少女達の宴
転移自体は驚く程簡単に、そして正確に行われた。
何故部室にそのようなものがあるのか分からないが、それはそれ。高所作業用のカラビナで留められた私達は、瞬きをする間もなく豪邸の玄関に立っていた。思わず見回してしまう。
「凄い───」
凄いだなんて、それだけ聞けばまるで小学生のような感想だ。だが、凄いという表現が悪ければ、醜悪だ。華美ではあるが、度が過ぎる。これもまた美しさではあるのだろうが、私には理解出来そうもなかった。
そもそも私は質素なものが好きだ。私服もだいたい何の模様もないブラウスだったり、シンプルなスカートだったり。まあ、今は制服なんだけど。
さっき私はここを玄関と表現したが、正確に何と言えば良いのかは分からない。何しろ靴脱ぎがない。靴脱ぎがなかろうと玄関と言えば玄関に相違はないのか。
まあ、そんなことはどうでもいいんだ。私にとってはここが玄関だろうが寝室だろうがどうでもいい。
「総角、ちょっと」
「ん? 何、ひめっち?」
振り向いた総角の顔を思い切りぶん殴ろうと振り上げた腕を、先に後ろから掴まれた。当然、掴んだのは先生である。
「地下に闘技場がありますから、そこで思う存分、喧嘩してきなさい。ここでは駄目です」
意外や意外、喧嘩すること自体は止められなかった。というかそもそも私も別に喧嘩したい訳じゃなくて、一発殴れればそれでよかったんだけど、
「へぇ、変わった家ですねえ。んじゃあ、早速、その地下室ってやつをお借りしますね。橋姫さんの力量も測りたいですし、この
何故かコイツはやる気満々なのだ。
そしてそのままあれよあれよと言う間に地下室へ連れて行かれる。ズルズルと引き摺られる形で。
「ちょっと待って、私はまだやるとは言ってないわ」
と、抗議してみても
「そんなこと言ったって君、さっき思い切り殴ろうとしてたじゃん」
と返される始末。それを言われると反論は出来ない。何しろ殴ろうと思ったのは本当だし、殴りかかったのも本当の事だから。
「いいじゃん。せっかくやる場所があって、やる理由があるんだから、やらないと損だよ。なんならこうしよう」
総角は笑いながら何事か提案しようとする。ニンマリ笑った悪魔が、私の魂を食わんとするのを想像した。アレはそういう類いの笑みだ。
「負けた方は勝った方の言うこと一つ無条件で聞くっていうのはどう? 勿論、絶対逃れられないように、呪いを付与するのは大前提として、これなら私に『ひめっち』って呼ばれないようにすることも出来るかもよ?」
「乗った」
即答した。私が勝って、コイツに言うこと聞かせてやる。そうしたらもう二度とあんなふざけた名前でなんか呼ばせないんだから。その程度で止めさせられるなら、私にとってそれ程のメリットはない。
「じゃあそれで。先生、審判お願いしますね。どちらかの命が危ない時には審判権限で止めてください」
「分かりました。くれぐれもやり過ぎにだけは注意して下さい。では、事前の合意に基づき、魔術的に約束を交わしてください」
一瞬なんの約束かと思ったけど、勝った方の言うことを聞くってやつ、呪いを付与するって言ってたな。
「指切りげんまんでいいよね?」
「いいんじゃない?楽だし、分かりやすいし」
一も二もなく同意する。一般人がやればただの約束だが、魔術師同士がこれをやると、ただの約束以上に意味のあるものになる。
何しろ、約束を破れば文字通り指切りげんまん針千本だ。とても無事ではいられない。
「「指切りげんまん、嘘ついたら針千本飲ーます。指切った」」
これで契約は成立。勝つ他なくなった。何しろ負けたら何を言われるか分からない。屈辱だし、何よりコイツの言うことを聞かなくてはいけないのが辛い。
「それでは始めます。三、二、一、始め!」
前にも言ったが、私が主に使うのは音だ。
ただし、音自体をどうこうする訳ではない。いや勿論、音を消すとか、そういうことも出来るけど、それだけで『麒麟児』なんて呼び名はつかない。
私の真の能力は───
「
一言叫んだだけで、辺り一面が燃え上がる。
本来魔術を行使する場合には詠唱が必要になる。この詠唱というのは、あくまでも自分自身に対する暗示のようなものなので、文言は魔術師によって異なる。さっきの私のように、一言叫ぶだけでも魔術は発動するが、辺り一面が火の海になるような規模の大きな魔術を使おうと思ったら、もっと長い詠唱をしなければならない。
だが私は違う。何しろ私は音を操る橋姫の魔術師だ。音として発する詠唱など、短縮出来て当たり前である。もっとも、今の私の実力では一言は音にしなければならないので、決して万能ではないのだが。
「なるほどねえ…。音使いなのに火までこんなに容易く扱うのか。それも一節の詠唱だけでこんなに。短縮したんだな、何らかの方法で」
残念ながら、私の炎は当たらなかったらしい。先程より遠くにいる総角の呟きが聞こえる。普通の人なら聞こえないだろうが、私は聴力も普通じゃないのでハッキリ聞こえる。
せっかくなら炎以外の魔術も使いたいところではあるが、それだと折角展開した炎の檻が台無しになってしまう。どうしたものかと悩んでいると、今度は総角の詠唱が聞こえてきた。魔術師と戦うというのは私にはあまりない経験なので、そのまま様子を見ることにする。相手の手の内を知っておいても損はあるまい。
「集え、我が従僕達!汝の全ては我が手中にあり。いざ動き出せ、
突如、総角の前に、恐らく私より二回りも大きな甲冑が現れた。目の所だけスリットが入った、西洋式の鎧兜。私にはわかる。あの鎧は、空っぽだ。人体が発するべき音が全てない。空の鎧に魔力を通して動く人形にし、その上で使役しているんだ、アイツ。
総角が使役を使うというのは前から知っていた。父から教わったから。使役は操作より厄介だ、と。
操作も使役も、自分ではないものに何かをさせることに違いはない。だが、操作は一挙手一投足を全て操る必要があるのに対し、使役はただ命ずるだけで、目的に応じた行動をとらせる事が出来るのだ。
つまり、ラジコンと自動運転のようなものだと言えば分かりやすいだろうか。ラジコンは全ての動きを使う人が司る必要があるが、自動運転なら目的地さえ入力してやれば良い、みたいな。
結果として、操作に対しては術者を倒せばそれで止まるが、使役の場合は術者を倒した上で使役されているものも倒さねば止まらないのだ。自動運転の車とて、運転手が突然死のうが止まることはないのと同じだ。
本来の使役ならば、自立思考の出来る魂及び精神を持ったものしか操ることは出来ないが、アレは別だ。そもそも、アイツ自身の身体が(人体であるとはいえども)偽物である以上、偽物を本物たらしめる為に魂を移植もしくは複製しなければならない。そんな高度な精神魔術を扱う事が出来るなら、あの鎧達に代わりの魂を入れて使役することも容易かろう。
ああ、アレがまともな生物ならどれ程良かっただろう。まともな生命体であれば、『痛み』という感覚がある。『恐怖』もある。そこにいくらでも付け入る隙はあっただろう。しかし、アレはただの無機物だ。感覚神経がない。ただ私の魔力パターンを感知して襲ってくるだけの機能しかないだろう。故に恐怖することもない。まるで人工知能を搭載したロボットみたいだ。
ガチャガチャと大きな音を立てながら歩いてくる。幸い、手に武器を持っている訳では無いので、比較的対応しやすいものの、目を見張る程の速度で接近する。
「ちっ」
思わず舌打ちする。あっという間もなくソイツは目の前に現れた。叩き潰すつもりか、私の前で急速に減速し、両手を組んで振り上げる。
「
同じ綴り、同じ発音で違う呪文を紡ぐ。さっきも言ったが、私の詠唱はその殆どが省略されているため、こういうことはよくあるのだ。
一度目の呪文は炎を起こし火事にする、範囲の広い対建造物魔術だったが、今回は逆に範囲の狭い、攻撃のための魔術だ。
指まで真っ直ぐに突き出した右腕の先から、炎の球が撃ち出される。狙い通り、鎧の胸に当たり、そのエネルギーを殺しきれなかった無人の甲冑は後ろ向きに弾け飛んだ。
吹き飛んだはいいものの、未だ破壊出来た訳ではない。中がただの空洞だったらぺしゃんこに潰れていただろうが、生憎と鎧の中身は総角の魔力だ。多少吹っ飛ばした程度じゃビクともしない。
(本来は動かない甲冑を動かす為の魔力に過ぎないものを、結果的に防御として扱う、何とも性格の悪い奴ね)
そう心の中で悪態をつく間にも鎧は起き上がり、再びこちらへ向かってくる。さっきと同じ手は通用しないだろう。というか、最初から通じていない。こんなものはただの時間稼ぎだ。
「
唱えながら右腕を縦に振るうと、その軌跡が水の刃となって飛んで行く。これもまた外すことなく胸甲に当たり、真っ二つに別れた鎧はガランガランと喧しく最期の
「これはまた驚いた。専門魔術以外を使うってのは今じゃもう別に珍しくもないけど、それでも四大元素の内二つをこうも易々と使いこなすってのはちょっと珍しいなあ……。詠唱を短縮しているとはいえども、普通の魔術師じゃあそもそも発動させられないだろうに」
やはり水を出したのは失敗だったか。総角は自分が戦わない分、分析に頭を使う余裕がある。
待て、彼女のさっきの詠唱を思い出せ。彼女はあの鎧を複数形で呼んだ。ならばあの甲冑、もう一体はいるはず───。
「上か!」
「気付くのが遅いよ!」
僅かな音に気付いて見上げると、さっき切り裂いたのと同じ鎧兜が、私を貫かんと槍を携えて宙に浮いたまま静止していた。
否、静止していたのは直前まで。私が見上げた時には既に、私目掛けて突っ込んで来ていた。
体を動かすよりも速く呪文を紡ぐ。
「
途端、私の足元の地面が大きな顎となり、重力に従って落ちてきた鎧と槍を噛み砕いた。グシャグシャバキバキモグモグと。
一点に攻撃を集中させてはいけない。防御もまた一点集中出来るし、そもそも穴が空いたところで鎧の動きに支障はない。そうなれば対応は簡単。多少私の魔力消費が多くなるけど、少し範囲を広くして行動する能力を奪う。
私が攻撃に使う魔力量は精製が追い付く限りいくらでも増やせるけど、鎧の方は元々入れられた分しか使えないし、それも動く度に減っていく。それを逆手に取り、相手の魔力量では防御しきれないような攻撃を叩き込みさえすれば破壊出来る。
これで既に二体の操り人形もとい甲冑を壊した訳だが、同時に私の手の内を三回晒したことになる。ちょっと調子に乗り過ぎたかな、もしかすると。
そんなどうでもいいことを考えている場合ではなかった。甲冑を潰したとはいえ、まだ本人が残っている。意識をそちらに向ければ、総角が呆然としているのが伝わってきた。全身から驚きが溢れ出ている辺りを見る限り、私が「麒麟児」たる理由を知らなかった様だ。
「これで三つ。残りの風は音の上位互換だから使えない理由はない。ってことは君、四大元素を全て使えるってことだね?」
四大元素とは、簡単に言えば魔術の世界において全てを構成する四つの物質のこと。その全てを自在に操れるとしたら、無敵と言っても過言ではないかも知れない。まあ、実際には須らく物質は全て原子から成る訳で、四大元素が四つとも使えたところで大したことはないのだけど、取り敢えず四つとも扱うことが出来る魔術師は現代においても殆ど存在しないらしい。
平安時代から続く私達の家系ですらそうだし、もっと前から延々と魔術を研鑽している欧米の魔術師家系にしてもその例に漏れない。
精々が、良くて二つ。大抵の人は一つも使えない。そのくらい高度な魔術なのだ。私はここまでに火、水、土と使ってきたが、当然残る一つの風も使える訳で、そのせいで私は欲しくもない二つ名を持ってるのだ。
「そういうことよ。そうでもなきゃこんな戦いしないわ」
逆に言えば、これこそが私の自信の源に他ならない。いや、正確には違う。私は全ての魔術について、その専門家には劣るものの、一般の魔術師よりは上手く扱うことが出来る。その気になれば使役も出来る。専門家たる総角の前では絶対にやらないけど。
だから私はおよそ魔術戦闘において負けることはない。相手の使うものに対して相性の良い魔術で戦えば良いのだから。故に私に勝つ手段はただ一つ。
「咄嗟には魔術による対応が出来ないような近距離から、魔術を一切使わず攻撃するしかない、でしょ?」
「!!!」
ドンッと鈍い音と共に、景色が前へ流れていく。何が起こったのか、すぐには理解出来ないまま後方へ吹っ飛ばされた。認識が追いつかない。
「
咄嗟の判断で詠唱し、着地の準備をする。そのまま床から生えてきた巨大な手に収まる形で停止した。
「ちぇ、一筋縄じゃいかないかぁ。上手くいったと思ったんだけどなぁ」
いや、収まらなかった。地面から突き出た腕は、私を受け止める事には成功したものの、その衝撃で砕け散った。元が土とはいえ、魔力で固めたものがこうも容易く…。
「凄いねぇ。まともに受けて立ってられたのは紫音が初めてだよ」
「そうでもないわ。貴女が直前に声をかけてくれたから、咄嗟に対応出来ただけよ。まともに受けてなんかいない」
そう、あくまでも彼女が直前に言葉を発したから、それも比較的長く喋っていたから意識を守りに転じる事が出来たのだ。そんなあからさまに時間を与えるってことはつまり、まるっきり手加減されてるってこと。
「そうかもしれないけど、私が決着のつもりで放った一撃を受けたんだよ、紫音は」
思わず歯噛みする。
私には彼女が今やって見せたような近接格闘の術はない。近くに寄られた時点で私の勝ちはないだろう。どう考えても無理だ。だが総角は5メートルもの距離を一瞬でゼロにしてくる。
となれば私の取りうる手段は一つ。身体強化の魔術をもって、奴と同じだけの力、速度を確保するしかない。
「
私には聞こえ、かつ相手には聞こえない程度の声量で唱える。その間にも殴りかかって来るが、既に魔術は発動している。
難なく躱し、予想外の反応に驚いたか動きが止まった一瞬を逃さず蹴り抜く。
そこから先は、混沌と表現する他ないような有様だった。私も総角も、何度殴りかかり、何度蹴ろうと試みたか分からない。その全てが無効化され、体力だけが減っていく。
私は全く格闘技の心得がないのでさっぱり分からないが、コイツは何らかの格闘術を身に付けている様だ。動きに何ら無駄がなく、的確に急所を突こうとしてくる。それも拳に限らず、掌や肘を使ってくる事もあるので油断ならない。
避けられることを予感しながら殴り続ける。最早根比べの様相を呈してきた。互いに相手が諦めることを願って攻撃する。魔術によって反応速度も常人より遥かに高くなっているが、それでも敵の拳を避けるのは容易ではない。じき追い詰められるのは明白だろう。
事は唐突に起こった。今まで私の攻撃を避けるか受け流すだけだった総角が、私の打撃に合わせて、ただでさえない距離を更に詰めてきた。そのまま突き出された右腕を躱し、私の脇に肘を当てて投げ落とした。
天地がひっくり返る。何が起こったかは理解出来る。だがそれだけだ。受け身を取ることもままならず、背中から地に叩きつけられた。コイツ…肘だけで私を持ち上げたのか。その流れで私を叩き落とした、と。
当人はもう決着が着いたと思ったのか、私に背を向けている。つくづく舐めてくれる。だがこれなら勝てる。私の特技は、音を消すこと。後ろに目がない以上、音が聞こえなければ私を感知することは出来ない。勝利を確信し、首筋を目掛けて──殴れなかった。
あろう事か私に背を向けたまま、背中で体当たりしてきた。不意をつかれた私はその場で思わずよろける。そしてやはりそこを見逃すような敵ではなかった。総角は流れるような動作で反転し、大地が震える程強く足を踏み鳴らして、私の鳩尾に思い切り掌底打を決めた。
初撃とは比べ物にならない程後方へ吹き飛ばされた私は、一瞬で意識を奪われた。
有り得ないはずの、敗北の絶望感を残して。
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