を四球で出し、牽制のエラーで二塁へ進まれる。楠本は何とかこのピンチを抑え、2回、3回も調子の悪さがあったが何とか無失点で乗り切る。4回からは立ち直り、7回まで一度もランナーを出さなかった。対する岐阜商はエースの広江ではなく、2年生の松井栄造を先発させた。岐阜商は他の大会で明石中と3回対戦しており、3回とも広江で負けていた。コーチの森が広江では精神的に勝てないとにらみ、二年生投手を思い切って登板させたのである。この松井が左腕特有の球筋と投球術で明石中打線をうまく抑えた。インドロップとシュートで明石中打線をゆさぶり、強打者でもある楠本へはボール球をうまく使って無安打3三振と完ぺきに抑えた。松井の前にヒットを打ちながらも点を奪えないでいた明石中は8回表、ヒットとエラーでランナー三塁のピンチ。ここで先頭の村瀬に2ボール1ストライクからスクイズを決められ失点。打線も最後まで松井を打ち崩せないまま1対0で試合終了。3安打に抑えながらまたも決勝で勝つことができず、楠本の優勝は幻へと消えた。


 当時明石では優勝間違いなしということで明石公園にテントを張って優勝祝賀会の準備が進んでおり、選手が戻て来たら花火を打ち上げる手はずも整っていた。明石中の選手が宿舎に戻ると後援会の人たちが難しい顔で待っていたという。 

 表彰では吉田、楠本はともに優秀選手賞。中京商ではほかに神谷・野口・大野木が美技賞、優秀選手賞には杉浦が選ばれた。明石中からは深瀬が美技賞、山田と中田が優秀選手賞に選ばれた。

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