玉鬘綾女
「衣食住ねえ……」
紫音さんが呟きながら立ち上がった。
「洋服はないわよ。どれもサイズが合わないわ。着物でいいかしら」
「何でもいいわ。着られる事が大事だもの」
まあ、今みたいに全身をタオルで巻いてるよりはよっぽどマシだろう。でも偽物とはいえ天使だと言うのに着物でいいのかと思わなくもない。
「これ、何か魔術かけられてるけど、大丈夫なの?」
紫音さんが差し出した着物を受け取ったガヴリエルが言った。
「全然大丈夫じゃないわね。んー、取り敢えず、こっちの
タンスから簡素な和服を出してくる。
後で聞いて知ったのだが、紬とは着物のうちでも、外出着にあたるらしい。本当にざっくりとした説明だったので、実際にはもっと色々何かあるのだろうけど、わたしは和服にさほど興味がなかった。
でも紫音さん着物似合いそうだな。
一応正装としては扱えないらしく、天使に着せるには不適切だと思って最初は出さなかったらしい。
「着てくれたところで申し訳ないんだけど、ちょっと出掛けるわよ。付いてきて」
紫音さんはそう言って春物のコートを手に取った。
わたしはブラウスの上からカーディガンを羽織り、ハンドバッグに貴重品のみを詰め込んだ。
「何処に行くの?」
「神社。まあ、行けば分かるわよ」
神社?
行き着いた先は、夏山稲荷神社だった。
わたしの知る限りこの町で一番大きな神社である。お稲荷さんなのに。というか、そもそもこの辺りに神社がない。まあ、そもそもわたしはまだ夏山市に詳しくないので何とも言えないのだけど。
「そんなこと言ったら、伏見稲荷大社だって大きいでしょ。お稲荷さんなのに」
「でも伏見稲荷は総本山みたいな感じでしょ、お稲荷さんの」
大きいのは当然では?
「それと、一応訂正しておくけど、稲荷神社はこの奥よ。こっちはただの夏山神社」
「え? でも昔稲荷神社だって言われたけど」
「まあ、その区別は実際のところ無いのよ。ろくに知らずにお参りする人が多いけどさ。こっちの主祭神誰だか知ってる?」
知る由もない。あんまり神様とか興味無いし、信じてないし。誰を祀った神社か知ってるのは、多分日光東照宮と太宰府天満宮くらいだ。あ、北野天満宮もわかる。徳川家康と、菅原道真だ。他の天満宮も全部菅原道真。
「出雲大社くらい分かって欲しいものだけど、まあいいわ。
意味が分からない。結局お稲荷さんなんじゃないのか。出雲大社は、えっと、確か
「だから、まあ大きいお稲荷さんだと思って間違いはないのよ。稲荷神社じゃなくても祀ってる所は他にもあるからね。さぁ、着いたわよ」
そう言って紫音さんが立ち止まったのは、奥の稲荷神社の更に奥、鳥居が立てられた洞穴の入口だった。事前に調べたところによれば、この洞穴の中に神様がいると言われているらしい。あんな立派な神社があるのに勿体ないと思う。もっとも、鳥居があっても中に入る人はいないらしいから、本当にいるのかは知らないけど。
「さ、行くわよ。足元に気を付けてね」
「ちょっと、ここ入って大丈夫なの? さっきの着物と同じ系統の魔術が感じられるのだけど」
ガヴリエルが声を上げた。魔術は分からないけど、わたしも正直同感だった。だって、曲がりなりにも神様の家な訳で、勝手に入ったらバチが当たる気がする。神様を信じてないと言っても、流石にちょっと躊躇う。せめて神主さんとかに一言声をかけたほうがいいんじゃ……。
「大丈夫よ。多分ね」
紫音さんはそう言いながら、コートのポケットに手を入れ、再び出した時には大振りのナイフを持っていた。
鳥居の内側へ向けてナイフを振るうと、パリンと乾いた音が鳴り、何かが壊れたようだった。
紫音さんはナイフをポケットにしまった。例によって、ナイフの入るような大きさのポケットではないにも関わらず、その姿は影も形も無くなっているのだった。そのままさっさと行ってしまうので、わたしは後を追うしかないのだった。
洞穴は思ったよりも広かった。ずっと奥まで続いている。入口が小さいので、光が奥まで届かない。わたしは虚空に魔術陣を描き、光の球を出現させた。でなければ足元が見えない。決して動きやすい格好ではないので、というか普通に丈が長めのスカートを履いているので、バランスを崩そうものならひとたまりもない。
「紫音さん、この奥には何が?」
「神様、もしくは
紫音さんの師匠か。何となく、出会った時以降の印象から紫音さんは最初から何でも出来るようなイメージがあったけど、紫音さんにも師匠とかいたのか。
何度か転びそうになりながらも、洞窟内を歩く事三分、いや、実際にはそんなに経ってないかもしれないけど、体感ではそのくらいで、奥の方に明かりが見えた。
「良かった。
「綾女さん?」
どこかで聞いたことのある名前だ。どこで聞いたんだっけ。
「私の師匠の名前よ。綾女さん、ご無沙汰してます」
台詞の後半は、明かりの方に向けて投げられたものだった。紫音さんはやはりさっさと奥へ行ってしまったので、わたし達は慌てて追いかけた。
最奥部にはたくさんのロウソクが置かれ、寒々とした空間に仄かな温かみを与えていた。闇に慣れた目にはちょっと眩しい。
あちこちにアヤメの花が飾られているのに気が付いた。綾女さんと名前の読みが同じだから、好きなのかもしれない。
あれ? アヤメが咲くのって、五月六月辺りじゃなかったっけ?
「相も変わらず喧しい奴よ。神の家に上がるに際して結界を斬り壊して来る奴があるか、馬鹿者め」
奥の部屋のさらに奥、何故か畳が一枚だけ敷かれたところに、ちょこんと座る小さな人影があった。十二単を身にまとい、何故か狐のお面で顔が隠されている。髪は黒く艶のある長髪で、長すぎて地面にまで届いている。まるで平安時代の貴族だった。狐面さえ除けば。この人が綾女さんなのだろう。
「それに加えて、その連れ共は何奴だ。見た所、異教の徒がいる様だが」
狐面の向こうから声が聞こえる。喋っている顔が見えない、しかも顔を覆うのは異形の面、というのはちょっと不気味だった。
「紹介しますよ。こちら、私の弟子兼探偵助手の、若菜樹里ちゃん。こちらが今回伺った主な原因の、大天使ガヴリエルと同じくミカエルです」
何故だろう。今お面の奥で綾女さんが顔をしかめたのが分かった気がする。
「神たる
綾女さんが立ち上がった。立ち上がっても紫音さんの胸辺りまでしかない。小さい人だった。ガヴリエルとミカエルでももう少し大きいだろう。彼女達もわたしより随分小さいのだけど、150cmはある。綾女さんは140cmくらいだろうか。
「まあまあ。綾女さんがこの周辺一帯を治める神様だからこそ連れて来たんですよ」
「……ふん、良かろう。疾く用件を申してみよ。下らぬ内容であれば即追い出す故、そのつもりでいるが良い」
綾女さんは元の通り座り込み、用件を聞く体勢になった。それにしてもこの人、話し方が微妙に古風で面食らうな……。
「ほう。つまり呼び出したは良いが帰す訳にもいかず、この地に住まわせたいと」
「簡潔に言えば、そういう事です。仮にも天使ですから、綾女さんの許可無しではマズイだろうと」
わたしは何も話していないが、紫音さんが上手く説明してくれた。
「しかし紫音、本当はもう一つ用件があるのではないか?」
「……流石綾女さんですね。未だに私は貴女に隠し事一つ出来ない」
「我が神だと忘れたか、戯けめ。貴様の心中など全て見通せるわ」
「なら、私が言わなくても用件は伝わってるのでは?」
「口の減らぬ奴よな……。現物は持って来たのか?」
「えぇ、勿論。それが目的ですから」
綾女さんは紫音さんが差し出した着物を手に取り、生地の手触りを確かめるかのように撫でた。
「
口早に祝詞を上げる。待って、祝詞ってもっとゆっくり読むものだよね。あと、神様自身が唱えるものでもない。
「ほれ、消してやったぞ。これでそこな天使共にも着られるだろうよ」
「ありがとうございます」
綾女さんが返した着物一式を、紫音さんは恭しく受け取った。綾女さんは、紫音さんが着物を二人の大天使に渡すのを黙って眺めていたが、やがて、もしくは唐突に口を開いた。もっとも、わたし達には口もとは全く見えないのだけど。
「さて、貴様は今後
やっぱりこの人はすごい人(神様?)だ。何も言ってないのに、用件は伝わるし、厄介事、即ち事件に巻き込まれていることにも気が付いたらしい。
私が感嘆していると、後ろから背中を軽く叩かれた。振り返ると、叩いたのはどうやらミカエルらしい。
「どうかした?」
と私は訊いた。さっき「敬語をやめて欲しい」と言っていたので、私なりに気を遣ったつもりである。
「厄介事を抱えているって、どういうこと? もしかして、私達のこと?」
そうか、彼女達は一時間ほど前の、例の手紙(?)を知らないんだ。その彼女達からしてみれば、彼女達の現界も十分厄介事に値するのだ。わたしは、そして多分紫音さんも、それを厄介事とはちっとも思ってないのだけども。
わたしは黙って首を横に振った。
「そうですね、厄介事には違いありません。今朝、手紙が届きましてね。まあそれだけならいいんですけど、それが恐らくロンドンから来たもので、中身は五つのオレンジの種だったんですよ」
「手紙が
綾女さんの意見に、紫音さんは笑って答えた。
「そうでもないんですよ。何しろ送ってよこした奴は、自分のことを正義、私のことを悪だと思っているそうですから」
「はっ、何を言うかと思えば。我の結界を斬り壊して来る様な輩が正義な筈は無かろうよ。
「それについては悪かも知れませんけどね。何しろあの結界があると、大天使達は入れませんから」
「まあそれは良いとしよう。咎めはせぬ。それで、結局如何するのだ?」
紫音さんはスっと立ち上がった。超スタイルがいいので、わたし達(さっきからずっと正座してる)よりもだいぶ頭が高いところにある。
「明後日ロンドンへ行きます。
今度は綾女さんが立ち上がった。そしてあろう事か浮遊した。小さい体だが、紫音さんと同じ高さに顔が行くようにしたらしい。別に魔術を使えば浮かぶことなんて大したことではないので、わたし達はさほど驚かなかった。魔術師になったことによる弊害とも言えるかもしれない。わたしは今や、大抵のことでは驚かないのだ。もっとも、自分が大天使を降ろしたと知った時にはものすごく驚いたけども。この頃驚くことと言ったら、紫音さんの言動くらいだ。
「また倫敦か。彼の時もそうだった。そこに何があると云うのだ?」
「私の望まぬ全ての答えが」
「望まぬ物を探しに行くのか?」
「望まぬ物を壊しに行くんですよ、貴女と同じようにね」
紫音さんは意地悪く笑った。綾女さんは見るからに不機嫌そうに再び地に降り立ち、座り込んだ。顔が隠れているのに、全身から不機嫌さが溢れ出ている。
「明後日、またここへ来るが良い。出立前に、必ず来い。結界は既に通過出来るようになった筈だ」
紫音さんはまたうやうやしく一例し、無言で外へ出て行った。
大天使二人も紫音さんの後を追って外へ出た更に後、わたしもまた出て行こうとすると、それを引き留めるように綾女さんが声をかけてきた。
「若菜樹里と言ったな、お主」
「はい、そうですけど……」
なんだろう。わたしのことを知っているのだろうか。いや、だとしたら名前を改めて訊くことはないはずだ。
「樹里、お主はあやつ、橋姫紫音の事をどれ程知っている?」
紫音さんのこと? 知ってることって意外と少ないんだよね。
「正直、あまりよく知りません。昔ロンドンへ行っていたこととか、わたしと通っていた学校が同じだとか、そのくらいです」
そもそも紫音さんが自分のことを話さないし、訊いても答えてくれないから。前に総角さんからちょっと聞いたこともあったけど、それくらいだ。
「は、その程度か。奴も話したがらぬ故、仕方なき事とは言え、少ないな」
わたしが何も答えられないでいると、綾女さんはその顔を覆う狐面を外しかけて、やめた。わたしはまだ顔を見せるに足る人物ではなかったらしい。
「では別の事を問おう。お主、我についてはどれ程知っている?」
「全く、何も。お名前くらいしか知りません」
わたしが答えると、綾女さんは突然大きな声で笑いだした。
「く、はははははははは!名前しか知らぬとは面白い。名前を知っていて、それでいてよくここまで来られたものよ」
「紫音さんに案内してもらいましたから、来られるのは当然だと思うんですけど」
綾女さんはまだ笑いがおさまらないらしく、しばらくの間お腹を抱えていたが、やがて元のように戻って言った。
「あれが案内だと? 笑わせるのは一度で良い。あやつは勝手にここへ来たに過ぎぬ。お主等は己の意志で神の家を侵したのだぞ?」
「──」
そういう考え方も出来るのか。わたしからすれば、案内されて来たのだけど、綾女さん的にはわたし達は勝手に入ってきた侵入者みたいなものなんだ。
「思い切りの良い奴は好きだぞ。特別に、我の昔話でもしてやろうか」
「い、いや、紫音さんも外で待ってますし……」
「待ってはおらぬよ」
「え?」
「気が付かなかったか? 今ここにいる我等二人を除けば、あらゆる所で時間が停止している事に。蝋燭を見よ、揺らめかず、固まっているだろう?」
全く気が付かなかった。魔術を使ったような動作も何もなく、時間を止めてみせたんだ。改めて恐ろしい人だ。
「さて、今からお主に話す事に意味が無い訳ではない。が、それを我が直接教えて遣るのも無粋故、己自身で気付くが良い」
そう言って綾女さんは語りだした。
「我は今でこそ神だが、元々はその様な高尚な者ではなかった。
「我は何処にでもいる妖、化物の類だった。
「人に化けて町へ降り、人を騙して退屈を凌ぐ、唯の化け狐であった。お主も化け狐伝承の一つや二つ、聞いた事は在るだろう? その様な物だ。ここは京からも遠く、人も多くない。故に例えば玉藻前や
「神通力を持つに至った我は死なぬ。否、死ぬ事が出来ぬのだ。この身も今や三千年は生きている。
「死ななければ、永遠に生き続ける。それは生の欲求を無くし、あらゆる事に対する興味を無くし、日々を退屈と思わせるに十分だった。
「人を化かしていたのはその退屈凌ぎに過ぎなかった。
「ある時、偶々我の前を通り掛かった男がいた。その男は、弱小で在りながらも貴族であった。当然、我はそやつを化かしてやろうと思い立った。何しろ貴族がこの様な所を歩いている事など滅多に在る事ではない。
「我はまず人の姿に変化し、その男の前に立った。
「それは紛れも無く、我の失敗であった。
「男は我に向かい、『狐か。しかし美しい』と、その様な趣旨の事を言い、あろう事か我の手を取った。そして言った。『妻になってくれぬか』と。
「我は戸惑った。人として生きていた訳ではない故、妻と言うものが何だか分からぬ。分からぬままに、承諾してしまった。
「我はその男の妻となった。大きな家を与えられ、豪奢な服を与えられ、豪勢な食事を与えられた。
「そしてまた同時に、名前を与えられた。それこそ今の我が名、綾女であった。名の由来など、如何にも下らぬ物だった。その時庭に
「我はいたくそやつを気に入った。そやつは魔術師だった。故に我の変化も容易く見破ったが、それでも我を愛した。我は愛の何たるかをそやつで知った。その時の我は幸福であった。
「しかし、その幸福も長くは続かなかった。
「夫は死んだ。一夫多妻の世であったにも関わらず、あやつは我以外に妻を娶っていなかった。にも関わらず、我を残して家を出たきり、何れ程待っても帰らなかった。我はあやつを探した。されど全く見付からなかった。
「そのうち、秋が来た。我はあちらこちらを巡って夫を探し回り、ここへ再び戻って来たところであった。
「その時丁度、この地に台風が訪れた。田畑は荒れ、人々の食物は枯渇した。
「我の精神状態は異常であった。今でもそう思えてならぬ。このままでは、夫が帰って来た時に食べさせてやる物が無くなる、そう本気で思った。
「我は持ち得る力の全てを使って、田畑を元の通りに戻した。人に見られてはならぬ等と考える余裕も無かった。
「当然、村人達に見られていた。我は既に村人達に知られてはいた。何も無い辺鄙な村に、貴族が住んでいれば噂にもなる。当時の我には分からぬ事ではあったがな。
「それ以来、その貴族の女は神であると噂されるように成った。
「田畑を護り、人に穀物を与える神。即ち宇迦之御魂であると噂された。
「我が宇迦之御魂であるとされたのにはもう一つの理由もあったが、それは割愛しよう。
「その後、我等の家は社と成った。鳥居が建てられ、建物も改築された。
「我からすれば誠に勝手な事だが、彼等には精一杯の感謝のつもりだったのだろう。だが、我は既に村人達に対する興味など無かったし、家に対する執着心も無かった。
「家の無い間、我はこの穴の中に籠っていた。それ以来今もここにいる。する事も無い故、夫の言っていた魔術という物を学ぶ事にした。今では出来ぬ事等何一つとして無い。死ぬ事を除けばだが。
「社が完成した頃、我は少し旅に出た。否、出ようと考えた。何しろここにいてもする事も無い。魔術の鍛錬ばかりしていても、飽きてしまう。
「隣の村へ着いた時、我は己の失態を悟った。そこでは、魔術師同士が殺し合っていた。夫の死んだ理由がようやく分かった。我は逃げるようにこの地へ帰った。
「それより後は、ずっとこの場所で神として振る舞い、魔術を磨き続けた。橋姫紫音という女が、そして総角明菜という女が立て続けにここへ来る迄は。
「あやつの話はあやつから聞くが良い。それは我のすべき話では無い。
「あの時、旅に出ようとした時に我が今の
「今の我は夫を生き返らせる事すら可能だろう。だが、あやつはきっとそれを望みはすまい。人は死ぬべき時に死ぬものだ、と常言っていたからな。
「さて、我が何を言いたかったか、お主ならもう分かったろうな? なら、己の後悔せぬ様に行動するが良い。さあ、紫音を待たせる訳にはいくまい。疾く行ってやれ。そして明後日、必ずまたここへ来るが良い」
綾女さんの話はとても難しかった。
彼女自身も、考えながら話しているような感じだったから、余計に分かりにくかった。
でも、言いたかった事は伝わった気がする。愛する人のこと、魔術師のこと、魔術戦争のこと。最初の一つはともかく、後の二つは最近わたしに関わるようになったことだ。綾女さんは自分の失敗談を通して、わたしに同じ失敗をするなと、そう伝えてくれた……はず。わたしはそう理解した。
紫音さんなら、もしかするともっと違う理解をしたかもしれないけど、紫音さんは紫音さんで、わたしはわたしだから、違う理解をしていた所でさほど気にしない。
「樹里ちゃん、綾女さんに何か言われた?」
唐突に紫音さんが訊いた。何故分かったのだろう。相変わらず紫音さんの観察、思考力には追い付けない。
「なんで?」
わたしはどちらとも答えずに、そう言った。
「いや、出て来るタイミングが少しズレてたのと、出て来てからずっと何か考え込んでるみたいだったからね」
「そう?」
別に大したことを考えていたわけじゃなかったんだけど、紫音さんの目にはそう見えたようだ。
「私もそう思った。車に轢かれないか心配してたもの」
ガヴリエルもそう思うのか。ならきっとわたしは考え込んでいたのだろう。
「……明後日、また来いって言ってたよね」
「うん、私は行かないけどね」
「え、行かないの!?」
紫音さんは笑って答えた。
「私はいいのよ。貴女達で行ってらっしゃい。私がいない方が、あの人も気が楽だろうから」
「?」
よく分からないが、そういうことならわたし達だけで行こう。
でも、紫音さんがいない方が気が楽って、どういうことだろう。特に嫌ってるような様子はなかったけど。とはいえ、人の心は複雑怪奇、わたしにはまだ分からないことだらけなのも、また確かだった。
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