7.1932夏 中等野球の頂点 上

 1932年夏の甲子園にも中京商・松山商・明石中はそろって出場した。中京商・明石中は2失点で予選を突破し、松山商も予選を全試合を大差で勝ち抜いた。吉田―桜井の中京商か、強打の松山商か、楠本の明石中か。1932年夏の甲子園はこのビッグ3を中心に大変な人気に沸いた。大会前の7月末から行われたロサンゼルス五輪で7つの金メダルが出て、日本中でスポーツ熱が高まっていた。ロスに巻き起こったスポーツ台風は海を渡って甲子園に来たと新聞は謳うほど、大会は超満員の連続であった。特に楠本人気はすごく、一目楠本を見ようとファンが宿舎に押しかけたり、楠本が甲子園入りするときはファンで押しつぶされそうになり人垣の中をかいくぐっての球場入りであった。大会史ではこの大会を「戦前のピーク」と書き残している。


 そんな楠本の投球はこの大会でもさえわたり、初戦の北海戦では得意の剛速球がビシビシと決まり、出たランナーは四球で一人だけ。15奪三振でノーヒットノーランの快投で勝利した。続く二回戦は後のタイガースの大打者藤村富美男が3年生ながらエースを張っている大正中。藤村は明石打線を2安打1失点に抑えたが、大正中はそれ以上に楠本に抑え込まれ奪われた三振は実に17。2安打で得点を奪えず涙をのんだ。

 楠本は準々決勝の八尾中戦も15奪三振を奪いシャットアウト。八尾中では29春に14歳のエースとして話題となった稲若博が最上級生として頑張っていたが、力及ばず3失点。楠本の3試合連続完封で悠々と準決勝進出を決めた。


 中京商は初戦で初出場の高崎商、続く準々決勝で初のベスト8進出を決めた長野商と比較的楽な相手と当たり、それぞれ5対0、7対2と楽に準決勝進出。ベンチで采配を振るっていたのは昨夏の優勝メンバーである大鹿。そしてベンチの背後ではこの年の春離任した山岡前監督が「夏の甲子園に出場したときには指導をしにくる」との約束を守り指示を飛ばしていた。



 3校の中で唯一苦戦したのが松山商。初戦の静岡中戦で、2回に先制された後、自慢の強打を静岡中鈴木芳太郎の伸びのあるストレートと鋭いカーブに完ぺきに抑えられてしまい、初回から2回にかけて1番から6番まで6者連続三振を喫する始末。9回、先頭の岩見がこの日3本目のヒットを打ったものの、続く藤堂、尾崎が打ち取られあっという間に二死。優勝候補の敗退は決まったと思われた。ところが三森が放った外角低めの球を軽くひっかけた一打が二塁走者の牽制に入った遊撃手の逆を突いて運の良いヒットとなり、岩見がホームインで同点。そして景浦がヒットで続き、7番山内の一塁正面のゴロがイレギュラーを起こし一塁手の頭を超す強運でサヨナラ勝ちをした。

 この運に乗って2回戦の早稲田実戦は8対0の大差で勝利し、今大会でも3校がそろって準決勝進出を果たした。


 準決勝の組み合わせは中京商対熊本工、松山商対明石中となった。

 中京商の対戦相手の熊本工は今大会が初出場。中京商はこの試合でも楽に試合を進め、4対0で快勝。7回からはエース吉田を休ませることができ(春夏の大会を通じて、吉田が降板したのは31夏の2回戦とこの試合のみである。)悠々と二年連続の決勝の舞台へ進んだ。


 もう一つの試合は松山商対明石中。春の決勝戦と同じ組み合わせとなった。選抜ではヒット数は共に5、三振は明石中が9に対して松山商10。与四球は明石中が2、松山商は1。ほぼ互角であった。静岡宙に逆転勝ちをして勝ち運に乗っている松山商か、エース楠本の鉄腕がさえる明石中か。甲子園には早朝からファンが詰めかけて、屈指の好カードの一戦を待った。

 楠本の剛球に対して、松山商は策を打った。遊撃手の高須の証言は以下のとおりである。


 奇しくも明石中との再度の決戦となり、昭和五(1930)年の春以来、三度にわたっての対戦で、宿敵と呼ぶにふさわしい間柄となりました。剛球・楠本投手に対しては”ボールにさわりもしない”これがいつわりのない表現で、松山商ナインはどうして打とうかと前夜から相談しました。その結果

 1.バットをベース板の上で構えよ。

 2.バックスイングをするな。

 3.バントの要領で当てろ。

 ということでした。


 打力は大学級といわれていた高須・藤堂・尾崎・三森・景浦の強力打線も楠本の前では軽打しかなかったようである。結果はどうであったか。

 初回、先頭の高須がいきなりヒット。さらにそのまま二盗を決め一気に無死二塁のチャンスを作る。すると、続く岩見のバントを明石中内野陣が処理しそこない無死一三塁。次の藤堂がスクイズを実行するが失敗し、高須は挟殺されるが、藤堂の遊ゴロを処理した峰本が一塁へ悪送球。これで一点。さらに三森のスクイズで追加点。初回、明石中は完全に内野陣が浮足立ってしまい、わずか1安打で2失点をしてしまった。その後楠本は剛腕をふるい、2安打に抑え、松山商打線から17奪三振を奪うものの、松山商三森が明石中打線を3安打に抑え無失点。結果3対0で松山商が30年春・32春と続いて3連勝を飾った。36イニングを投げてわずか9安打で長打は1本。奪った三振は実に64。大会を席巻した楠本は今大会も優勝旗に届かず、松山商のバント戦法の前に敗れ去った。

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