二強離脱

「うっ……」

 思わず口元を押さえた。人が死ぬところ、殺されるところを初めて見た人間の反応としては普通のことだとは思うが、魔術師としての反応としては不自然極まりないのだろう。事実、突然現れた男は、怪訝そうな顔をしてわたしを見ている。それがわたしをより一層気持ち悪くさせる。

「で、結局誰なの?」

 総角さんが(彼女にしては)控えめに訊いた。それはわたしも訊きたいことだった。彼については、名前しか知らない。

 見た目は……わたしと同じくらいか。身長も、体格も。ただし胸は除く。私の胸は(紫音さんも)人並みにはあるので、男性と同じだと思ってもらっては困る。因みに、総角さんは大きい。羨ましい。綾女さんは言うまでもなく小さい。どう見ても童女だ。日本人形みたい。大天使二人も、同じ。これは総角さんが悪い。

「初めまして。俺はデイビッド・ノックス。ロンドン支部所属の魔術師で、橋姫紫音のホストブラザーだ。気軽にデイビッドと呼んでくれ。会いたかったぜ、総角明菜」

「私?」

 首を傾げる。紫音さんならともかく、総角さんにとはどういうことだろうか。わたしはさっぱり分からなかったが、当の総角さんや紫音さんはすぐに思い至ったようだった。

「ふーん。要するにキミ、私の同類だね」

 総角さんと同類。それってつまり……。

「考えてることは大体分かるよ、若菜ちゃん。でも違うよ。コイツの体はれっきとした人の肉体だ。同類、というのは、あくまでも扱う魔術の話だよ。私みたいに、人間を辞めたりはしていない」

 総角さんが答えてくれたのを聞いてデイビッドがにやりと笑うのが見えた。

「ご明察。この通り俺は使役魔術使いでね。主に魔術人形を扱うのが専門だ。こうしてその道の第一人者に会えたのは行幸だったぜ」

 そう言いながら、倒れた武装男の頭を蹴った。どれほどの力がどのように作用したのか、首のところで千切れて飛んで行った。その断面からは、謎のケーブルのようなものが覗いている。

「ご覧の通り、魔力を通すための管を作ってやらなきゃ動くことも出来ねえ。しかもそれでようやくぎこちない動きが出来る程度さ。科学の力で作る人型ロボットと同じようなもんだな。動力が違うだけで」

 人型をしていても、人体ではない。だから全身を覆うような服を着て、フルフェイスのヘルメットなんかを被っていたのか。ということは、完全な人体(といっても多少違和感があるが)を作って使役する総角さんは、実は凄い人だったというわけか。

 そもそもわたし、総角さんが自分以外の何かを使役しているところをほとんど見たことがないのだが。でも今見ている身体が作り物だというのだから、その実力は恐ろしいものなのだろう。

「取り敢えず、どうして私達を包囲したのか教えて貰えるかしら?」

 紫音さんが、顔を見るのも嫌だという表情で訊いた。紫音さんがこんな顔を総角さん以外に向けているのを初めて見た。はっきり言って、これは異常事態だ。綾女さんがわたしにしがみついていることと同じくらい異常事態だ。ていうかなんでこの人わたしにしがみついてるの?

「忘れたとは言わせねえぞ、。二度とここへ来るな、そう言ったはずだぜ」

 今までの飄々とした雰囲気は消え、辺りには一気に殺気が充満した。デイビッドのものだけではない。紫音さんもまた、隙さえあれば相手を仕留めようと気を張り詰めている。

「そうだったかしら。

 その一言が決定的だった。デイビッドの顔が憤怒に歪み、武装した人形達が再び動き始めた。わたし達には見向きもせず、紫音さんのみを狙っている。

「紫音さ」

「止めておけ」

 駆け出しそうになったわたしを、綾女さんが止めた。

「あれは駄目だ。部外者の立ち入って良いものではない。まあ紫音のことだ、滅多なことにはなるまいよ」

「でも!」

「でも、じゃないわよ樹里。みっともないわ」

 理恵ちゃんにも止められる。なんで? なんで止める? どう見ても紫音さんの危機だというのに。わたしには理解できない。それともわたしが間違っているのか?

「はぁ……。

 紫音さんは面倒くさそうにそう言った。

「!?」

 声が出ない。

 自分で発したはずの声が聞こえない。他の音は聞こえるのに。原因は恐らく、紫音さんの今の言葉。アレがわたし達の声を消す魔術だったんだ。

「さてデイビッド、貴方は一つ忘れているわ」

「忘れている? 何を?」

 デイビッドは普通に声が出るらしい。紫音さんの魔術を解除したのか、それとも最初から術の対象に入っていないのか。わたしはなんとなく後者だろうと予想した。

「橋姫紫音と戦う時の注意点」

 紫音さんはこともなげに言う。自分が倒されることはないとばかりに。

 その途端、地面が変形した。床が、蔓のようにデイビッドの体に巻き付いていく。ベキベキと体が軋んでいく。死なない程度に締め付ける。

「ぐっ……」

 時間とともに、締め付ける力は強くなる。意識を保てなくなった頃、具体的には三秒後、デイビッドは地に叩きつけられた。

「どうかしら……って聞こえてないわよね」

 そりゃそうだ。意識を失っているのだから。返事が出来たらそれこそ事件だ。

 これだけの戦闘技術があれば、助けなど寧ろ邪魔になるだろう。皆が止めた理由がようやく分かった。

「じゃ、私達はさっさと撤収しましょう。コイツの意識が戻るよりも、そして何よりコイツがかけた人払いが解けるよりも早く支部まで行きたいわ」

「賛成!」

 総角さんはこんな時でもいつも通りだ。この人の心臓は鉄で出来ているのだろうか。とはいえこの場においてはわたしのように気分を悪くしている方が少数派だが。というかわたしだけだ。なんだか恥ずかしい。

 わたし達は逃げるようにしてその場を後にした。


 ヒースロー空港からすぐに地下鉄に乗り、知らないところで乗り換えて、チャリングクロスという駅で降りた。駅から出るとトラファルガー広場に出た。トラと言っているのに、置いてあるのはライオンの像である。もっとも、日本語とは関係ないから別におかしくはないのだが。

「ちょっと待ってて」

 ライオン像に囲まれた塔の前で、紫音さんがわたし達を制止した。そのまま塔に向けて手をかざす。

侵入開始ハッキング・スタート

 堂々と、ハッキングって言ったよこの人。あれだよね、バレると捕まるやつ。

全行程完了オールクリア

 しかもあっさりと成功して見せた。わたしが二言思考する時間だけで。改めて、この人は凄いと思う。魔術連盟での地位が低いことが理解不能なくらいだ。紫音さんより力のある魔術師なんて、綾女さんしか見たことがない。

「ここが入り口になるわ。明菜、人払いお願い」

「はいはーい」

 総角さんが地面に魔術陣を書き始める。わたしなんかとは比べ物にならない速度だ。わたしも決して遅い方ではないらしいのだが、それ以上に速く、正確だ。当たり前の話なのだが。経験が違う。こんなことを思っている間にも書き終わってしまう。観光地だからだろう、たくさんいた人たちがぞろぞろと去って行く。あっという間に広場にいる人間はわたし達だけになった。

「それじゃ、開けるわよ」

 紫音さんがそう言ってネルソン提督(だと後で総角さんが教えてくれたが、実際はどうなのか確かめていない。そもそも世界史を選択していないので、ネルソン提督が誰なのかも分からない)の像が立つ塔に手をかけた時、それは起こった。

 それは、突如としてどこからか飛来してきた。人の命を奪うことに特化した鉛弾が、今まさに連盟支部への扉を開かんとする紫音さん目掛けて飛んできたのだ。

「なっ……!」

 驚きは全員同じだった。撃たれた一人を除いて。

「……紫音、貴様……相当に嫌われたようだな」

 それだけ呟いて、倒れた。胸から血が濁流のように溢れている。

「……なんてことを……貴女ならわざわざ盾にならなくても、軌道を逸らすことくらい容易いでしょうに……」

 紫音さんが、信じられないといった様子で呟く。それに答えることすら、今の綾女さんには困難なようだった。かろうじて息はあるが、それも吹けば飛ぶような弱いものだ。

 しかし、これはおかしい。綾女さんは高い不死身性を持つ神様だ。実際にはただ神性が高いだけの怪物と言った方が近いように見受けられるが、それを言うときっと悲しむので言わない。その綾女さんが狙撃で死にかける? 明らかにおかしい。

「ええ、かなりおかしい。ただそれよりも、ここでのんびりしてると今度こそ私達が撃ち殺される。咄嗟に防壁は展開したけど、それもいつまでもつか……」

 狙撃されたと分かった途端、紫音さんは魔術師としての顔つきになった。心なしか口調もいつもより険しいものになっている。

 言いながら塔をスッと撫でる。それが魔術の発動となり、わたし達は魔術連盟ロンドン支部へ転移した。


 転移した先は、どこか西洋のお屋敷かお城を連想させる玄関だった。昨年末に行った賢木さんの家も、こんな感じだった。だからあの家が嫌いだったのか、と今更ながら理解した。

「取り敢えず、まずは医務室ね。ついて来て」

 紫音さんは足早に歩きだした。わたしは慌てて綾女さんを抱えて追いかける。出来るだけ早く、出来るだけ揺らさずに紫音さんについていく。服が血で汚れたが、ちっとも気にならなかった。

 実は転移する直前、わたしは一つ拾ったものがあった。綾女さんを貫いて落ちた銃弾を、わたしは拾っていた。弾を調べれば何か分かるかも、と思っての行動だった。

 その弾がポケットに入っていて、腕の中にはその弾によって重傷を負った綾女さんがいると、何だか複雑な思いだった。

 医務室(だと思う。英語で書いてあったので、私にはよく分からなかった)には、初老の紳士が居座っていた。こう言うと何だか悪いことのようだが、白衣を着ている辺り、この人がこの部屋の主なのだろう。

「嗚呼、ドクター。貴方がまだここにいて良かった」

「ミズ橋姫じゃないか!久しぶりだな。こんなところへ一体何を?」

「それは追々。取り敢えず、急患です」

 嬉しそうに立ち上がって迎えてくれた紳士を手で制し、わたしの姿が見えるように、正しくはわたしの抱えている綾女さんが見えるように立ち位置を変えた。

「ン!?どういうことだ、これは?」

「どうもこうもないわ。見ての通り、が重症なのよ」

 老紳士は狼狽した。綾女さんがどう見ても重症なのだから、当たり前のことだ。

 ベッドへ綾女さんを運ぶ。その間も老医師と魔術探偵の会話は続いていた。

「誰にやられた?」

「まだ何とも。推測は出来るけど、憶測でものを話すのは好きじゃないわ」

「嗚呼、君はそういう子だったな。いいだろう。彼女については私が責任を持って適切に処置しよう」

 医師の頼もしい返事を受けて、紫音さんは(この人にしては珍しく)優雅に一礼して医務室を辞した。

 慌てて追うわたしに気が付かないかのように、迷いなく連盟支部の廊下を進んでいく。中世の城のような雰囲気があるこの支部の中では、多くの魔術師が行き交っており、油断すると肝心の紫音さんを見失ってしまいそうだった。

「どこへ行くつもりなの?」

 ようやく追いついた時、わたしはやや息が切れていたが、それでも何とかそれだけは紫音さんに尋ねた。

「支部長室。そこ以外に、今行くべき所はない」

 淡々とした返事。余程頭に来ているらしい。いつもの(多分意図的にやっている)女性らしい口調が、今は欠片もない。

 歩いて、歩いて、歩いて歩いて歩く。

 もうどれだけ歩いたか分からない。それでも道はまだ続く。

 奥へ、奥へ。人の目に触れぬ、最奥へ。

 いつの間にか、紫音さんは銃を手にしていた。FN社の自動拳銃、Five-seveNファイブセブン。紫音さんのお気に入りだ。

「弾はSS190っていう普通の拳銃と違うのを使わなきゃいけないけど、代わりに反動が小さくてマズルライズが抑えられてるし、貫通力はトカレフ並に高いし、プラスチック製だから熱くなりにくいし、装弾数は二十発と多い。いいことづくめよ」

 と、かつて言っていたことがある。ここでは言及されなかったが、その銃、本来は政府組織などにしか売られなかったはずのものである。スポーツ用の弱弾装と共に民間モデルもあるらしいが、紫音さんが持っているのはそうではない。

 何故紫音さんがそんなものを手に入れられたのかはともかくとして、今それを手にしたということは、目的地が近いことに他ならない。

 案の定、紫音さんは一つの扉の前で立ち止まった。

 廊下はまだ続いているが、周辺に他の部屋はなく、人の気配もなかった。

「スペンサー支部長、よろしいですか?」

 紫音さんは左手でポケットから紙の式神人形を取り出しながら、銃を手にした右手でノックした。

 返事はない。辺りはシンと静まり返っている。

 紫音さんは再度ノックした。やはり返事はない。

「不在……?」

 呟きながらドアノブを回す。簡単に開く扉。

 部屋には、誰もいなかった。少なくとも、生きている人間は。

 部屋の奥には、大企業の社長を思い起こさせるような高級机が置かれ、その高級感が浮かないほどに高価な調度品や魔術具などで部屋全体が彩られていた。

 そして部屋の主は己の席に鎮座している。ただし、その広い額には銃弾の当たった穴が開き、目は何も映してはいなかった。明らかに、死んでいる。

「……チッ。やってくれたな、アイツ」

「紫音さん?」

 意味深なことを呟いていたが、わたしには何が言いたいのか分からなかった。

「死後およそ五分といったところ。死因は無論銃。ほぼ間違いなく即死。正面から撃たれてることから考えて、信用されていた人物。使用した弾丸は……5.7×28㎜、SS190ね。近距離とはいえヘッドショットなんて、余程の手練れでないと難しいのに――」

 いつものように情報を口に出しながら辺りを探していた紫音さんは、突然口を噤んだ。その顔には、微かな緊張の色が窺える。

「紫音さ――」

「しっ」

 呼びかけた声は遮られた。

「……今から貴女の指示を出すわ。よく聞きなさい。私が五分だけ貴女の姿を消す。その間にさっきの医務室に戻りなさい。そこから先は総角の指示に従って行動しなさい。私はここで一旦離脱するわ」

 少し早口にそう捲し立てた。何かに急き立てられるかのようだった。しかしわたしが何かを言う前に紫音さんが指を鳴らした。

「さあ、行きなさい。時間がないわ」

 部屋から押し出された。中から施錠される。これでわたしは医務室に戻る他なくなった。といっても実際には鍵開けくらい容易いので、事件現場に戻ることも出来たのだが、わたしは紫音さんの助手として指示に従った。

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