「演劇とペスト」一

 白い空間に立っていた。


立っているというのは正しくないのかもしれない。

 地平線も無く、上も下も無い、右も左も存在しないただ白いだけ。僕という実体もあるのか怪しくなってくる。風も空気も感じない、色も…これは僕が白いと思っているだけで色も無い空間。


 僕はカメラを構え、シャッターを切る。

 カメラが存在している確証はない、腕も指も動いているかわからない。でもいつものように、ただ目の前の瞬間を写すことだけを考えた。


 塔があった。


 大きな塔、空に穴を開けるために作られたような塔。見覚えのある造形。時間をモチーフにしたような、歯車のある塔。そう認識した瞬間、世界が揺らいだ。


 物が壊れる瞬間を見たことがあるだろうか。コップやガラス、電化製品や金属製品、木製の物が壊れる瞬間。

 ガラスなんかがわかりやすい。一点にひびが入りそれが無数に広がっていく、ドミノ倒しのように連鎖し耐えきれなくなり、瞬間崩壊する。

 崩壊するための情報が伝達されその物体を駆け巡る。伝染病のように、噂話のように終わりを告げながら広がる。狂気をはらんだ混乱を起こしながら、真実を巻き込みまたたく間に塗りかえる。


 僕は立っていた。


 もう世界は白くなかった。影が強く残る石畳み、時計塔、ギリシヤのようなエンタシス柱を用いた建物、階段、笹竹商店街の広場に似ているがどうやらここは神殿のようだ。


「なんだか異国情緒溢れるところね」


 美浦が辺りを見回しながらやってきた。


「それとも異世界情緒の方が正しいかしら?」


 相変わらずな世界に飲まれない女優の佇まいだ。


「俺としては情緒があればどちらでも嬉しいけどね」

「私としてはあんたは情緒を拗らせすぎていると思うけど。それでこれからどうするの?」


 隙あらばディスってくる美浦。いつもの事なのでこちらも気にしない。


「リリイちゃんを探し出すのが先決だろうね、もちろんこの虚構の世界の『ヴィールス』も気になるところではあるけど」

「『ヴィールス』なんてこじつけみたいなものじゃない、もっと具体的な物が欲しいわ、せっかくの異世界なんだもの」

「だからそうやって立っていられるんだろうさ美浦は」

「どういう意味よそれ」


 美浦はその特徴的なはっきりとした目で睨みつけてくる。


「そのままの意味だよ」

「ふうん、まあ褒め言葉として受け取るわ。ところで仁雄はどこいるの?」


 そういえば見当たらない。虚構の世界に来た時にはだいたい同じ場所で落ち合うのだが、しかしまあ落ち合えない事も稀によくある。


「見当ついてないみたいね、どうせ何処かで踊っているか身動き取れなくなっているんでしょ。いいわ二人でリリイちゃんを探しましょ」


 仁雄のその扱いもかわいそうだと思うが、特に反論もない。


「それじゃまずはその時計の付いてる塔から登ってみようか、上から眺めればこの世界の全貌もわかるだろうし」

「時計台ね。私パス。そこの大きな建物の中探しているから何かあったら声かけてちょうだい」


 階段なんか登りたくないといった風にひらひらと手を振り美浦は神殿の方へ歩いていった。わがままかとも思ったがそれも彼女の魅力だろうと納得し、僕は一人で時計台に登る事にした。


 商店街にあったものより随分と大きな時計塔。煉瓦造りの円柱形で頭の先には四方を見渡すように時間を示す板が四つ付いている。

 僕は真っ直ぐに塔の方に歩いてきたが、どうやらここが正面でいいみたいだ。ぽっかりと空いた入り口から登るための螺旋階段が見えていた。


 中に入るとそこには歯車の空間があった。塔の中、上から下まで人の動線を除き歯車が吊るされている。小指程のものから手のひら、車サイズの歯車まで一様に吊るされていた。まるで浮いているような錯覚を感じる。この空間だけ無重力になったみたいな。

 階段は上まで直接繋がっているみたいで中は薄暗いかと思っていたが燭台が灯っており、壁にも陽の光が入るよう所々に窓が付いていた。


 ぐるぐると歯車を横目に見ながら螺旋を上っていく。高さにすると十階分くらいだろうか、塔の最上階がみえる。階段から顔を出すとそこは部屋のようになっていた。椅子に机、本棚、馴染みの無い工具や布袋が乱雑に置いてある。


 そして窓には少女が座っていた。


 まだ五、六歳くらいだろうか窓から足を投げ出しこちらに背を向けて座っている。


「今更来てももう遅いんだよ」

 あどけない少女らしい声が僕に届く。


 次の瞬間少女は窓の外に身を乗り出した。こちらを振り返ることもなく、ためらいもなく少女は落ちていった。



 僕は堪らず窓から覗き込む。



 そこに少女の姿はなかった。何もなかった。ただ石造りの街が広がっていた。








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