総角再び

 三階の部屋に戻ったわたし達は、彼女達の名前をどうするか、という議論をしていた。いや、議論というより、ひたすら名前を考えていた。

「名前を付けるなら、苗字も要るでしょ? ファーストネームは出来る限り本人の真名まなに近い方が魔術的にいいし、難しいわね」

「ガヴリエル……日本風の名前を付けるというのにまず無理がない?」

「無理があるわね。普通に」

 その時、階下でチャイムが鳴った。二階の入口に誰かが来たことを示すものだ。

「こんな時間に何かしら。依頼人の可能性が高いわね……やだやだ」

 そう言って紫音さんはエレベーターに乗り込んだ。わたしは二人の天使達と一緒に部屋に残った。

 依頼人の可能性が高いというのは、恐らくこの時間に訪ねてくるくらいなのだから、余程切羽詰まった人が助けを求めているという可能性が、数少ない友人が訪ねてくる可能性よりよっぽど高い、ということだ。これくらいはわたしにも分かる。いや、分かるようになった、というべきだろう。わたしだってこの三ヶ月間を無為に過ごして来たわけではないのだ。

 と、そこまで考えて、名前を考えなきゃと思い直したタイミングで、再び階下から音が聞こえた。

 とはいえさっきのチャイムはこの階にいても分かるように、連動して鳴る機械が設置してあるのだが、今度の音は違う。ガシャンと直接響く大きな金属質の音だった。

 わたしは慌てて入口の真上にある窓から下を覗き込んだ。

 普段ならそこにはビルの横(角地なので、道路に面してもいる方向)にある入口と、そこへ上がるための階段が見えるはずである。今も確かにそれは見える。ただ異質なのは、入口から紫音さんの細い脚がにゅっとばかりに出ているのと、その階段に付いていたはずの手すりが地面に落ちていて、その上でが伸びていることだった。

 うん、あれはどう見ても総角さんだ。なんでここにいるんだろう。確か年末の事件以来行方不明だったはずでは?

「とりあえず、大丈夫そうだね」

 あの人達なら大丈夫だろう。近所迷惑な音がしたのは間違いないが、そもそもこの辺りはだいたいいつもうるさいから問題ない。暴論。

 三分程経って、紫音さんが総角さんを連れて上がってきた。

「どう見ても腕折れてますけど、大丈夫ですか?」

「これが大丈夫に見える?」

 じろりと睨まれてしまった。総角さんのこんな顔見るのは初めてかもしれない。

「だから治すって言ってるでしょ。大人しくしてなさい」

「治すのは構わないけどさぁ、自分で蹴り飛ばしておいて第一声が『あら、折れちゃった』って、いくら何でも酷いでしょ?」

 わたしもそれは酷いと思う。

「挙句の果てに『新しいのくっつければいいんじゃない?』って、新しいの作るのに必要な腕が折れてるんだよ!」

 大荒れだった。全然大丈夫じゃなかった。

「ハイハイ、じっとしてて」

 諸悪の根源である紫音さんは、変な向きに曲がった腕を掴み、無造作に元の向きにぐっと戻した。「ギャッ」と悲鳴があがる。

 そのまま机に向かい、救急箱から見るからに怪しい包帯を取り出した。

「これ巻いとけば治るわよ」

 えぇ……。めちゃくちゃ何かの呪文が書いてあるんだけど……。

「ん、ありがと」

 しかし総角さんは何事もないかのように受け取って、腕に巻き付けた。左腕だけでは難しいだろうが、彼女もまた魔術師だ。包帯がひとりでにクルクルと巻き付いていく。

「で、紫音。キミがそんなに機嫌悪くしてる理由がこの子達ってこと?」

「いいえ、こんなに機嫌悪くした理由は貴女の来訪以外にはないわ。でも、悩んでいるのは確かね」

 総角さんは包帯を外した。思わずそちらを見ると、折れていたはずの腕は完璧に治っていた。ただ、包帯の呪文は使い捨てだったらしく、ただの包帯になってしまっている。

「で、何を降ろせた?」

 総角さんがわたしに向かって訊いてきた。

「えっと、大天使ミカエルとガヴリエルです」

 総角さんは三秒くらい固まった。いつものニヤニヤ笑いが引っ込んでいる。どうやらかなり驚いたらしい。

「本当に?」

「はい」

 疑われるのは心外だ。とはいえ、わたし自身まだ信じられてないのだけども。

「ふぅん……。確かにボクの最高傑作を使ったんだから、それなり以上のを降ろせなかったら嘘だけど、それにしても大天使とはねえ……」

「ああ、でも、彼女達は一応『大天使の力を持つ人』みたいなものですよ」

 わたしが訂正すると、総角さんは当たり前だろと言わんばかりの顔をした。

「そりゃ普通だよ。天使は本来霊体だもん。『その権能を扱うことの出来る実体』にするのが降霊術さ。若菜ちゃん、君はその才能があるよ。天才的だ」

 普通だったのか。それにしても、天才的だとか言われると恥ずかしい。顔が赤くなってるのが自分で分かる。

「で、詰まるところガヴリエルだのミカエルだの明らかに外国人の名前にしかならないものに、日本人風の名前を付けたかったってわけだね?」

「ええ、そこが悩みよ」

 いつの間にか珈琲をまた淹れたらしい紫音さんが割り込んだ。なんだかんだ言ってこの人総角さんのこと好きだよな……、と思ったけど、何も言わなかった。言ったが最後、さっきの総角さんよろしく思い切り蹴り飛ばされるのは間違いない。

 総角さんはちょっと考え込むようにした後、

「じゃあ、ボクが名前を付けてあげよう。紫音は昔からこういうの苦手だもんね」

 と言った。

「は?」

 紫音さんの威圧。圧倒的威圧。

「どっちがミカエル?」

 気にせず総角さんは続けた。すかさずミカエルが手を挙げる。いい子だ。

「オーケー。じゃ、もう一人がガヴリエルだね。初めまして、ボクが肉体提供者の、総角明菜です」

 ま、まともに挨拶してる。あの総角さんが。体は生き返っても、良識だけはヴァルハラに送られたような感じの人だったのに。

「ちょっと、そこまで意外に思われる言われはないよ」

 しまった。顔に出てたか。でも仕方ないと思う。少なくとも、年末の事件の顛末を見る限り、この人に常識と良識はない。

「まあ良いや、そう見えるのは仕方ないし。さて、名前だけど、ガヴリエルのヴがネックだね。それは避けるとして……うん、決めた」

「なんで貴女が決めてるのよ」

 紫音さんが口を挟んだ。いや、自分で決められなかったんだから、仕方ないでしょ。

「決めるのは主人たる若菜ちゃんと本人達さ。ボクはあくまで提案するだけだよ」

 そう言って総角さんは二人の名前を提案した。

「ミカエルはそのまま抜き出して、美佳みか。ガヴリエルはウリエルと被りかねないけど、やはり抜き出して、理恵りえ。こういうのはどう?」

 わたしは、素直にいいと思った。単純過ぎて考えなかったけど、抜き出してくるという手があったか、という感じだ。

「私はいい名前だと思いますけど」

 総角さんはニッコリした。わたしは本人達の意見を聞こうと思って向き直った。が、訊くまでもなく、彼女達がその名前を気に入ったのが伝わった。総角さんはいつものニヤニヤ笑いを復活させて、

「気に入って貰えたようで何よりだね。ところで、ボクの部屋はどこ?」

 と言った。紫音さんに殴られた。

 うん、そりゃ殴るよ。いきなり押しかけて来たくせに「部屋どこ?」って、いくらなんでも横暴が過ぎる。

「貴女ねえ……彼女達の名前を付けてくれてなかったらここで殴り殺してたわよ?」

 ヤバい、紫音さんがめちゃくちゃ怒ってる……。比較的危機感の薄いわたしですら、ヤバいと思うくらいには怒ってる。バキッて音したよ殴った時。

「わかったわかった。悪かったって。そう、何の為に来たって、あの家に一人で住むのが耐えられなかったから来たんだよ」

「それを先に言え」

 まだ怒ってる。当然だけど。

「だって、言う前に紫音がボクのこと蹴」

「あーハイハイ。わかったわ。貴女の部屋は上よ、上。何も手入れしてないけど、そこでも使ってなさい」

 そんな紫音さんでも、総角さんを蹴り飛ばしたことは反省しているらしい。結局、総角さんも住むことになってしまった。

「ちょっと待ってよ。私達は?」

 ガヴリエルが声を上げた。しまった、考えてなかった、という顔を紫音さんがしている。どう考えてもこの部屋で四人が生活するのは狭い。三人が限界だろう。

「あー、この部屋使って頂戴。私は上行くわ」

 紫音さんが言った。

「やっぱり、美佳ちゃんと理恵ちゃんは樹里ちゃんと一緒の方がいいでしょ」

「ちょっと!ちゃん付けはやめて頂戴!私達、偽物でも一応は天使なのよ?」

 ガヴリエルがちょっと大きな声で反対した。反対するところそこなのね。ちゃん付けは駄目なんだ。わたしもちゃん付けで呼ぼうとしてたんだけど。

「あ、樹里はいいわ。ちゃん付けでも」

 マジかよ。

 なるほど、マジかよってこういう時に言うんだな。一つ勉強になった。じゃなくて、やっぱりわたし贔屓されてるよね。

「……訂正するわね。美佳と理恵は樹里ちゃんと一緒の方がいいでしょ?」

「うん」

 ミカエルが答えた。いい子だ。

「やったー!紫音と同じ部屋ー!」

 総角さんがわかりやすく喜んでる。でもその隣の紫音さんは明らかに殴るのを我慢してる。怒らせると絶対大変なことになるね、これは。

 ともかく、これからわたし達の探偵事務所は非常に賑やかになりそうだ。紫音さんには申し訳ないけど、わたしはそれを楽しそうだと思った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る