7 水のキラキラ
放課後。やっと、この時間が来た。
学生カバン、そしてスポーツバッグを肩にさげ、早歩きで温水プールに向かう。
そこの入り口は2か所あって、男子と女子の更衣室から入ることになってる。2つの入り口はちゃんと距離が置かれてるし、ドアの色が、女子の赤と男子の青で分かれて、防犯対策がされてるので安心して着替えられるんだ。
女子更衣室で競泳水着に着替え、ゴーグルから先につけ、その上にキャップを、髪の毛をしまうようにかぶる。
5歳のころから水泳を続けてるから、髪をのばすとキャップにしまいづらいなと思って、ずっとショートヘアにしてるんだ。
一番乗りで来たから、まだほかに誰も来ていない。むしろ、わんは一人で着替えないと落ち着かない。
誰か来たら……余計に、わんは一人ぼっちだと思わされるから。
人が来ないうちにさっさと着替え、さっさと更衣室を出て、さっさと準備体操をする。
準備体操をしっかりすれば、泳いでもケガしづらい。十分にからだを柔らかくしたら、スタート台の上に乗り、手を真っ直ぐに伸ばしてきらめく水の中に飛びこんだ。
定時のミーティングが始まるまで勝手に泳いでいいことになってるので、この時間はとても貴重。
この時だけなら、自分らしく泳げるから。
ここ以外に、自分が自由になれる場所はない、けど……わんが一番になったら、ほかの人が自由じゃいられなくなる。そんな人の声を聞くのが、わんには耐えられなかった。
水の中に入れば、だれの声も聞こえない。周りを気にしなくていい。
陸とちがって、心の声が、自分のしか聞こえないから、自分らしくいられる。水の中だけが、自分の世界をつくれる。
スイスイと水をかき、バタバタとバタ足。わんは一番上手いわけじゃないけど、それより、わんの泳ぐ意味は、一番になるためではないような気がする。こんなに本気で泳いでるのに。
ほかの人に勝ちを譲ってもいい、ということじゃなくて、もっと、別のことを表すなら……『これが自分だ』って言えるようなものを、ただ表現してるだけ……もし、泳げなくなったりしたら――
本当に、自分はなんだろうって、わんが生きてる意味がわからなくなるかも……
ああ、ダメだ、こんな気持ちになっちゃ。
泳げば悲しみや、つらい気持ちを、涙ごと洗い流してくれるかもって思っても、結局それは、『ギフト』のように付き纏ってくるものなんだ。
自由な気持ちでいられるなんて言っても、自分が自分を縛ることもできる、ってことでもあるんだ。
だから自分は、せめてバタ足をして現れては消える泡のように、ひっそりと生きたい。泡は人を傷つけないから。だれも、一粒の泡のことなんて覚えないから。
同じレーンの、向こう側から人の気配がした。準備体操を終えて、泳ぐ人が増えていったんだ。
ぶつからないように左側に寄って泳ぐ。相手もクロールで泳いでる。同じ自由形の人かな。
ぷは、と右側に顔を上げて息継ぎをする。
ちょうど、その人の顔が見えた。キャップとゴーグルで顔がかくれてるけど、何を考えてるかは見える。見えてしまう。
(またボッチかよ……うざ)
やっぱり、いつもの人だ。中等部の中で一、二を争うくらい泳ぐのがうまい、
いつも強気な性格だけど口には出さない、けど、だれともつるまないような印象。
わんもあまり話したことはないけど、わんがジャマに思えるらしい。
そう考えてる人がいるから、一番になろうと思うと、この人たちの火に油を注いでしまうことになる。
そんなことで、自分の居場所からはなれたくない。
できたらこの人たちと仲良くしたほうが、最も穏やかに過ごせるんだと思うけど……この人たちの心の声をたくさん聞いたら、自分の心がつぶれてしまいそうになる。
ピッ、とホイッスルがプールにひびく。ミーティングの時間になったんだ。
ちょうど壁につきそうだったからちょうどよかった。そこに手をついたら、プールから上がろうとスタート台の横に手をかけた。
ふと、そこから手が伸びたのが見える。
だれかが、手を貸そうとしてる……?
ゴーグルごしにその顔を見る。ゴーグルだから視界が暗いけど……その手が誰のものなのか、はっきりとわかった。
「清水くん!?」
「おつかれ、真珠」
な、なんでプールにいるの!?
わんが驚いてる間に、清水くんはその手を取り、わんをプールから上げた。
わっ、あぶない。
こうして上げられるの、慣れない……!
「どうしてここに……」
「今日からココのマネージャーになろうと思ってな。選手になりたいっつったら経験者以外お断りっつーんだよ。ココ強豪校なんだな」
「マネージャー!?」
「マネならまだ受け入れOKだってさ。それに男子なら荷物持ちとかで役に立つとかなんとか……」
ま、まさか、お昼休みにわんの入ってる部活を聞いたのはこーいうこと!? なんで同じ部活を選んだの……!?
「ははっ、どんだけビックリしてんだよ。知り合いのいる部活のほうがやりやすくてイイと思ってさ」
そ、そうなんだ……やりやすい、のかな。
ここの部員数、中高合わせてけっこういるから、キラキラがたくさんあって大変なんじゃないのかな……
なんて心配してたら、バチン☆ とウインクを見せた。
(つーわけでよろしくな、真珠)
ああっ、やっぱり伝わってない。
「今日からマネージャーが一人入る、男子だ。だからといってなんでもかんでも仕事を押しつけるなよ」
「どうも、清水晶です。精一杯支えますんでよろしくお願いします」
キャー、と女子から小さな黄色い声が上がる。ヒソヒソと内緒話をしている様子をみれば、
(清水くんってかっこいいね)
(中2だよね、このネクタイの色!)
(えーっ年下!? 全然見えない、高等部生っていわれても違和感ないもん)
なんて大盛り上がり。
ちなみに、学年ごとに男子のネクタイ、女子のリボンの色がちがってて、中等部2年はうすいピンクを使ってるの。中1から高3までいるから、全部で6色。ネクタイとリボンの色で学年の見分けがつくんだ。
やっぱり、高等部の先輩から見ても清水くんってカッコいいんだ。自分も何度も思ってるけど……
(で、なんでもう一人の転校生のこと気にかけてるんだろ?)
ひっ……! 目と目が合ってしまうところだった。
急いで顔をそらしてなにを話してたのかを聞かないようにしたけど……明らかに、自分のことだったよね。
こんなジミなわんと、イケメンな清水くんが関わるなんておかしい。周りだってそう思ってる。
……いけない。清水くんはせっかく、こんな自分のことを友達だって言ってくれたのに、こんなこと考えちゃ。それに自分は水泳部では泡のような存在なんだ、カゲを薄くしないと……
コーチが「静かに!」と鋭い声を上げた。みな、ピタリとおしゃべりをやめる。
みんなは顧問の先生がいくら言ってもしばらくしないと聞かないけど、コーチのいうことだけはすぐに聞くんだ。怒らせると怖いからかな。じ、自分は顧問の先生のいうこともちゃんと聞くよ。
「来週の金曜日には、分かっているとおり大会のレギュラーを決める記録会を行う。それぞれコンディションに気をつけ、最高の結果を残すように」
はい! と、部員全員の声がプール全体に反響する。みんな、顔つきが本気だ。触ったらビリビリしそう。なんて、もっと直接的にビリビリくるのは蒼井くんだけど。
記録を取るために、ホイッスルの音に合わせて位置につき、プールに飛びこむ。清水くんは新人ということで、先輩マネージャーから色々教わってるみたい。
わんのとなりのレーンには児玉さんが泳いでいる。まだ彼女から直接何か言われたことはないけど、怒らせたらマズいような人だ。
……この人の心の中は、自分への悪口であふれてるから。
この人を余計に怒らせない方法。それは、彼女の目に留まらないようにすること。
つまり、児玉さんより早く泳いだら目立ってしまう。嫌われないようにコッソリとしてるのに、将来有望と言われてる児玉さんから目をつけられたら、どんな顔をして部活に来ればいいんだろう。
なんて思ってるけど、なんか、毎回わんのとなりに来てるような……並び順、きまってないはずなんだけど……
前に児玉さんの顔が見えるように距離をとり、ほぼ同じくらいのスピードで泳いでみる。
児玉さんは息継ぎをすると少しだけスピードが落ちるんだ。その時に気をつかいながら、児玉さんを抜かさないようにした。
ターンをして、一往復してタイムを確認する。よし、児玉さんより1テンポ遅い。
「内海さん、やっぱり隣の人より1テンポくらい遅くなっちゃうよね」
ギクッ……ま、マネージャーにはバレてた……!?
「プレッシャー感じちゃうだろうけどリラックスしていいよ」
マネージャーの先輩はアドバイスをくれるけど、自分は心の中で、わざとスピードを落としてることを見破られなくて安心していた。
やっぱりいいな、人の心が読めないっていうのは。なんて思うのは、性格が悪いかもしれない。
休憩時間に入り、みんなはそれぞれストレッチをはじめる。自分も足を前に出して座り、つま先に手を伸ばして下半身の筋肉をストレッチした。
「はい、ドリンク」
「清水くん」
顔を起き上がらせると、今度はドリンクを差し出す清水くんが目の前にいた。
動きやすいように、薄いピンクのハーフパンツの体育着に着替えていた。もちろんハーフパンツも学年ごとに色がちがう。
清水くん、制服からじゃわからなかったけど、足細いなあ……ちょっと細すぎて、女の子にとってはうらやましいけど、折れないか心配になっちゃう。
ありがとう、とドリンクを受け取って、少しだけ飲む。すると、清水くんは濡れた床に気をつけて、正座で座りだした。
(お前のとなりで泳いでたヤツ、オーラがとがってたぜ)
「とがってた……?」
自分の心に語りかけたってことは『ギフト』のことだ。
児玉さん……だよね。たしかに、ちょっとトゲトゲしいような雰囲気はあったかも。
自分にも児玉さんによく思われてないことはわかってる。
周りは清水くんに注目してる。聞かれないように、こっそりと耳打ちして聞き返した。
(ふれたらケガするかもしれねえ、まあ見えるヤツにしか『ギフト』の影響を受けねえらしいから心配ないだろうけどさ)
ケガ……? 『ギフト』に、そんな力があるの?
そういえば、お昼休みに清水くんが児玉くんのルビーの『ギフト』にさわろうとした時、熱すぎてヤケドしかけたんだっけ。『ギフト』って、見える人にとってちょっと危なさそう……
人の才能や気持ちが形となって現れてるんだよね。ものによっては、人を傷つけてしまうものもあるんだ。
(『ギフト』にさわれんのは、直接見れるオレたちだけだ。たぶん手形持ってる時のお前も含まれるかも。
ダチになにかあると心配だからな、一応気をつけておけよ)
ダチ……友達、か。
ここに来てはじめて、心配をかけられた。
「あ、ありがとう」
ちょっと照れくさくて、声がちょっとふるえた。
でも、見れるといってもわんは通行手形を触ってるときだけだし……なにも心配はないって。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます