野分学園高等部

 集合時間の十分ほど前に、私は校門前に辿り着いた。

 総角さんは、まだ来ていない。

 夏山神社から家まで歩いて三十分。家から学校まで電車で四十分。合わせて一時間と十分。おかげでお昼をゆっくり食べられなかった。

「早いね。まさか私の方が遅いとは思わなかったよ」

 総角さんがそう言ってひょいと現れた。彼女も、わたしと同じ制服姿だ。

 めちゃくちゃ違和感。

 こういうこと言うと失礼だとは思うけど、卒業後何年か経ったOGが母校の制服を着ているみたいだ。実際もう卒業しているので、OGと言えなくはないのだが。

「美術部の活動は?」

 総角さんが訊いてきた。因みに高等部美術部の現部長はわたしである。他に同期部員がいないから。

「ないです。そんなに活動的な部活じゃありませんから」

「ふぅん。残念だけど、ないなら仕方ない。魔術部として行こうか」

 さほど残念でもなさそうに言った。

 相変わらず、自分本位にサッサと行ってしまう総角さんを追って校舎内に入ると、予想通りではあるが、職員室にだけ明かりがついていた。

 普通教室のある階へ上がる。二階は化学室だったり美術室だったり。

「美術室は通過するんですね?」

「うん。目的地は、三年生の教室だ」

 そう言って総角さんは五階まで一気に駆け上がった。追いかける方のことは考えてくれない。あと、そのスカートで思い切り階段ダッシュなんてしようものなら下着がモロ見えなのだが、良いのだろうか。普通に見えているのだけど。

「ほら、いた」

「───」

 三年D組。その前の廊下。

 髪の長い女の人が、何をするでもなく立ち尽くしていた。

 女性がわたし達に気付いたのか、それとも偶然か、こちらに顔を向けた。

 やはりというか、なんというか、潤奈先輩だった。

「なーんだ。橋姫かと思えば、若菜さんじゃない。何しに来たの?」

「……先輩こそ、何をしに来たんですか?」

 わたしが質問を返すと、潤奈先輩はあまり上品とは言えない笑みを浮かべた。これが、あの人の、魔術師としての表情かおなのだろう。紫音さんのような冷たさはないが、かと言って暖かさがある訳でもない。

 言ってしまえば、人らしさがどこにもない。ある意味では、総角さん以上に人間ではない。

 魔術師である以上、普通の人間と違うのは仕方ないことだろうが、いくら何でもこれはひどい。

 感情がない。表情はあるが、それも言わば顔の筋肉だけで作られた「形」でしかなくて、間違っても人間の表情などではない。

んじゃないの。の。いつもね。ここは、私が死んだ場所。そして、今年度の橋姫の教室でもあった」

「地縛霊、なんですか?」

 死んだ場所にいる、というところから連想して、わたしは尋ねた。

「いいえ。私は違う。でも、ここが落ち着くの。どうせ誰も気が付かないし。今の私を見ることが出来るのは、魔術師みたいに『神秘を扱う人』だけ。この学校は比較的多いけど、今は橋姫、若菜、それと──誰だったっけ?」

 潤奈先輩は総角さんの方を見て首を傾げた。面識はある様ではあるが、全く覚えられていないようだ。

「総角だ。二度と忘れるな」

 言葉は険悪だが、口調は穏やかだ。却って怖い。

「そう。どうせ忘れるから、別にどうでもいい」

 心底興味無さそうに、潤奈先輩は言った。きっとこの人の興味は、紫音さんにしかないのだろう。

 わたしは、ただ久しぶりに会う後輩だから、こうして多少の興味を持たれているだけで、そのうちわたしも『無関心』の対象になってしまうのだろう。

「知ってるかな、若菜さん。私の家の魔術」

 そう訊かれたが、わたしは全く知らない。何しろ、ついこの間まで自分が魔術師だということすら知らなかったのだ。

 三年生のフロアになんて来ないから、幽霊にも会わなかったし。来たところで、昔のわたしでは気が付かないだろうし。

「……いえ、知りません。まだ新米なので」

 少し迷ったが、正直に答えることにした。隠そうとしたところで、隠せるものでもないだろう。ましてやわたしよりも前から魔術師だった人に。

「私達少女おとめ家の魔術は、魅了。熟練者なら、目を合わせただけで術中に嵌めることすら出来るの。勿論私も出来た。でも、今こうしてここにいる私は、あくまでも魔術師だった私の残滓。魔術は使えないから、そう身構えなくても平気」

 紫音さんが言っていた、『目を合わせただけで相手を魅了する魔術師』というのは、潤奈先輩の事だったんだ。

 なるほど、道理で紫音所長は「いた」と過去形にした訳か。今現在使えないのであれば、現在系にするのは少し違う。

「まあ、魔術は使えなくても、貴女一人攫うことは容易いけどね」

 潤奈先輩がそう言った瞬間、総角さんが弾けるように飛び出した。流れるように先輩の前に躍り出るや否や、ダン、と音高く踏み込み拳を叩き込んだ。

 浅い。

 潤奈先輩は一瞬早く後ろに下がっていた。おかげで確かに当たりはしたものの、拳は入らなかった。

 速やかに後退し、半身の構えを取る総角さん。わたしは当然のことながら中国武術に詳しくないので、何の構えなのかさっぱり分からない。

 そもそも定型の構えですらないのかも知れない。ただ戦うための構え、みたいな。

「橋姫の腰巾着かと思ってたけど、意外と動けるじゃない。目障りな奴」

「……若菜ちゃん、思ってたよりコイツは実在性が高い。一旦逃げろ。魔術部の部室まで。そろそろ紫音が戻る頃合いだ。コイツはもうあの部室には入れないから、そこなら安全だ」

 総角さんが静かに言った。

 魔術部の部室がどこにあるかは知っている。鍵の開け方も知っている。逃げることが出来ないわけではない。

 ない、が。

「総角さん、貴女は──」

「ボクは紫音から君の事を任されたんだ。最優先は君の安全であって、ボクの安全ではない。いいから行ってくれ、頼むから」

 総角さんに急かされ、わたしは踵を返した。

 振り返ると、総角さんと潤奈先輩が、魔術に頼らず戦っているのが見えた。

 衝動的に戻りたくなるが、そうもいかない。もしここで戻ったら、逃がしてくれた総角さんに申し訳が立たない。

 そうして、出せる限りの速度をもって、わたしは部室に転がり込んだ。

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