8.1932夏 中等野球の頂点 下

 決勝の組み合わせは史上初の春夏連覇がかかる松山商、初出場からの夏二連覇がかかる中京商の組み合わせとなった。31夏、32春に続いて、実に3季連続の対戦。対戦成績は一勝一敗。松山商も中京商も主力メンバーは31夏とほぼ変わりなく、攻守ともに洗礼された中等野球界の二大巨頭の世紀の一戦である。松山商は1919夏に初出場してか苦節13年。9回目にして初めての夏の決勝戦である。岸本率いる第一神港商と優勝を争って以来、6季連続出場の原動力となった藤堂・高須・三森らも5年生。この試合が中学生活最後の全国大会の一戦である。高須は後年「ああ、ついにここまで来た、といったものが実感でした。今までの自信と、不安の交錯した不安定な感情の動揺も、使命感につきあげられた心の気負いも消えて、今はただ、神に祈るといった心境にまで落ち着きました。」と語っている。中京商は春の選抜で松山商に負けて以来、「打倒松山商」を合言葉に猛練習を繰り返してきた。松山商エース、三森の鋭いカーブを打たねば勝利はない。どうしたらあのカーブを打てるのかと、十分な研究、打ち込みをしてきた。主将の桜井は選抜終了後「大阪駅から汽車に乗って名古屋へ帰るとき、ちょうど春雨がしとしとと降り続いていた。梅田のネオンがあめにさびしく光って、何とも言えない気持ちだった。自然と涙がにじみ出てきて、絶対に夏には松山に勝つぞと誓いあった。」という。


 待ちに待った好敵手・三森が目の前にいる。あのドロップを打つんだと、中京ナインは最初からドロップに的を絞って攻勢に出た。一回裏、二死ながら走者を二塁において、四番の杉浦清が三森のドロップを狙い打った。「松山さえ倒せば連続優勝できるという希望に満ち、夏の練習も定評ある三森投手のドロップを打つ子日目標を置いて猛練習をつづけた。その効があって、僕が初めての打席で三森投手のドロップを狙って安打を打ち、最初の一点を稼いだ時は、うれしかった。」と後年に語る通り、杉浦がレフト前へヒットし先制打。この先制打は中京打線の士気を大いに盛り上げ、以後のびのびとしたプレーにつながった。一方の松山商はこのヒットで委縮して堅くなってしまった。三森の球は静岡中や明石中との熱戦により衰えており、2回裏には早くも降板。


代わって登板した景浦も押し出し四球。6回裏にも中京商恒川のタイムリーが出て松山商は3失点。吉田は前の試合で休めたこともあり、好調で、ストレート、カーブのコントロールは十分、さらに球に投げる緩い球が効果的で無失点を続ける。中京商の優勝、松山商の敗退が少しずつ見え始めていた。九回表一死、走者なし。ここまで無失策を続けていた中京守備陣が乱れた。松山商尾崎のゴロを吉岡が失策。続く三森は左翼線へのヒットで続く。そして、二人の走者を置いて6番の景浦。内角高めのストレートを叩くとボールは左中間を破った。走者が二人帰る3塁打。つづく山内は吉田のカーブをうまく打ち、打球は岡田・恒川の一二塁間を抜けていった。3対3。九回土壇場で松山商は同点に追いついた。

 「ここでがんばらねば、今まで何のために猛練習してきたのだ。」と中京ナイン。その裏、中京商村上の打球が景浦の右脛に当たり、景浦は降板。三森が再びマウンドに登った。しかし、中京打線は打ち崩すことができず無得点。試合は延長戦に突入した。


 10回は共に無得点。そして11回裏、中京商は二者連続三振。このまま11回も終わるかと思われたが、三森は1番村上に四球を与えてしまった。攻撃が続く。2番恒川は三遊間を抜いてヒット。打者は3番主将桜井。胸にファールチップを受けて、胸が痛くて苦しんでいたが気力の一言で頑張りぬいていた。中京商が甲子園の土を踏む前からクリーンナップとして、捕手として中京商の中心に君臨した男が打席に立った。桜井の狙いはもちろんドロップ。三森が投げたドロップが桜井のバットに吸い付く。ボールははじかれ三森の横を抜けていく。村上が二塁から帰ってくる。球史に残る大熱戦は延長11回、中京商のサヨナラで幕を閉じた。優勝の瞬間、中京商の梅村校長は天に向かってバンザイを叫び、周りのものと握手を交わして喜んだという。



以下は飛田穂洲の評である。

 中京は再度の優勝に得意思うべしである。吉田の球威、全軍の打撃、ことに走者を出してからのうま味のある攻撃少しもソツがない。前半の得点にはさほどの華やかさはなくとも、その得点に至らしめた径路をたどれば、各選手の試合慣れが機会を逃さぬ手際よさを感嘆される。主将桜井をはじめ村上、恒川らの攻撃は確かに三森を雌伏するに足るものがあった。吉田が三森、景浦の二投手に投げ勝ったのも勝因に大きな力となっている。新興初陣に優勝し、直ちに大会連勝のレコードに達したその発達のすさまじさ、誠に喜びに耐えまい。



 春の王者松山勝を破り、中京商は和歌山中、広島商に続く夏連覇を成し遂げ、真紅の大優勝旗は主将の桜井の手に握られた。8月21日、名古屋駅に凱旋。昨年に増してファンの人垣が広く長く続き、市長なども混じって、バンザイの叫び声が広い構内に響き渡った。

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