「ミシン」

 少女の名前はリリイ。

 フルネームは教えてくれなかった。悩みを抱えているという雰囲気はなく、活発で社交的に見えた。年齢は十六歳の高校生。この電車は普段通学では使わないらしい。

 ハーフかどうか聞いたら

「その質問は失礼です」とぴしゃりだった。


「電車で相談するのもあれなので、何処かお店で話していいですか?」


 彼女の言葉に頷き、次の停車駅で降りる。

 どうして僕に声をかけたのか聞くと


「悪い人じゃなさそうだから、それにタイミングかな、周りに人いなかったし」


 しかしさて、電車内で突然女子高生に声をかけられたらどんな反応をするのが正解なのだろう。

 僕はというと彼女の二倍の時間人生の先輩である。つまり三十二歳、もうおじさんと呼ばれてもいい頃合い。

 ひと昔前でなくてもおじさんと女子高生の組み合わせは危険である。社会的には不用意に接点を持っていいものではない、しかし会話をしてしまったのだからしょうがない。

 僕は現場先に連絡し、といっても友人なのだが、今日は行けない旨を伝えた。早朝のビルからの撮影、人影の少ない目覚めを待つ街の画を泣く泣く諦めた。



 駅の改札を抜け、すぐに目についた喫茶店に入る。僕はコーヒーを頼み、彼女はオレンジジュースを頼んだ。ウェイターが飲み物を運んで来る、一口コーヒーをすする。彼女もオレンジジュースを口に含んだ。


「さて、それで何をどう助ければいいんだ」

「その前にお兄さん名前はなんていうの?」

「ああ、そういえば教えてなかったか」


 名刺を差し出す。


「やま……みずさん? 写真家なんですね、エッチな写真とかとるんですか?」


 コーヒーが口から出そうになる、それは偏見だ。


「そういったのは俺の専門じゃない、もちろん依頼があれば撮るが、まだそんな依頼もきたことがない」

「やっぱり撮るんだー、サイテー」

「サイテーじゃないだろ、それも切り取る価値のある画というやつだ」

「綺麗ごとよねそれ。女性の身体を性のはけ口にしているんだもん」


 この子は何を言っているのかわかっているのだろうか。それとも僕がよくわかっていないのか。


「写真のはなしはいいだろう、それに名刺なら他にも演出家の名刺や作家バージョンの名刺もある」


 それぞれ職業の違う名刺を見せる。


「えっ、なんでいくつも名刺あるんですか?詐欺とかやっているんですか?やっぱりあやしー」

「失礼な、いろんな事に手を出していたがどれも芽が出ず、今はそれぞれに水をやっているところなんだよ」

「そうなんですか……趣味が多いということですね、でもあやしー」


 彼女はジュース飲む。大きな目が印象的だ。


「俺としては趣味ではなく本業のつもりなんだけれどね、まあそのおかげで人よりも自由な時間はあるわけだが、だいたい声掛けたのはそっちだろ、それで……」

 彼女を本題へと促す。

「あ、すみません、わたしがどうして欲しいかですよね」


 さっきまでは冗談モードだったのか行儀よく座り直す。


「お金欲しいとか、泊めてくれとか法に触れそうなのは勘弁してくれよ」

「はい、そういうことではないです。むしろ謝礼なら払います」

「謝礼はまあ内容にもよるけど、な」

「はい、それでですね、あの、わたし……を……」


 彼女はその先を言い淀んだ、途端に得体の知れない緊張感が僕を襲う。

 その先を聞いてしまって良いのだろうか、喫茶店でコーヒーを飲みながら聞くその先なのだろうか、いやいやそんな劇的なその先は世の中にそうそう転がってはいない。経験からそう理解している。

 だから電車で声をかけられるという滅多にないドラマを楽しんでいたのではないか。つまり滅多にないドラマのその先もいつものようにたわいのないその先なのだ。それでもだ、もしかしたら、今回だけは見たことのない扉があるのかもしれない。

 結局はそうやって劇的なるものを追い求めているのだ。


「わたしを?」


 たまらず聞き返す。不意に思う。僕のこの性格は危ういなと。

 彼女は真っ直ぐに僕の目を見て言った。



「わたしを、殺してください」



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