花散里、総角、若菜、そして葵
祖父と言っても、会ったことはほとんどない。家ではもう、いない人扱いをされている。なるほど、そういう事情があったのか。
「時に、君達は何故それを使ってまでクトゥルフ神話について調べていた?」
花散里牧師が訊いてくる。完全に無視されていたのに、懲りない人だ。根っからのいい人なんだろう。
「別段それを調べようと思った訳じゃないんです。そもそもは──」
わたしは手っ取り早く説明した。改めて整理すると恐ろしいことになっている。始まりはただの封筒だった。そこに入っていたオレンジの種五つと、封筒に書かれていた署名が問題だったのだ。紫音さんはそれを悪戯ではなく、自らに対する挑戦であるとして捜査に乗りだし、その結果として罠に嵌った。自らの行動が招いた結果なので救いようがない。
「なるほど。確かにその本は実に便利だ。特に人探しには向いている。最適と言ってもいい。だが、遊びに使って良いものではないということは忘れずに。時に重大な秘密がそこから漏れることさえある、強力な魔術書だからね」
「それなら、何故書庫にしまわずに、誰にでも閲覧出来るようになっているんですか?」
わたしは訊いた。わたしでなくても訊いただろう。紫音さんのような、頭の冴えた人でなければ、だけど。紫音さんならきっと、訊かずとも簡単に識ることが出来るのだろうが、わたしはそんなに頭が良くないので、そんなことは出来なかった。
「さてね。それは総長にしか分かるまいよ。彼女がこの本をここに置いたのだからね」
綾女さんの意図……。そんなものがただの新米魔術師たるわたしに分かるはずもない。紫音さんなら分かるかも知れないが、あの人は今ロンドンだ。総角さんは……分からない。総角さんの事が分からない。
「ああ、こないな所におった。花散里はん、そろそろ行くで」
花散里牧師の後ろから声がした。
何だかゆったりした、柔らかい声色だった。普段の総角さんのように気の抜けた声ではないし、紫音さんのように固い声音でもない。
「おや、花散里はん。此方ん方々は?」
和装の女性がこちらを見て言う。神社の地下であることを鑑みればおかしなことではないのかも知れないが、西洋風の資料室においては、明らかに浮いた服装だった。
「嗚呼、製作科の総角明菜さんと、新人の若菜樹里さんだ」
花散里さんが、そちらを見ないままに答えた。
「ふぅん。ウチは神道学科の
何故か総角さんは無視された。
「よろしくお願いします」
「神道学科、いつか見に来てや。今はいーひんけど、橋姫やら、
そう言うと、葵さんは「ほな、行くで」と花散里さんに告げてサッサと行ってしまった。
「……まあ、彼女も悪い人ではないんだ。君のことをよく知らないから、無理もないことさ。あんまり気にしないで、好きな学科を選んで欲しい。それでは、私はここで失礼するよ。くれぐれも、邪神に関わらないように、とだけは言っておくよ」
牧師さんも立ち去って行った。忙しい人なのだろう。葵さんもどうやら迎えに来たというか、探しに来たみたいだったし。
「ところで総角さん、学科って何ですか?」
さっきからずっと訊きたかったけど、タイミングを逃してしまっていた。こうなればもう今訊くしかないだろう。
「大学の学科と同じだよ。研究の専門の大まかな括り、的な感じかな。魔術連盟の本質は学術研究機関だからね。魔術師の為の大学みたいな。学部は神秘学部しかないけど、より専門性の高い学科に分かれてるってわけ。私は魔術製作学科、通称製作科所属。紫音とか、さっきの葵さんとかが神道学科の所属だね。牧師殿は確か、宗教学科だったはず。同じ宗教でも神道だけ別扱いなのは、綾女さんの影響だろうね」
紫音さんもそうだけど、この人解説台詞長くないか。もう少し短くまとめられないものか。もう慣れたが。
しかし、その学科というのには必ず所属しなければいけないのだろうか。もしそうならば最初に説明して欲しかったが。
「いや、別に必ずしも所属しないといけないわけではないよ。所属いていない学科の授業も受けられるしね。ただ、学科に所属していると、その学科から研究補助金が出たりするから、魔術の研究をしたい、古臭い魔術師にとっては有難い環境なのさ」
古臭いって、貴女も所属しているのに。
ということは、別にわたしが学科を選ぶ必要はない訳だ。大学と違って留年がある訳でもないし、単位を取らなければならない訳でもない。勿論、その授業を卒業する為には単位が必要だろうけど。
結局のところ、魔術連盟において求められているのは、あくまでも魔術師同士の平和だけなのだから、そこについては厳しくないのだろう。
それでも魔術師同士の戦争が終わらないのは皮肉としか言い様がないが、そんなことを言ったら確実に綾女さんに怒られる(で済めばいいが、もっと酷い目にあう可能性もある)ので何も言わなかった。
「さて、帰ろうか」
総角さんが伸びをして言った。
「え、もう帰るんですか?」
「うん、調べるものは調べたし。もうじき紫音が戻って来るはずだから、その前にある程度済ませておきたいからね」
わたしがポカンとしている間に、総角さんは私達をおいて行ってしまった。
慌てて追いかけたが、追いついたのは地上への出口付近だった。
「あ、歩くの速いですよ」
わたしが文句を言うと、総角さんは珍しく真面目な顔で
「いや、若菜ちゃんが遅いだけ」
とにべもなく返した。
この人、紫音さん相手じゃないと偶にこうなるから苦手だ。
「ところで、今何時?」
総角さんが急にそう訊いてきたので、わたしはポケットから携帯を取り出し、時間を確認した。
「えっと、午前十一時十二分です」
「オッケー。じゃあ十三時に校門前に制服で集合ってことで。じゃあね〜」
驚くべきことに、総角さんは家──正確には、家を兼ねた紫音さんの事務所ビル──とは反対方向に向かって歩き出した。
わたしは完全に置いていかれた形になる。
え?
こんな事ってある?
全く理解が追いつかない。
「えっと……? 十三時に校門前……ってことは野分の?」
「そこ以外に校門がないならそうでしょ。あの人形が違う学校に通ってたならともかく、同じなんでしょ?」
混乱したわたしの独り言に理恵ちゃんが応えてくれた。優しい。優しいけど恥ずかしい。
「……取り敢えず、帰ろっか。着替えなきゃだし」
「そうだね。お腹も空いたし」
美佳ちゃんが言うまで忘れていたが、ロンドンから帰って以来、何も食べていない。お腹が空くのは当然だ。
そうしてわたし達は、何も考えず、とにかく家に帰った。
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