「通りの神秘と憂鬱」五
「この前の喫茶店の話しは本当なんですか?」
不安そうな目で僕に問いかけたリリイ。
松崎リリイ。アメリカ人の父と日本人の母を持つ日本国籍のハーフ。容姿端麗、頭脳もそこそこ、側から見れば羨ましいと思われるステータス。
実際はアメリカ在住時に両親は離婚。母に引き取られるかたちで日本へ帰国。その時から五年程をここ笹竹団地で過ごす。
公営ということもあり母子家庭には経済的にも過ごしやすかったのだろう。
その時から笹竹商店街はシャッター通りだったらしいが、子供の頃の遊び場としては非常に優秀だったに違いない。
その後母の再婚により笹竹団地を去り、苗字は松崎へ。再婚相手はリリイにも優しく今は経済的にも精神的にも不安はない……。
喫茶店で得たリリイの情報。
「多分わたしの一番の思い出の場所は笹竹商店街です」
そう教えてくれた後、学校へ向かったリリイ。
この思い出の場所はどちらのリリイの思い出だろう。きっとそれがリリイの虚構の世界への入り口。
僕は大船に乗ったつもりでリリイに答えた。
「もちろん、喫茶店で言った事は本当だ。でも怖がる必要はないよ、所詮は虚構の世界なのだから。それに俺や美浦、仁雄も一緒について来てくれるはずだ」
リリイにしてみれば未だ半信半疑といったところだろうか、僕もそれでいいと思う。
「美浦さんも来てくれるなら心強いです」
リリイは少し
「さっき会ったばかりでもうそんなに仲良くなったのか?」
「はい。優しいお姉ちゃんができたみたいです」
「良かったじゃないか、とりあえずそんなに気負わず、美浦の言葉じゃないが自然体でいてくれればいいよ。後はこっちで調整するさ」
「はい!気負わずやってみます」
今僕は嘘をついた。
こっちで調整なんかできやしない。きっとリリイには負担をかける。この世界と対峙するのだ、リリイと世界の嘘のつき合いになるだろう。しかし、そんな事を教えてなんになるだろう。僕たちはただ準備をし、撮影するだけなんだ。
立ち止まるポイントにバミリを張るなど、ひと通り準備を終えリリイにも簡単に指示を送り、写真のイメージを伝える。
イメージはこうだ。
『リリイとその影、それだけがこの商店街に存在している。時の止まった商店街そこに子供の頃の忘れ物を取りに来た。ふと立ち止まる。わたしはここにいるということを思い出す』
これを聞いたリリイは
「それだけですか?何か物語があったりするんじゃなくて?」
僕は得意げに言う
「これだけで充分物語があるよ、人が立ち止まるなんていうのはドラマティックの塊さ」
リリイは不安げに美浦を見る。
「大丈夫よ、舞台に立てば結局始まるんだから。リリイちゃんの晴れ姿ちゃんと見てるからね!」
リリイは美浦に大きく頷く。
「いつでも始めていいぜ、日の頃合いもバッチリだ」
仁雄の声に僕が頷く。
「それじゃ始めようか、リリイ!ここからは決して自分を見失うんじゃないぞ」
リリイは小首を傾げ、頷いた。
「それじゃ好きなタイミングでよろしく」
僕はリリイに合図を送った。
リリイは最初動かなかった。美浦も仁雄も僕も固唾を飲んで見守る。
まだ動かない。こんな時役者というのは一体何を考えているのだろう。
しばしの沈黙
意を決したのか顔を上げ一歩目を踏み出したリリイ。
それだけで僕は痺れるほど感動する。人が一歩を踏み出す瞬間、そこにあるエネルギーは一体どれほどなのだろう。しかし、ここでシャッターを切るわけにはいかない。ここからは僕の中にも我慢というジレンマが生じる。
歩みを進めるリリイ、商店の影から広場へとリリイが足を踏み入れた。
すかさず僕は仁雄に合図を送る。
『トロイメライ』
広場にゆっくりと流れていく音、ロマン派と呼ばれる時代らしい情感のあるメロディ、優しい木漏れ日のような、穏やかな音の波。
リリイは一瞬動揺を見せるが、すぐさま足取りを正す。広場にはリリイただ一人……いや、リリイとその影だけが広場に在る。
ふとリリイは影を認める、足が止まる。何かを思い出すように影を見つめるリリイ。……リリイの唇が動く。
「わたし……子供の頃同じような、こうやって……」
トロイメライは未だゆっくりと広場を支配している。
「わたし忘れ物をした……?」
「なんでわたしここにいるんだろう……」
美浦と仁雄が目で僕に訴えてくる。
「山ちゃん、これって……」
仁雄が小声で話しかけてくる。
「わかってる!」
僕も小声で返す。
「ちょっとでも危なくなったら直ぐ止めるのよ」
美浦も堪らず声を出す。
リリイはしゃがみこみ、影と戯れるように地面に触れた。
「リリイ! 自分を見失うな! ただ忘れ物をしたふりをすればいいんだ! 虚構と付き合うな!」
僕は遠くからそう声をあげた、もちろんファインダーを覗き込みながら。
リリイは声が聞こえているのかいないのか、ふらっと立ち上がる。
「わたしここで遊んでた……だれと?わたしと……わたし戻って来れた……」
ゆらっとリリイの影が動いた気がした。いや、影がリリイから離れ始めていた。
「リリイ! それは違うぞ! 虚構に飲み込まれるな! それはただの影だ!」
リリイは自分の影を見つめていた。自分から離れた影を……。
「山水! これ以上は危ないだろだ!」
美浦が語気を強める。
「大丈夫だ! リリイはまだ自分を持ってる」
「あなたは…わたし…なの?」
影と向き合うリリイ。
「リリイ子供には戻れない、子供時代には戻れないんだ! ただそこに立っているしかない! それでいいんだ! リリイ自分を思い出せ!」
僕はリリイに声をかける、いや、虚構に声をかける。
「リリイ! 喫茶店で食べたホットドッグの味は? さっき飲んだコーラでもいい!
美浦の言葉を思い出せ! 自然でいればいいんだ! 気にするな、リリイは子供じゃない、もう高校生だ! 自分を見失うな!!」
「わたし……でもわたしここに居たことがある、この子を知ってる」
リリイは虚構に手を伸ばす。
「リリイの子供の頃を知っているやつなんてここには誰もいない!
リリイが子供になる必要はない!
リリイはリリイだ!!」
僕は未だファインダーから目を離さない。
「わたしはわたし……」
リリイが不意にこちらを向いた 自然になんでもないかのように 当たり前に名前を呼ばれたかのように
僕はシャッターを切っていた。
美しい絵だと思った。
時の止まった中で、太陽はいつものように光を惜しみなく降り注いでいた。
人のいない商店はやっぱりだれもいなくて、いつのまにかトロイメライは終わっていた。
影は影で在り続け、白い服を来た少女は広場で大事な何かを見つけた。
つまりリリイはただリリイだった。
白と黒のコントラストに時計の針が少し動いた気がした。
その瞬間世界が壊れた。僕たちは虚構の世界にいた。
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